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トンイ長いあらすじ(小説風)完全版一覧1~60話 byちょびかじり コピペ厳禁よ

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2019年02月27日
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トンイあらすじ 41話 「浮かび上がる黒幕」

とつぜんトンイの部屋に二人の覆面男が上がり込んできた。

人の家に草履であがり込んで、長い刀を光らせている。

「お前が王の側室に違いあるまいな? 苦しまずに死なせてやろう」

男はどうやら次のターゲットにトンイを選んだようだった。

額のはちまきにまざまざと浮かび上がる刺繍は、まさしくコムゲものだった。

男はトンイのアゴの下へ刀を移動させた。

「本当にあなたたちはコムゲなのですか…?」

トンイは怯えながらも強く尋ねた。

「ちょっと待て。この女は何か知っているようだな……。まさか朝廷が我々の犯行に気付いたのでは」

一瞬、戸惑いの色を浮かべた男に、すかさずトンイが言い放った。

「チェ・ヒョンウォン……! コムゲを結成した頭が私の父です!」

「命が惜しくて嘘を言っているのだろう……」

男の片方が半信半疑ながらも、ひるんだ相方に入れ知恵をした。

「そうだ。頭の娘が王の側室なんてそんな馬鹿なことがあるものか!」

迷いを振り切った男は、改めて大きく刀を振りあげた。

「なぜ人を殺すのですっ! 父が結成したコムゲは人殺しなどしませんでした!」

男の手が止まった。トンイの説教がいくらか心に突き刺さったように見える。

そのとき三人目の男が急を知らせに入ってきた。

なんとすでに大勢の兵士がこっちへ向かっているというのだった。



長屋門の壁や石段に、警備兵が血を流してぐったり倒れている。

漢城府の武官が突破の合図を出し、敷地へと乗り込んだ。


「不審な者は誰もいません……」

辺りを見回ってきた兵士の報告に、武官は思わず考え込んでしまった。

庭の土に血が広がっているのに、遺体がどこにもないのだ。


「そなたたちは何だ。なぜここを探っている?」

とつぜんトンイに声を掛けられ、武官は狐につままれたような顔をした。
侵入者が現れたとの報告があってわざわざ駆けつけてきたのに、この言われ様はない。

加えてちょうど到着したばかりのチョンスが、トンイの無事を見るなり急に語気を強くした。

「すべて盗賊の仕業だから漢城府は引き揚げるように。そもそも淑媛の警備は親衛隊の仕事だ。漢城府は関わる必要がない!」

トンイ同様、チョンスの態度も武官の目には不自然に映った。一秒前まで随分と真っ青な顔をしていたのに、とってつけたような変わり様だ。

さらには王様に心配をかけたくないというので、報告すら無用であるとされたのだ。


部屋に戻ったトンイはチョンスに本音を吐露した。

「兄さん……ここへコムゲが来たのです」

「ええ。知っています。だからこうして駆けつけました。実はやつらの頭に会ってきたのです。ケドラを覚えていますか?」

「ケドラですか?」

もちろん覚えていた。ケドラはトンイの幼馴染だった。

コムゲが全滅した夜、可哀そうなケドラは軒下に隠れて惨劇を目の当たりにした。
庭へ蹴り落とされ、兵士に引きずりまわされる女たち……その女をかばおうとしてで背中を突かれたケドラの父さん……

軒下から飛び出しかけたケドラに、父さんが目配せを送った。


こっちに来るな。


ケドラはなすすべもなく、軒下へ引っ込んだ。


そうして父さんの死にざま、そのすべてを見た。


「だけどどうして…」

と言いかけて、トンイはケドラの無念がどれほどのものだったかを察した。


復讐を胸に抱いたケドラが、まさかコムゲの頭になっていようとは……



漢城府のチャン・ムヨルが兵士の遺体を調べた結果、左胸五センチの刺し傷を発見した。

傷の上下が腫れて盛り上がっているのは、両班の死体と同じである。

つまり単なる盗賊ではなく、コムゲであることを示していた。


それにしても一つ疑問が残る。

なぜコムゲはトンイだけを殺さなかったのだろうか……?


そしてトンイはそれをあえて隠そうとした……


チャン・ムヨルは漢城府の前庭へ兵を集めた。

指令を受けた兵士たちが、タイマツをかかげ一斉に山中へと向かい始めた。

その目的はコムゲの討伐であった。


騒ぎの後、ポン尚宮が夜遅くに帰って来た。
トンイに六経 (儒教の六種の経典)を頼まれて出掛けていたのだ。
本屋はすでに閉まっていたため、監察府のチョン最高尚宮の手を煩わせることになった。

「淑媛様は最近どうも隠し事だらけで、一番そばに仕える私にさえ話してくださらないの。それにしても六経など何に使われるのか…」

ポン尚宮はチョン最高尚宮に思わず愚痴をこぼした。


トンイが六経のページをめくったのは、療養を終え宮殿に戻ってからだった。

(父さんを殺した黒幕が分からない限り、ケドラはいつまでも両班を殺し続けるだろう……)

事は急を要する。寝る間を惜しんでの作業となった。

六経は南人の一部が、よりどころとしている経典である。

だとしたら南人の重鎮イッコンが死に際に伝えようとしたあの手信号の答えが、ここにあるかもしれないと思ったのだ。

とは言え、なかなか手掛かりが見いだせずにいたところ、掌楽院のジュシクおじさんが訪ねてきた。

おじさんは久しぶりにトンイに会って感激したのだろう。泣きそうな顔で深々と挨拶し、卓上机へ手土産を置いていった。

「お慰めになるかと思いまして…」


風呂敷の中身はヘグムだった。

ジュシクが帰ったあと、トンイはさっそくヘグムを抱いて庭へ出た。

夜風に当たって父さんたちのいる星を見上げていたら、少しはリラックスできた。

そうして昔を懐かしんで白い弦をなでたとき、トンイの頭に謎を解く鍵が突然ひらめいたのである。


すぐにもヨンギのいる執務室へ行ったところ、シム・ウンテクに居合わせた。

トンイは六経の中の「楽記」を二人の前へ広げて説明した。

南人は五経にこの「楽記」を加えた六経を経典としていたのだ。

だからトンイはこの六つ目の経典である「楽記」にヒントが隠されていると考えたのだった。

トンイは筆で紙に走り書きした。

「音律の八番目は林鐘。五番目は姑洗。十番目は南呂。……また姑洗。」

それぞれ頭文字を取り、繰り返す音律は後の文字を取る。


林・姑・南・洗


洗の字は官職を表わす。ならば南洗とは官職につく南人という意味だ。


では残る“林姑”とは何か…?


チャン・イッコンが死に際に伝えようとした真実とは……?


その手の動きこそが犯人を示していた。


林姑……


それは当時のオ・テソクの号


“林姑”だったのである。



2011/1/24更新



トンイあらすじ 42話 「断ち切れぬ友情」

「そういうことでしたか」

シム・ウンテクは頷いた。

オ・テソクが南人の長老を殺して自分がその座に納まり、コムゲに罪をかぶせたのだ。

「だが十何年も前のことだ……」

ソ・ヨンギは再捜査の難しさを指摘した。

連中にシラを切られてはそれまでになる。手信号の証拠の他に、何かしら誘い水が必要であった。


オ・テソクは甥のユンの到着はまだかと首を長くしていた。

家屋敷の差し出しと引き換えに、王様から放免を認められた罪人らが、流刑先から続々と都に戻っていた。

ところが無事帰還した者はどうやらチャン・ヒジェをはじめオクチョン側の人間ばかりなのである。

テソクと共にかつてオクチョンを身捨てた者たちの顔ぶれはそこになかった。


テソクは怒りにまかせて、老いた体で勇ましく屋敷を飛び出した。

悠然とコシに乗り込み、ひじかけ椅子に腕をもたれていざ出発しようとしたとき、家の前の人だかりに気づいた。

「あれは何だ……?」

誰の仕業か、人ん家の塀にビラが貼ってある。近所の村人が興味深そうに剥がしたり、仲間と読み合ったりしていた。

「触れ文です。気になさらないで下さい。都に出没しているコムゲの仕業でしょう…」

おつきの男が後ろめたそうに説明した。

テソクはコシから下りると、村人の手から触れ文をせっかちに取り上げた。

するとなんと両班殺しの罪をコムゲに被せたのは自分だと書かれてある。

テソクの手は怒りでぶるぶると震えた。

ハングルの行書で書かれた文の最後は、コムゲの署名で終わっていた。


それにも関わらずテソクがこれをオクチョンの仕業ではないかと怪しんだのは、当時の事件の真相を知る者が他になかったからである。


テソクはすぐにも漢城府へ赴き苦情を訴えた。

対応にあたったのはムヨルであった。

ムヨルはふれ文をくしゃりとして否定した。

「しっかりなさって下さい。触れ文などやるワケがありません。事件の真相が明らかになれば自分たちも危ないのです。誰か他に秘密を知る人間がいるのでしょう。そのことの方が問題です」


ショックが冷めやらぬ中、テソクはなす術もなくよろよろと漢城府を出た。小さな麦わら帽をかぶった輿担ぎが、門のそばで八名ほど待機していた。
テソクはいざ門の枕木をまたごうとして、足をまごつかせた。

甥や仲間の多くを失った今、もはや完全に孤立した立場である。

考えあぐねた末、コムゲ事件の記録を処分するよう執事に義禁府へ使いへ行かせた。

ところが指令を受けた青衣の役人が、捕盗庁の資料室をあたったものの、いくら探してもそれらが見あたらなかった。

「お探しの物はこれでは……?」

ひょっこり現れたシム・ウンテクが書物のホコリを手ではたいた。


ウンテクはついに敵の尻尾を現場でつかんだのであった。

実のところテソクの動きは以前からすべて監視され、チョンスやヨンギのもとへ報告がされていたのだ。触れ文のアイデアはトンイが考えたものだった。


テソクの屋敷へ、まもなくチャン・ヒジェが現れた。

漢城府の筋からオクチョンに話が行ったのだろう。


「テソク様は敵に尻尾をつかまれました。まずは身を隠した方がいい……その隙にこの件はきれいに片付けておきます。事件が明らかになれば禧嬪様も無事ではいられませんので」


この提案にテソクは納得した。そもそもヒジェを疑う余裕すらない状況に追い込まれていたのだ。

療養を口実に側近一名だけを連れ、すぐにも屋敷を発った。

他には荷物稼ぎの男たちと、ヒジェが手配したとみられる武官一名に四名の護衛が加わった。

都を過ぎてからは、山を上下する白い道を歩いた。

先頭の武官が奥へ奥へと進むにつれ、テソクは心細くなるばかりだった。

険しい木々を抜けた先に、ようやく小さな空き地が見えた。

ホッとしたのも束の間、なぜか武官と兵士が足を止めた。

「これでお別れです……。でぃあーっー!」

次の瞬間、武官がテソクを一息に切りつけるや、その部下や荷物運びもろともその場で抹殺した。


まもなくコムゲによるオ・テソク殺害事件の速報が流れた。

と言うのもテソクと共に続々とコムゲの遺体が運び込まれたからだった。

しかしその背景には、同じ日に漢城府がコムゲの根城を一斉襲撃した事実が隠されていたのである。

これを聞いて、チョンスはかつてと全く同じ事件を思い起こしていた。

(オ・テソク殺害はコムゲに罪を被せようとする漢城府の罠なのでは……?)


コムゲに関する古い記録は、捕盗庁に保管されている。

それらを調べてみて、ムヨルはひとつ奇妙な点に気付いた。

(コムゲの頭の娘チェ・トンイ…)

記録によれば身元不明の遺体をチェ・トンイだと証言したのが、当時捕盗庁の従事官ソ・ヨンギであった。

ムヨルはこのときの人相書を持ってオクチョンの部屋へあがった。

「確かにこの娘を見た記憶があります……」

オクチョンは答えた。

少し前、実はとつぜんトンイが訪ねて来て、蝶の鍵飾りのデザイン画を見せられたのだ。

「見覚えはありませんか……?」

そんな風に問い詰められシラを切った。

コムゲに罪を被せた高官連続殺人事件ー

事件の黒幕オ・テソクと密談を交わしたあの晩のことを、オクチョンはまだ鮮明に覚えていた。

現場で失くした蝶のノリゲ……


今思えばノリゲを拾ってくれた子供がまさにトンイであったのだろう……

チェ・トンイ…




掌楽院のファンおじさんからの手紙を受け取ったトンイは息も震えるほどの衝撃を受けた。

ケドラが重傷を負って、妓楼へかくまわれていると言うのだ。

漢城府の襲撃から命からがら山を下りてきたらしい。

女官の話では都は今、大変な騒ぎになっているようだった。

そのせいかヨンギもチョンス兄さんもシム・ウンテクもなかなか姿を見せなかった。


夜まで待ったものの、とうとうトンイはケドラのもとへ自ら行くことにした。

監察府の女官に変装し、ポン尚宮たちが見ていないうちにこっそり宮中を抜け出した。

町の通りではケドラの人相書きがコムゲの頭として屋根付きのかわら版に貼られており、槍兵が物々しく歩き回っていた。

漢城府は全ての都の門を閉鎖し、すでに検問も強化されているようだ。

何とか無事に妓楼へ着いたトンイは、女将に信標を預け頼み事をした。

「これを見せれば港で王室の船を調達できるでしょう。ぐずぐずしてはいられません。早く!」

それはべっこうのような潰れた丸い形で花紋が彫ってあり、赤い組みヒモが通してあるものだった。

妓楼の執事らしき男が信標を預かり、慌てて港へと向かった。


ケドラはぐったりと寝床に横たわっていた。

ひょろりと背が高く、がっちりした体つきのケドラは、昔の丸くてのんきな面影が消え、心にも傷を負った繊細な雰囲気がした。

トンイはケドラのこれまでの苦労を思ったら、今にも泣きだしそうだった。

肩から背中にかけて巻かれた包帯は、まだどんどん血に染まっている。

動かすのもためらうほどのひどい怪我だ。船場に行くため何とか寝床から起こして、無理やり庭へ歩かせた。

その間にも激痛が走り、ケドラがうめき声をあげた。

縁側をおりて妓楼の門までほんの少しの距離なのに、一歩ずつがとても長いように思える。

「漢城府がこちらへ向かってきますっ!」

船を調達してきた男が緊急に駆け戻ってきた。

「トンイすまない。早く逃げろ……」

ケドラは顔をぎゅっとしかめたまま、息も絶え絶えに言った。だが次にはもう力尽きて、膝からガクリと倒れ込んでしまった。

トンイが懸命に助け起こそうとしたとき、ふと背後から聞きなれた声がした。

ハッとトンイが振り返ると、何とも悲しそうな、ひどく驚いたような王様が立っていた。

王様はオクチョンから急に散歩をうながされて、ここまで来てみたのであった。


すべてを見られた…


そう悟ってもトンイはケドラを決して離す気にはなれなかった。

何かにとりつかれたように無我夢中でケドラを支え、周囲を大勢の槍兵で取り囲まれているのに構わず歩こうとした。

だがいつの間にか兵士に腕を取られたケドラが逆の方向へ連れ去られていく。トンイとの距離がみるみる開いていった。

「ケドラ、ケドラぁあーー!」

トンイは兵士どもの波間から懸命に叫んだ。

トンイの心乱れた姿を眺めていた王様は、大きな失望をひとまず胸の奥へこらえた。

「トンイっ! もうやめるんだ。やめないか!」

ぴしゃりと叱りつけられ、はたとトンイは我に返った。

その瞬間、恐ろしい現実にうちのめされたのだった。


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トンイあらすじ 43話 「苦渋の決断」

「その場に淑嬪様がいらっしゃったのですよ。あろうことか王様がお出ましになりまして!」

赤鼻の男は本当に無念でならないという風に、今にも泣きだしそうな顔をした。

ヨンギは耳を疑い、最初は顔をひどくしかめた。しかし彼らの話ぶりからして、どうも本当であるようだ。

漢城府では数名の門番が二階建てのやぐら門の内側に立ち、ざあざあ降りの雨音を聞いていた。
帽子のつばと長衣の影が板扉まであがっている。そのそばをヨンギらが横切ろうとしたとき、兵士の二人が三又の槍を左右から交差させ行く手を阻んだ。

腹の虫どころの悪いチョンスが、兵士の首に刀をあていきり立った。

「今すぐここを通さぬかぁ!」


もしヨンギが刀を下ろすようにいさめなかったら、危うく切り捨てる勢いだった。


「淑嬪様、淑嬪様ぁー」

ヨンギが門から大声を出してみたところ、騒ぎを聞きつけたのかそれとも偶然か、ムヨルが表へ現れた。

「これはどういうことか、話が聞きたい」

ヨンギが尋ねた。

「淑嬪様に落ち度がなければ、何でもないことではありませんか…?」

少々挑発的なムヨルの口調に、ヨンギは頬をへこませ表情を硬くした。

結局、この場ではどうにもならなかった。そうこうするうち王様からも詳しい事情を知りたいとの仰せがあった。

ヨンギはこうなったらすべてを打ち明ける他ないと判断した。そもそもトンイに過去を隠せと言ったのは自分だったからだ。

すぐにも出掛けるつもりが、チョンスに土下座で懇願された。

「お待ちください! 私が行きます。ヨンギ様は生き残らなければなりません…! そうでないと他に宮廷で王子を守る者がいなくなります」

足元を見下ろしたままヨンギは思わず黙り込んだ。

じっとしていることの方がどれだけ辛いことか。

何もせず自分一人だけ助かることが……

それでもヨンギはあごひもを解き、笠帽をゆっくりとテーブルへ伏せた。

そうしてチョンスが部屋を出たのを見計らって、たった一人声を押し殺して泣いた。


王様は執務室にこもって頭を抱えていた。

何かの間違いであろう…?

トンイはなぜ罪人と一緒にいたのか……

あそこで何をしていたのか?


あの日、トンイが漢城府へ連行されるのを、王としても止めることはできなかった。

ヨンギでもチョンスでもいい。今は何らかの裏事情を知っていると思われる彼らの口から、納得できる理由をどうしても聞きたかった。

チョンスが参上するなり、王様は待ち兼ねたように問い詰めた。

「淑嬪が話そうとして私に言えなかった秘密とは一体何なのだ……?」

だがいざチョンスが口を開きかけたとき、ハン内官の案内でとつぜんトンイが現れたのだった。

「私からお話いたします……チョンス兄さん、そうさせて頂けませんか……?」

トンイはどうも取り調べ前に、漢城府の許可を得て来たらしかった。

「王様。私は……私はチョン・ドンイはないのです。パンチョンで生まれたオジャギンの娘……そして辛酉の年にコムゲの頭である父を亡くしました。チェ・ドンイー。それが本当の私の名でございます」

王様はハッと雷を打たれたような顔になった。

「何も言うな。それ以上、何も言ってはならぬ!」

トンイがその後の経緯を説明しようとする間、うつろな表情で何度も首を横に振り続けた。

しまいに泣きながら、かつ怒りにとらわれた王様は、ハン内官にトンイを部屋から出すことを硬く禁じたのであった。


おかげでトンイはひとまず漢城府へ戻されずに済んだ。
自分の部屋でおくるみの赤ん坊を膝にのせていると、いっけん何事もなかったかのように時間が過ぎていく。
指でトントン拍子をつけてあやされた赤ん坊は、口を開けたままスヤスヤと気持ち良さそうに眠っていた。

この子といずれは離れなければならないー

重臣らは決して見逃しはしないだろう。

そう思うと可愛い寝顔を見るにつけ、悲しさが込みあげた。


王様は自分が惨めであった。

ケドラの供述によるとコムゲ再結成の理由は、両班にこき使われ無残に殺された人々の恨みを晴らすためだという……

本来罪に問われるべきは、国王である自分なのだ。

今思えばトンイは前々から事実を話そうとしていた。それを感じながらも自分は問おうとしなかった。

トンイが罰を受ける…? そんなバカなはずはない。


王様は頭をひねくり回して考えた。

コムゲに脅されて仕方なくやった。

果たしてこんな見え透いた嘘を、重臣や民が見逃すだろうか…?

だがトンイを守れるのならいっそ……

何だか王であることがどうでも良いと思えてくる、こんな自分が情けなくてしょうがなかった。

王様はたまらずトンイの部屋まで様子を見に行った。

「トンイ……お願いだ…! すべてを伏せさせてくれ。そなたを手放したくない。何も起こりはしない。何も起こらなかったのだ……!!」

王様はすっかり取り乱して、まるで駄々っ子のようだった。

でもトンイがそう望んでいないのを、よくわかってもいるのだ。

「私の言うことがわからぬのか……? わからぬのか…?」

王様はしまいにトンイにしがみつき、声をうらがえして泣きじゃくった。

王様のそんな苦しむ姿を目の当たりにして、トンイもまた一緒に涙をこぼした。


漢城府へ急きょ都承旨が派遣された。

王命が出されたのである。


トンイの取り調べを禁止するようにとの知らせを聞いて、オクチョンはすっかり絶望した。

王様は常に公正な人だった。

それがこのように心乱れるとは……

王様にとってトンイとは、それほど深い存在なのか……?

だが漢城府のムヨルがうかがいに現れたときには、オクチョンはすでに腹を決めていた。

「構わぬ。淑嬪のことは放っておけ」

放っておいたところで、この状況が許されるはずはないからだ。

その後すぐにオクチョンの見立てが正しかったことがわかった。

仁政殿の前で大勢の重臣らが座りこみをはじめたのだ。

「王様! 淑嬪の罪は決して許されるものではありません。国の根幹を揺るがしたコムゲの頭の娘です。両班を犯したコムゲと共に大逆罪に問うのが妥当と存じます!」

町には触れ文も貼られた。

「王様は側室に目がくらんじまったようだ。情けない!」

野次馬たちは悪口を言いあった。

城壁前では儒学生らの抗議の声が響いていた。王様のもとには連日、抗議文が山のように届けられた。

漢城府はトンイに手出しできない代わりに、おつきのポン尚宮…監察府のチョン最高尚宮…チョンイムらを捕えた。

さらにコムゲの一味だったことが明るみとなったチョンスも逮捕されたのである。



2012/2/7更新



トンイあらすじ 44話 「耐えがたい苦しみ」

トンイが出頭したとの知らせを受け、王様は馬を飛ばして漢城府へ駆けつけた。

しかし時すでに遅しだ。自白した後だという。


トンイが身分を隠していた事実…

コムゲとの関係…

ケドラの逃走援助…


それら全てが記録に残されることになった。


一方でトンイの自白と引き換えにチョン尚宮、チョンイム、ポン尚宮、おつきの女官たちが釈放された。


王様は失意のうちにありながら、トンイを守るためなら何だってやってやるという気持ちだった。

ところが一夜明けてみると、なかなかそう思うようにはいかなかった。

シム・ウンテクの説明によるところでは、障害となる要因がいくつかあった。

トンイの処罰が決まるまで重臣や高官、儒生らが登庁、受講を拒んでいること……

波紋が下級官吏にも広がった結果、辞職する者まで現れ、各種業務がマヒ寸前となり、もはや民衆に支障をきたしていること…


処罰が下るまでの間、トンイの身柄はとりあえず住まいへ返されることになった。

しかし不安な生活が影響したのか、どうも赤ん坊の顔色がおかしい……

「乳を飲めば落ち着かれるでしょうから、乳母を連れて参ります…」

若い女官がそう言って部屋をあとにした間、トンイは赤ん坊をあやし続けた。

ところがぴたり泣き止んだと思うと、またすぐにぐずりだす。

やっぱりどうもおかしいと思って袖をめくってみると、なんと坊やの小さな手に赤い斑点ができていた。


診察の結果、ハシカとのことである。

医官は熱を下げるために、赤ん坊にしては強すぎる薬草の処方を口にした。

「ひよどり花を使ってはどうか…?」

トンイは医官に提案をしてみた。

ところがどうも医官は、庶民の療法を試すわけにはいかないし、ヒヨドリ花もすぐに入手できないと考えているようだった。

それなら自分で探してみようとトンイは庭へ出ていった。
紫色で細かな毛の特徴などを伝えて、女官たちにも手分けして探して貰った。

草の中からようやく一本、背丈のある草を見つけた。
葉がぎざぎざで、茎から枝分かれした先に小花が集まっている。根元まで確認して確信を得た。

「見つけたわ!」

さっそく土掻きの道具で根を掘り起こして、ヒヨドリ草を引き抜いた。嬉しそうに女官らに作業の中止を知らせ、御殿までの道のりを急いだ。

……気のせいか泣き声が聞こえる。それが御殿が近づくにつれどんどん大きくなるようだった。

どうも嫌な予感がしてトンイの足取りは早くなった。

御殿前の石台にハン内官や王宮殿の尚宮、女官たちが集まっているのがわかった。

泣いているのは彼らであった。医官までもが声をあげて泣いている。

王様がすっかり青ざめた様子で、部屋からふらりふらりと出てきた。


かわいい坊やが亡くなったのだー


出棺が終わり、赤ん坊の部屋から次々と家具が引き揚げられていく。

鶴の絵のついた観音開きや、下が引き出しになった棚など、朱色の家具が地べたへ仮置きされた。それ以外にも女官たちが荷物を風呂敷袋に入れて次々と外へ運び出していた。

王子を守る責任から解放されたヨンギは、このタイミングで王様に辞職願を出した。

トンイに関する秘密を事前に知っていたことを告白したのであった。

ところが困ったことに、そうされては王様の心労が増すらしい。

王様は辞表を突き返した。

大切なものの多くを失い、まだこれからトンイの処分をしなければならない……それは王様には何より辛いことだったのだ。


その後、王様は処分を発表した。

コムゲの首謀者ケドラは打ち首、

それに賛同した者は流刑とする……

親衛隊のチャ・チョンスは身分を偽った罪で流刑

併せてトンイの父チェ・ヒョウォンが頭だった当時にコムゲの犯行とされた両班殺害事件は、判決を無実と改められた。


身分を隠したうえコムゲをかくまったトンイは、王子を亡くした悲しみを考慮して、側室の地位は残したままで宮殿からの追放とされた。

王様はこの発表の最後に、今をもってトンイに会わないことを重臣らの前で誓ったのである。


トンイが追放された際には、ポン尚宮と女官のエジョンがお供を申し出た。

見送りの場に顔を見せたのは、監察府のチョン尚宮、チョンイム、シム・ウンテク、ヨンギだった。

トンイは飾りのないヒスイのかんざしに、グレーのスカートという地味な格好で現れた。

地べたに座り込み、今まで暮らした寶慶堂に向かってお辞儀をし、布張りの黒いコシに乗った。

トンイの人柄を慕った役人らが途中で部署などから出て来て、回廊の下をくぐり抜ける輿をそっと見送った。

トンイに命を救われた監察府のユ尚宮と仲間の女官たち…赤鼻の武官…内官…尚宮…一般の女官までもが道の両側から深く頭を垂れた。

輿が宮中をひっそり進む間、道すがら見送る人の列が途切れることはなかった。


ポン尚宮と女官のエジョンが井戸のそばに座り込んで洗濯をしている。エジョンの水がこっちにかかるや、ポン尚宮が洗濯棒でわざと激しく水を跳ね返した。

トンイは近所の野原へ出掛けていた。
ふきのとうのような食べられる草を収穫するためだ。土掻きで根を堀り起こし、土を払い落してからザルへ入れた。夜には繕いものをして過ごした。


ある夜、ハン内官がぐてんぐてんに酔っ払った王様をトンイの小屋まで連れてきた。王様に命じられ、ほとほと困り果てここまで付き添ったようだった。

王様は黒帽子を背中にずり落として、うつろな目で懐かしそうにトンイの手を握りしめた。

トンイに話があると、しきりにうわごとを言っていたのが、部屋に転がり込むなり、床へ突っ伏してしまった。

トンイが蜂蜜水を出そうと思って立ち上がったそのとき、強い力で手首をつかまれた。

トンイを引っ張り寄せた王様は、ひどく悲しい目をしてこのときばかりは酔いがさめたように見えた。
「そなたが憎い……恋しくてならならい……それを言いに来たのだ」
王様は酔いに任せてそう口走ったものの、かえって余計に苦しさが増したようだった。
トンイなしではどう生きたらいいのかさっぱりわからなかったのだ。
本当はいっそこのままトンイと逃げてしまいたかったが、それは決して許されないことだった。

一夜が明けた。

鳥のさえずりと共に白さの残る朝が、王様の酔いを完全に冷ましてくれた。

王様はトンイの住む小屋を出て、ワラ屋根の門をくぐった。
このままいくと晴天になりそうな空だった。

「二度と余をここには連れてくるな…」

王様はハン内官に厳しい声で呟いた。
門のそばへ待機していた三名の護衛が王様に会釈した。


ポン尚宮が瓜を輪切りというより、ぶつ切りにした。真っすぐ切るつもりが、力んでしまってどうしても斜めになってしまうのだ。

女官のエジョンの帰りが遅いのもイライラの原因だった。

すでに鍋ブタの間からしゅんしゅんと煙が立ち昇りはじめていた。

エジョンがまるまる太った魚を三匹吊るしてようやく帰ってきた。
桟橋で手に入れたものだという。

数か月ぶりの魚に、ポン尚宮は目を丸くして喜んだ。

せっかくの魚を台無しにしてはもったいないからと、トンイが自ら調理をかって出た。

ところがどうした訳か、生魚の臭いにうっときて、トンイが庭へ駆けて行ってしまったのである……

胸をたたいて一息つき、今日は何日かとポン尚宮に聞いた。

「八月六日ですよ……」

何気なく返事をして、ポン尚宮はハッとしたのだった。


2012/2/14更新



トンイあらすじ 45話 「募る恋しさ」
「朝鮮の名物を紹介して頂き、さらには詩も一句、賜りました。聡明な世子様で、朝鮮はますます安泰ですなぁ」

清の男は歓迎行事で世子のガイドにすっかり満足し、おべっかも忘れなかった。息子を褒められた王様もまんざらではない。

世子は恥ずかしがっているのか少し顔色が悪いようだ。

テーブルには棒の揚げ餅、平餅、桃、梨、なつめ、栗、焼鳥などおいしそうな御馳走が並んでいる。六名の踊り子が天女のように舞い、楽師らの木笛や琴の演奏が鳴り響いた。

頭を押さえ苦しむ世子に、いまだ誰も気付いていない。危うく清の男の方へ倒れかけ、慌ててハン内官が受けとめた。

他の内官らもバタバタと壇上へ駆けあがった。武官らは騒ぎを収拾しようとやはり壇上の方に向かった。一方兵士らは広場を横切って移動をはじめた。

演奏がストップし、踊り子はオロオロと立ちすくんでいる。重臣らは椅子から立ちあがって様子をうかがうばかりだった。


世子の診療には主治医でなく、格下のナム医官が行った。

西人チョン・イングクの話によると、ここ数カ月の間東宮殿によく出入りしているのは、このナム医官の方だとのことだった。

イニョン王妃はそれをまず奇妙に思ったのである…

診察を終えたナム医官はオクチョンに、めまいだっとまずは告げた。

「世子様のお体は元来弱く、あらゆる煎じ薬を試していますが効果が見られません。このまま好転することがなければ恐らく、世継ぎを望まれるのは難しいかと…」

医官はそう告白するや、まるで責任を取るかのような勢いで、深々と頭を垂れた。


まぁそう焦ることはあるまいと、オクチョンをたしなめたのはヒジェであった。

なにしろ今や世子の座を脅かす者はないのである。

事実あれから七年にもなるというのに、トンイはいまだ王様から見放されているように見えた。

オクチョンもあるいはヒジェの言う通り、とり越し苦労ではないかとも思った。

しかしどんな状況であろうと、世子の病を知られはならないことには変わりがない。

たとえば王様が知ったらどうなるか。

もしも王子が世継ぎができないと知ったら…?

果たして世子の座は…


クムが産まれてすぐ、トンイのもとへ王様から手紙が届いた。

それには半紙いっぱいに温かみのある字で「吟」と書かれていた。

明るい光となるよう願いを込めて、王様が我が子につけた名前であった。

細い毛がきれいに生え揃った子は、話しかけるととがった口を開け、潤んだ瞳をトンイに向けた。

それからもう七年が過ぎ、その子が今では近所の書堂へ通うようになった。

板間のムシロに机を三つずつ並べ、机の左に硯箱、右側へ教科書を置き、先生の言う通りに生徒らが音読をしている。

絹の羽織の背中へずきんを垂らした裕福な子がほとんどの中、クムの見た目は庶民と何ら変わりがない。

クムは授業の間、退屈で眠くなってしまい、首をぐらりとさせて大きな船をこいだ。ハッと目が覚め慌てて暗唱に加わったものの、どうやらワンテンポ遅れていたらしい。皆がわざわざ振り向いてバカにしたように笑った。

「お疲れなら他の部屋で寝ますか? 王子様は模範となるべきではありませんか…」

先生はすっかりあきれて渋い顔だ。クムは本当に申し訳なく思って頭を掻いた。

先生が再び授業の続きを始めた。

「王子ったって母親は賎民で、罪を犯して宮廷から追い出されたんだ。イヒヒヒ…」

生徒の一人がこっそり嫌味を言って、周りの数人が一緒になって笑うのが聞こえた。クムは自分のことはともかくとしても、立派な母さんのことを悪く言われ、歯をむき出しにするほど悔しがった。


「中庸と大学を見なかったか? ここに置いたはずなのだが…」

トンイが文机の下棚の本も全部出して一冊ずつ表紙を調べている。

「ああ、その書でしたら王子様のお部屋で見ましたよ」

床の拭き掃除をしていたポン尚宮が何気に答えた。

ポン尚宮の言う通りだった。本はクムの文机に置いてあった。

「エジョンが持って来たのではないと思います。私でもありませんから王子様がお持ちになられたのでしょう。いくら何でもまだ読むのは難しいでしょうに。枕ですか?」

トンイはクムが本を枕にしたとは思わなかったが、少し気にかかることがあった。クムが大人でも難しいことわざを、以前にすらすらと口にするのを聞いたのだ。

先生に自宅まで来て貰って尋ねたところ、意外な返事がかえってきた。

「王子様は小学をすべて暗記されておられます。それだけではありません。すでに中庸と大学も理解しておられるのです」

中庸と大学は学者たちでさえ理解が難しい本であった……



クムは父上に一度も会ったことがなけど、トンイ母さんからいろいろな話を聞いていた。母さんの話はレパートリー豊富でクムも楽しみだった。

共通するのはいつも父上のことを決して悪く言わないことだ。

クムはときどきトンイ母さんが、父上を恋しがって一人で寂しそうにしているのを見かけることがあった。そういうのを目にすると、父上はもう母さんのことを忘れてしまったのかなと心配にもなった。


しかし上手い具合にそれを確かめるチャンスが到来した。

「毎年、王様が賎民の村の子供たちを宮殿に呼んでくださるんです」

塾の帰りにたまたま鉢合わせた顔見知りの貧しい子がクムに教えてくれたのだ。

前歯の抜けたその子は御馳走が食べられるとあって、とても嬉しそうだった。

クムも早速その子らについて行き、ブロックアーチ門の列に並んだ。

内官は子供らの数を把握するのにすっかり気をとられている。両側には怖そうな門番が立っていた。

クムは顔を墨で汚して、なるべく賎民らしく見えるよう工夫した。

まもなく入場がはじまり、最初の門を抜けたところで内官が、この先の短い石段をのぼるよう指図した。

クムも皆に混じってきょろきょろ宮殿を眺めながら歩いた。父上のいる所へ近づくという感じがしてワクワクする。

朱色の柱と門の中央の扉をくぐったあと、クムは密かに皆と離れた。

赤柱の宮殿や石回廊などを抜けてしばらく、煕政堂の額を掲げた建物を見つけ、いよいよ王宮殿へ入ったのだとわかった。

早々にもベルベットのような靴を履いた王様らしい人がちょうど回廊の橋を渡ってきた。

衣の肩に足の指が開いた龍金の刺繍がほどこされているのを見て、まず間違いないと思った。

「父上ーっ、父上ぇーっ!」

無我夢中で駆けだしたクムを、

「こいつ、何様のつもりかぁー!」

と武官が行く手を阻んだ。

ところがどうも声は届いていたらしい。龍の衣がくるりとこちらへ振りかえった。

武官がうやうやしく頭を垂れたその人の顔を見て、正直クムはガッカリした。

てっきり王様だと思ったのに、年上の少年だったからだ。きゃしゃな体だが成長期で武官よりもすでにうんと背が高かった。

「申し訳ありません。この子が騒いでおりましたので追い出そうと…」

武官の説明に世子はわかったという風に軽く手を掲げた。そうしてクムの目線に合わせてひざを下した。

「私を父上と呼んだか?」

声変わりしたばかりの甘くて細い声だ。人違いされたことに腹を立てた様子は全くない。

「幼い賎民だから知らぬのだな。この国で王様のことを父上と呼べるのは王の子だけだ。罪に問われるから気をつけろ」

親切心から一応は忠告しながらも、まるで可愛い弟を見るように笑った。

「私はちゃんと知っています!」

クムに強気に言い返され、一瞬、戸惑いの表情を浮かべた世子はすぐ後ろの気配に気付いて、すっと姿勢を正し会釈した。

「恐れ多くも賎民の子供が世子様を足止めしたのでございます!」

武官がお供を大勢引き連れたオクチョンにそう報告した。

オクチョンはぎろりとクムを見下ろし、てっきり粗末な賎民と思い込んだようだった。

このまま御殿へ戻りましょうと世子に催促されなかったら、この無礼な子供をむろん処罰しただろう。

その代わりに武官がクムの首根っこをつかんで、最初のブロックアーチの門から放りやった。


虫の音のする夜、散歩へ出掛けた王様は、小さな子が道端にしゃがみ込んで泣いているのを見つけた。

悲しくて声がかすれるほど泣くとは、一体どんな理由だろうか……

王様がハンカチを差し出すと、クムが黙って涙をぬぐった。そうしてまだ涙の残る目でじっと王様を見つめながら、王様の手に小さな指をかけた。

王様がふともっとよくこの子の顔を見たいと思ったとき、とつぜんクムが暗闇の方へと走りだした。

クムはまっしぐらにトンイの胸の中へと飛び込んだ。

トンイに気付いた王様は、ハン内官とあたふたと木の影へ隠れた。偶然だとしても会うのはまずい……

トンイは今までクムをさんざん捜し回ったのだろう。かなり動揺した様子である。

それもそのはずヨンギの他、監察府のチョン尚宮やユン尚宮にまで捜索を助けて貰っていたところだった。

大きく胸をなでおろしたトンイは、手のひらでクムの涙を丁寧に拭き取ってやり、どこにも怪我はないか、無事でなによりだったと涙を流した。

クムも母さんをどれだけ悲しませたか初めてわかって、一緒に泣きじゃくった。

王様はみるみるうちに蒼白になった。肩から全身が震えてきた。

七年ぶりに見るトンイ…

心の中で死ぬほど会いたかった息子があそこにいるのだー


ある日、クムは書堂の石段をあがろうとし、後ろから手をつかまれた。

昨日ハンカチを貸してくれたおじさんがクムの体をくるりと回して、しーっと唇に手をやった。

門の上を指さすので何かと思ったら、屋根との隙間にこっそり土が盛ってある。木戸の裏でいたずらっ子たちが、クムが扉を開いた瞬間、頭に土が降りかかるのを今か今かと楽しみに隠れていた。

王様が長い竿を使って扉をちょいと突ついてやったら、驚いた子供らの姿が丸見えになり、天罰のように頭にどっさり土が落ちた。


王様はクムの手を取り、市場の中を逃げだした。でも途中で息を切らして、クムに引っ張られる始末だった。

クムはチッチと舌を鳴らして王様にこう指摘した。

「育ちのせいか少しひ弱過ぎるようだ」

「同じことをおっしゃる…」

昔トンイに言われたのを思い出し、王様はしみじみと呟いた。

一休みしたあと王様は片ひざをたて、急にうやうやしくクムに頭をさげた。

「私は漢城府の判官です。王子様にご挨拶いたします…」



2012/2/28更新




トンイあらすじ 46話 「父と子」



すでに授業は始まっている頃だ。今さら書堂に戻っても門に鍵がかかっているし、戸を叩けば先生に怒られる。

王様はクムにこのままサボるよう勧めた。

「私も塀の上を飛び回ったものです」

そんなホラ話を真に受けたクムは、判官を意外と男らしいと思ったのだ。

王様はクムを連れて書店へ寄った。

何かぜひ買ってやりたいと思い、低学年向けの教科書「小学」と店で一番上等な書袋を選んだ。お茶のような色で絹地に薄っすら細かな花と葉の刺繍が浮かんでいる。白服の店主は銭を受け取ると王様にうやうやしく頭を下げた。

クムは少し困り顔になった。すでに小学は暗唱できる。どうせくれるならば大学や中庸の方がいいのに……


書店の外へ出たところで、トンカラトンカラ鐘や太鼓の響きと共に、花紙つきの笠帽子をかぶった大道芸人が歩いてきた。

天高く放った皿を棒でキャッチしたかと思えば、こっちでは糸の間をコマが行ったり来たりする。クムは王様と一緒に見物するのがとても楽しかった。

綱渡りの男は、扇子を頭の後ろでひらひら泳がせながら、つま先立ちでぴょーんと高く飛びあがるや、今度は股まで一気に落ちて再びぴょーんとつま先立った。

相撲観戦には、もっとも多くの人だかりができていた。

一人の巨漢が大活躍中で、すでにこれまで何人もの挑戦者が投げ飛ばされたらしかった。

「次に相手になるやつはいないかぁ」

行司が観客を見回した。しかしあんな巨漢を相手では、もう名乗りをあげる者もいないようだ。巨漢は自信たっぷりにニヤニヤしながら対戦相手を待っていた。

「ここにいます! ここでぇーす!」

クムが急に張りきって手をあげた。


「どうかおやめ下さいっ」

とすがりつくハン内官をよそに、土俵へと連れ出された王様はもうやる気だった。

(よーし。自分の活躍をクムに見せてやろう…)

意気込んで帽子をさっと脱ぎすてた。

外出着の上から行司が手早くまわしをつけるのを手伝い、衣をたくしあげた。それがまるで鶏の尾のようで、お世辞にも王様は全く強く見えなかった。

案の定、巨漢の男にあっと言う間に投げ飛ばされ卒倒寸前になった。果敢にも二度目の挑戦を申し出たものの片足を取られ、やはりすぐに倒されてしまった。

ムキになった三度目の挑戦で、ようやく相手のまわしを取ることができた。ところがいざそこから引っ張り上げようとしても巨漢はびくともしない。

そのうち巨漢の方も王様のまわしに手がかかり、がっぷりよつになった。王様の細い体は軽々と持ちあげられ、今度こそダメかと思われたのを何とか耐え抜き、逆に巨漢がやわらかい砂に足を取られて突然ひっくり返ったのだった。

大きな腹を丸出しにし、巨漢はまるで浜に打ち上げられたくじらのようである。

波乱の幕引きに人々の大歓声が起こった。クムは土俵を走り回って大喜びだ。王様はクムを肩にのせ、雄たけびをあげた。



「書堂にも行かないでどこにいたの?」

クムが家に帰ってみると、トンイ母さんとポン尚宮、女官のエジョンまでが庭に出て心配していた。

クムはしどろもどろになって頭を掻いた。案の定、母さんはだいぶ怒っていた。

今日一日あったことを正直に話して、判官と名乗る男に買って貰った小学と新品の袋を見せたところ、母さんが急に首を傾げた。

母さんはなぜか見ず知らずの判官のことが、どうも気にかかるようだった。


クムの今後について相談するため、トンイはヨンギとシム・ウンテクの二人に家まで来てもらった。

クムの飛び抜けた才能は、当面の間、周囲に伏せておくことで意見は一致した。

そうでなくても敵に命を狙われる危険が、いたるところにあるからだ。

書塾の先生の話では、現在この国でクムの教育ができる者を一人だけ知っているとのことだ。

「キム・グソンには殿下が何度も声をかけたが、これまで政治とは無縁の学者だけを弟子にしてきた経緯がある……」

この男は一風変わった男で、どうも承諾してくれるとは思えなかった。


百両もの報酬を受け取った怪しい男がその晩、仲間を集めてトンイの住む小屋へと忍び込んだ。

小屋の周りに干し草を置いて回り、たいまつで火を放った。扉の金具にカマの柄を差し込み、中から開けられないようにした。

クムの隣でそろそろ床につこうと布団をめくったトンイは、障子の隙間から煙が立ち込めているのに気付いた。

クムを急いで揺さぶり起こすと、口布をあてさせすぐに避難を試みた。

ドアは開かなかった。金輪の取っ手が高熱になり、触れることさえできない……

その間にも扉の向こうは、みるみる炎に包まれていく。クムは苦しがって、いつの間にか意識を失ってしまっていた。煙を吸い込んだようだ。

トンイはポン尚宮とエジョンの名を叫んだ。しかし離れの小屋から二人が出て来る物音は聞こえない。

すっかり行き詰まってしまったそのとき、天の助けか扉がこじあけられ、とつぜん武官が突入した。

武官はぐったりしたクムを背負い、トンイを外まで連れ出してくれた。

庭へ出て見ると、そこには不思議な光景があった。

まるで事前に予期していたかのように、兵士どもがハタキで屋根や壁の火を消して回っている。幸いなことにポン尚宮とエジョンも部屋から助け出されていた。

これらの兵士が一体どこから集まってきたのか……?

我が身はとうに王宮から見放されたはずである。

それが火事になった途端、まるで厳重な警備に守られていたかのように、たちまち命を救われたのだ。

その謎は武官が明らかにしてくれた。

「淑嬪様と王子様のことは、どんな時も我々が見守っていました……六年前に宮廷を出られたときから、そうするよう王様の密命があったのです」



王様はその晩にも、ハン内官から放火の一報を受けたのだった。

これによって、いよいよ動き出す名目ができたのであるー

御前会議で王様は、火事の現場で見つかった鎌をかかげてみせた。

「皆に問うー。余はトンイを死刑にすると言った覚えはない。王の血を次ぐ王子と、その母である淑嬪の命が、再び危険にさらされることがあった場合、そなたたちは命を持って責任をとれるのか!」

これにはさすがに反対派の重臣たちも、王様が二人を宮中へ戻すというのを止める訳にはいかなかった。


王様はこれまで一瞬たりとも決してトンイとクムを忘れたことはなかったのだ。

たとえ長くかかっても、トンイを助けるチャンスの来る日を、あきらめずに辛抱強く待ち続けていたのであった。



2012/3/4更新




トンイあらすじ 47話 「王子の意地」

王様はクムをヨニン君に……かつトンイを従2品の淑儀にするよう都承旨へ手続きを命じた。

トンイとクムを乗せた2台のコシが、内官や槍兵や武官や青衣の役人と共に宮中へ入っていく。

クムは黒頭巾をかぶり、衣は金の文様が縁取ったのを着ていた。

トンイの方は鳳凰のかんざしに、金銀の草花が袖にほどこされた上着姿である。スリット入りの前衣がうちわのように垂れ、スカートのすそ帯紋様がきらりと光った。

やがて親子は石畳の道を手をつないで歩いた。内官らが両側で頭を垂れ、また監察府の女官や赤服の重臣らは総勢で出迎えた。

念願だった宮中に来られてクムは夢見心地だった。

でもエジョンの話だと王様は虎より怖い人らしい……

そんな王様が自分を見て失望したらどうしようかと、だんだん心配にもなってきた。

トンイ母さんが王妃の部屋に挨拶に行った間、クムは眉を八の字にさげて庭で待った。

「坊や、坊や!」

お洒落なレンガアーチから例の判官が嬉しそうに石段を下りて来る。ビーズのひもの垂れた黒帽子をかぶっていた。

心細くなっていたクムは、判官に再会し思わず嬉しくなって顔を輝かせた。

「ちょうどそなたのことを思い出していたところだ」

そう声を掛けてやると、その男はうやうやしくクムの前へひざまずき、挨拶を口にした。

それからクムの不安に耳を傾け、身ぶり手ぶりで調子にのって自論を述べはじめた。

「考えてみるとあり得ますな……。王子様はあれこれ無礼を働きましたから。一国の王にまわしを着けさせ、相撲をとらせたのです」

クムは王様に会った覚えすらなかったから、迷ったような顔をした。そこへちょうどイニョン王妃と話を終えたトンイが庭へ出てきて、いかにも親しそうに判官に声をかけてきた。

「王様、そんな服装でどうされたのですか?」

王様はいよいよ正体を明かしてやろうという気になり、少々大げさな言い回しでいざ告白をした。

「王子様。余がこの国の王、王子様の父でございます!」

クムは途端に口を大きく開けて、飛び上がるほど肩を縮ませた。

いささかショックが効きすぎたのだろう……泣いてその場を後にして、慌ててポン尚宮と女官たちが追いかける騒ぎとなった。

トンイに怖い顔で説明を求められた王様は、しどろもどろに口を濁した。

「それがだな…。あの子がとてもかわいくて。こんなつもりではなかったんだ……」

今度ばかりは王様も大いに反省したようだった。


翌日、トンイとクムの任命式が小さめの中庭で行われた。

壇上にはベルベットの布をかけたテーブルが用意され、内官の一部とポン尚宮、女官のエジョンがそばで控えた。

道の両側には楽師と残りの内官、女官、武官、監察府の女官が出揃い、そばに警備兵がついた。

重臣たちの衣装は式典用のもので、背中に鶴が8羽並んだ化粧まわしが垂れている。鶴は白と黒、周囲はすべて金刺繍という贅沢な仕上がりだ。白帯の他に、硬そうな金ベルトを腰からリヤカーの取っ手のように引っかけていた。

王妃は外へ反り返ったかつらをかぶり、トンイは頭の周りにぐるぐる何重にも編まれたのを身に着けている。それには中に赤い布玉が一つと、銀や宝石を飾った小花の毬飾りが左右二つずつ仕込まれていた。

イニョン王妃の手から、トンイへ刺繍織りのピンクの巻き物が手渡された。トンイはそれを三色重ねの袖の中へ手を隠して受け取り、王妃と二人掛けのテーブルに着いた。

続いて黒革の厚底ブーツに赤衣と長帽子といういでたちでクムが登場し、濡れ色の石畳を歩いていく。その胸には一匹の金龍と、背景に雲の刺繍が広がっていた。

クムは壇上へ上がると、金冠をかぶった都承旨から王様の宣旨を受け取ったのだった。


トンイのかつての住まいには、立ち入り禁止ロープが張られている。オレンジ色のリボンをいくつもぶら下げ、注意をうながしてあった。

草屋根の門の辺りを警備兵がうろつき、中庭には官服の上に白い前掛け姿の捜査員が数名ほど見られる。捜査は母屋と離れで手分けして進められた。

一人の捜査員が窓枠の隙間に差し込まれた竹竿を手に取った。

先端に布が巻かれた燃えさしだー

トンイとクムの寝室の焼け跡が一番ひどかった。

火がわら屋根まで達して、扉の半分下がすっぽり焼け落ちるほどだ。

別の捜査員はハケで窓枠のすすを落として、持ち手が蝶の虫眼鏡で丹念に痕跡を調べていた。


捜査の様子を高台から眺めていた男が、すぐその足でオクチョンの実家へと向かった。

男はオクチョンの母親に、都を離れるための資金を貸して欲しいと申し出た。

オクチョンの母親は、渋々ながらも承知せざるを得なかった。

王様とトンイの復縁を恐れるあまりに、こっそり放火を依頼をしたからである……

船を調達してやることを約束し、人に見られぬうちに男を追い払った。その後、何事も無かったかのように息子のヒジェを笑顔で出迎えた。

「オクチョンはどんな様子でいるの?」

心配する母に、ヒジェはもんもんとした表情を見せた。

「煙たい女と王子が入宮したのですから、煮えくりかえっているはずですよ……」

その口ぶりからいって、事態はそうとう悪くなっている感じがうかがわれた。


イニョン王妃の部屋に一人の医女が呼び出された。

医女は世子担当のナム医官に仕える者だった。

イニョン王妃は、とある疑惑についての確認がしたかったのだ。

ところが話せば生きてはいられないと思ったのだろう……医女は怯えて涙を流すばかりである。

仕方なく薬材の記されたメモを眺めながら、イニョン王妃は頭をめぐらせた。

(オクチョンがわざわざ私家から薬を取り寄せたのはなぜだろうか……?)

いずれにしろ薬の成分を調べれば、世子の本当の病状が明らかになるはずだ。


宗学とは王族の教育をする官庁である。クムも最近になってここへ通いはじめた。

ずっしりと瓦屋根の張り出した楼閣で、一階は石柱の高床式、二階が講義場になっている。すぐ目の前まで山が迫り、後ろは池岸が見えた。

書堂と違うところは、先生の服装が赤衣だと言うことと、青衣の内官がそばに数名、控えている点くらいだ。授業風景はほぼ同じだった。

生徒は背中まで垂れた金の刺繍入りのずきんをかぶっており、すでに役人風の長帽子に、えんじの官服を身に付けた思春期の子もいた。

「二十歳になれば冠礼し、毛皮と絹の服が着れ…」

と先生が言うのを生徒はそのまま暗唱したが、やはりここでもクムは眠くなった。

船を漕いだり伸びをしたりするのを見た先生が舌打ちするような顔で、句を読み上げる声をわざと大きくした。

そんな噂はにわかにオクチョンの耳にも入った。

(小学どころか千字分もままならないとは……)

オクチョンは少し安心した。

わずか十三歳で大学の講義を終えた世子とは比べものにならないようである。

世子は三日後に侍講院(世子の教育を担当する部署)での冊札が控えていた。修学を終えて開かれるお披露目の宴であったー

この際、クムたちの中間試験と一緒に行ってはどうかとの教授の意見には王様も同意した。

「世子が手本を見せることで、生徒たちにも良い刺激を与えられるだろうからな」

これは王様にとっても楽しみだった。


当日は先におみくじを引いて句節を暗唱するルールで試験が実施された。

期待通り、世子は最初にすらすらと暗唱してみせた。

とりまきの重臣たちが、明るい将来がどうとかこうとか世子を誉めまくるので、王様もまんざらでもない気分だった。

次はクムの番になった。

クムが引き当てたのは“小学”立教編五章であった。

もちろんこんなの朝飯前だ。しかしクムはふぅと重いため息をついた。
トンイ母さんとの約束を思い出したのだ…

なぜか知らないが、皆の前ではできないフリをするよう厳しく言われていたのだ。

言葉に詰まるクムの様子に、重臣の一人がうやうやしく王様に向かってこんなことを言った。

「王様。淑儀様が賎婢の出身なのでヨニン君の教育ができなかったのでしょう」

慰めたようで、かえって嫌味に聞こえた。

先生ですら、さも被害者のような顔で共感して言った。

「もしそのままだったら小学すら覚えられなかったはずです」

母さんのことを馬鹿にされ、クムは内心、歯をむき出しにするほど悔しがった。


知らないふりというのは何と辛いことか…!


何か汚名挽回の方法はないものかと知恵を絞った結果、とっさにいいアイデアを思いついた。

「小学はダメですが、中庸か大学ではダメでしょうか…?」

クムの申し出に、赤衣の重臣はもちろんのこと、生徒たちまでが唖然とした。

皆の視線を一気に浴びたクムは、慌てて手のひらを振り釈明した。

「中庸か大学なら、知らんぷりしろと言われてませんので、暗唱できるんです!」

それを聞いて、皆はますます何かの聞き間違いではないかと思った。

それとも恥をかいて気が動転したあまり、おかしくなったか…


ところがひとたびクムの暗唱がはじまると、そこにいる者らは皆一様に驚いた。


「博学之 審問之 慎思之 明辯之、篤行之。ひろくにこれをまなび、つまびらかにこれをとい、つつしみてこれをおもい、あきらかにこれをべんじ、あつくこれをおこなう」


同じく驚き絶句した王様は、ふと我に返って青衣を急きたてた。
そうして青衣の手から書物を取り上げ、自ら句を読み上げるや、その意味をクムに確かめた。

クムはまたしても水を得た魚のようにハキハキと答えた。周りはざわめきたち、優秀な世子でさえ感嘆の息を漏らしたほどだった。

疑いを晴らせたクムは嬉しさのあまり、すっかり元気を取り戻した。

「わかっています。お父様! 私は大学と中庸を全てわかっているのです!!」



2012/3/13更新







トンイあらすじ 48話 「近づく嵐」


世子とクムが仁政殿で王様に謁見した。

大きな丸テーブルには中庸、大学など書物が重ねてある。

王様はクムを褒めるだけでは飽き足らずに、書物のページをめくって意味を尋ねた。

「これは前書きです。子思(中庸の著者)が教えを伝授するために書いたとあります」

クムの正確な解答を聞き、ハン内官や都承旨もすっかり感心した顔だ。

王様は小踊り出したい気分であった。優秀な息子を見るのが楽しくてしょうがない。

高らかに笑う王様を見てクムも一緒に嬉しくなったが、隣の世子はなぜかうつむいている。何か悩み事でもあるようだった。


ヨニン君が天才とわかり、王様と王妃は教育に力を入れる方針だ。

考えようによってはクムの侍講院への入学は、世子の階段をのぼる準備とも思える。

たかが侍講院の入学くらいで考え過ぎではないか…?

そう首を傾げる者も確かにいた。

しかし多くの重臣らはとうとう抗議のため便殿へ集まった。

王様にしてみれば、クムに才能に見合った教育をさせてやりたいだけである。しかしどうも侍講院というのが問題らしい。


騒ぎを鎮めるためにも、これはもう雲鶴先生にクムの授業を引き受けてもらうしかないー
そう判断したトンイは雲鶴に煙たがられながらも、毎日クムを一人で雲鶴のもとへ通わせることにした。雲鶴だって山里まで押しかけた子を、強引に放り出しはしまい。

王様もまたトンイの作戦だけでは頼りなく思い、一肌脱ぐことにした。雲鶴の住む山里まで自らのこのこと出掛けていったのだ。


でもどうやら留守のようなので、家の前の菜っ葉畑でも耕して時間を潰すことにした。
固い土をクワでこつこつ掘っていると、平たいかごを肩にさげた雲鶴がノラ仕事から戻ってきた。

「何をしているかぁーっ!」
人の畑を勝手に耕す細い男を見て、雲鶴は叱りつけた。

「余はヨニン君の父親である。畑を耕しゴマをすっていたところだ」

王様は悪びれもせず、なるほどこれが噂の雲鶴かと感慨深そうな顔をしてみせた。

雲鶴はあっけに取られ即座にひざまずくと、自分の無礼を詫びたうえで意外なことを口にした。

「私はすでに、王子様の師匠となることに決めておりました」

雲鶴はこの数日間、クムを見るうちに掃除や畑仕事もいとわない謙虚な姿勢に心を動かされたというのだ。
そういう人柄にクムを育てあげたトンイの教育方針にも、心通じるものがあったようだった。


もう一ついいニュースが飛び込んできた。

トンイとヨニン君を守るため、王様が流刑地からチョンスを呼び戻してくれたのだ。しかもかつての従事官から義禁府都事への昇進つきだ。


一方その頃、オクチョンの母親は腕のいい占い師の住む神堂を訪ねていた。

トンイ親子が宮廷に返り咲く名分を自分が与えてしまったことを悔みに悔やんだからだった。

女は50~60代くらい、五色の服を着て祭壇の前に座っていた。

ワラをもすがる思いのオクチョンの母親をちらりと一目見ただけで何もかもわかったらしく、勝ち誇ったような顔をした。

「もうすぐ死ぬのに占ってどうするのです?」

ひとことめから不吉な事を言われて、オクチョンの母親の顔はみるみる青ざめた。

「少し前に奥様が行った火遊びですよ……。そのせいで就善堂に災難が起こります」

これは尋常ではない。

何も教えてないのにすでに放火のことまでお見通しとは…

オクチョンの母親はいてもたってもいられず、帰宅早々、ヒジェに放火犯の黒幕が自分であることを打ち明けた。

するとヒジェは占い師の舌を引っこ抜いてやると神堂へ乗り込んでいったものの、女は刃物を首にあててられても顔色一つ変えやしない。

それどころかざまぁ見やがれとでも言うように、ねっちり口を曲げてヒジェにも一つ忠告してやった。

「こんな夜は動かぬ方がいいのに……。もっと利口な部下を持つべきでした」

それについてヒジェには心当たりがあった。

今の時間ちょうど部下に例の医女の家を見張らせていたのである。

見つけ次第、口封じに始末する手はずになっていた。

「皆を生かすも殺すも王妃様しだいということです……」

女はよほど自分の占いに自信があるらしく、手厳しい割には協力的だった。

「では王妃を殺せば生き残れるのだな?」

「はい。そうです」

女の三日月眉が高くあがり、すでに未来を見据えた風だった。



予言はずばり的中した。

部下がおとり捜査で捕まったのである。

しかも罠を仕掛けたのはイニョン王妃だった。

医女の命を狙った理由を追及されれば、それこそ世子の病状についても言い逃れができない状況となってしまった……


トンイはこの頃、イニョン王妃にクムの今後について考えを聞かれることが多かった。

今それを急いで聞きたがる理由がよくわからない……

ただイニョン王妃はある事情をつかんでいるように見えた。

それより気がかりなのは、王妃の心臓の具合が前々からあまり良くないらしいことだった。
トンイは王妃の状態を聞こうと内医院まで足を運んでみた。

するとちょうど薬材の調合が庭の外で行われていた。
種類ごと薬材が木箱に納められているのを医官が少しずつ取り分け、医女たちに急須で煎じさせている。
ウチワで火をあおぐと、急須にかぶせた紙の隙間から煙が漏れるので、辺りは視界が悪かった。

医官の話では王妃の心臓は最近になって、随分と悪化したという。


再びトンイを部屋に呼んだ王妃は、病状の悪化と感情の高まりを抑えるのに苦労しながらも決意を口にした。

「もうすぐ宮廷が今までにない大きな騒動に巻き込まれるだろう。だからこそ約束して欲しい。どんな瞬間が来ても、生き残って必ずヨニン君を王にすると…!」

トンイにとってその言葉は衝撃的だった。

(王妃は世子を差し置きクムを王にするおつもりなのだろうか…?)

王妃の目指すものが、何だかすごく怖い事のように思えた。

しかも王妃は今トンイにも同じ覚悟を求めようとしているのだった。


世子はナム医官と医女の目の前で、薬をきっちり飲み干すと、器を脚付きの盆へ戻した。

自分の部屋では世子は紫の筒帽子をかぶったままだった。立派な金龍の刺繍が黒衣の肩で暴れる一方で、空色の屏風絵には白桜の枝がひっそりと垂れていた。

「では数時間後にまた湯薬を持ってきます」

そそくさと帰ろうとするナム医官を、世子は引きとめた。

「私の飲んでいる湯薬は何だ?」

薬は内医院のものでなく、わざわざ私家から取り寄せたもののようだった。

一体何の病なのだろう……
このままでは不安ばかりが膨らんで落ち込む一方なのに、母から病名は知らされていない。思い切って今日こそは直接、医官に聞いてみようと思っていた。

ところが医官は言葉を詰まらせ、やはり何も答えようとはしない。
そうまでして隠さねばならない病とは何なのか…?



2012/3/20更新



トンイあらすじ 49話 「王妃の願い」

イニョン王妃が倒れた。
医官の話ではもう手の施しようがないという。
真心痛 (心筋梗塞)を王妃はこれまでひた隠しにしてきたらしい。
病状の程度を探るようにとオクチョンから命じられた尚宮は、まもなく意識不明の知らせを持って戻った。
(イニョン王妃に握られた証拠を、いましばらく隠し通すことさえできれば…)
オクチョンは生き残る道が再び開けたような気分だった。
自らイニョン王妃の見舞いへと足を運んだところ、足元に2人の医女が控え、医官が王妃の脈をとっていた。オクチョンはその寝顔をじっと見つめた。

 (おわかりですか? 世子の座は揺るぎません。そうなればこの中宮殿は結局私のものになるということを…!)

王妃に心の声は届いたろうか。イニョン王妃は三つ編みを下ろして白い内着で眠っていた。呼吸のたび眉間にしわを寄せ、いかにも辛そうな顔に見えた。

オクチョンにはすべき事があった。そのためヒジェを呼び出したのだ。
例の医女を探し出すよう言われて真っ先にヒジェの頭に浮かんだのは、巫女の言葉だった。

 ~王妃の命の灯は尽きています。ですがそう簡単には逝かないでしょう。最後に死力を尽くす姿が見えます ~

巫女の予言は今から考えれば恐ろしいほど正確だった。
しかし死力を尽くすとは…?
王妃が世子の座を下ろそうとしているのか。

ヒジェは再び巫女のもとへ飛んで、より具体的な情報を欲しがった。すると巫女は風呂敷包を差し出して、
「どうされますか? 最後のわらをつかみますか?」
と真っ赤な口を結んで返事を待った。
この包みの中に何が入っているのかー
想像するだけで身の毛がよだってくる。
それでも決心を固めるや、ヒジェは震える手で風呂敷をつかみ、その場を立ち去った。
わらをもつかむとの言葉通り、もはやこれしか他に頼れるものがなかったのだ。

企みはその晩にも実行へ移された。
王妃の危篤を受け、すでに警備は強化されていた。ヨンギとチョンスの指令を受けた兵士らが、中宮殿の周囲を取り囲んでいる。
そんな中をオクチョンの母、その侍女、巫女の3人が頭から外套をかけて王宮へ忍び込んだ。
宮中の門番はこんな遅い時間にオクチョンに会いたいという要求に戸惑いつつも、ただならぬ気迫に押されて行く手を開けた。
一行は回廊沿いのほのかな提灯を頼りに庭へ入った。
「どうすればよい?」
中で落ち合ったヒジェが取り急ぎ巫女に尋ねた。
「可能な限り中宮殿の近くに行きましょう…」
巫女の低い声が夜の空気に触れ震えた。
ヒジェは賓客を迎える丁寧な対応で、巫女をイニョン王妃のいる中宮殿へと導いた。
中宮殿の外塀まで着いたところで、いったん内部の様子を観察した。表の方はタイマツを手にした兵士の出入りが激しいようだ。
そこで裏庭まで回ってみると、一転してひと気のない闇が広がっていた。
ヒジェが見張りをしている間に、巫女が茂みへしゃがみ込んで風呂敷包を解いた。
籠の中から呪いのセットを取り出した。てん書体の2枚のおふだは朱と黒の文字で書かれている。それを地面に敷いて、さらにその上へわら人形をのせた。
王妃姿の手作り人形は黒布と白布を縫い合わせ、頭と顔に見立てたもので、棒状の体に金色の絹衣と赤い蝶柄スカートを着せたうえに真珠色の前掛けが垂れている。
「驪興閔氏」と書かれた王妃の名札をそばにのせるや、巫女が黄紙に火をつけた。スカートからのぞいたわらの足から、呪いのおふだへ順々に火を移していく。
メラメラと燃え盛る炎のなか、巫女が鈴つきの杵を小刻みに鳴らし呪いの術を念じはじめた。
「東西南北、四方八方 息の音を止めてくださいぃ ~」
ヒジェが辺りを警戒したおかげで、いっそうお経にも熱が入り、鈴を掻き鳴らしては天地神妙に祈りを捧げた。

トンイはイニョン王妃のおつきのアン尚宮を問い詰めることで、ようやく王妃の懸念を知ったのだ。
問題はイニョン王妃が女官のチョングムにしか、保護された医女の居所を教えてないという点だった。
(一刻も早くチョングムに聞き出さなくては……!)

しかし悪い予感は的中した。
一足先にヒジェの一味にチョングムが連れ去られてしまったのである。
ヒジェはチョングムから医女の居場所を聞き出すなり、手下どもと蛇駱山のふもとにある隠れ家へと直行した。
ところが小屋の扉を次々に開け放し、中を見まわしても、なぜかそこに医女らしき姿はなかったのだー

どうやら何者かが先回りしたようだ。
一体誰の仕業なのかー?
あ然としたのも束の間、部下が急を知らせに来た。
「内禁衛の兵士たちがこちらへ駆けて来ますっ!」
これでは医女を捜すどころでは無くなった。
大慌てでその場を立ち去ったのはいいが、そのときヒジェの衣からぽろりと短刀が落ちたことに何ら本人は気付かずにいた。


雨が激しくなり、現場へ到着したチョンスの帽子からどんどん滴が流れ落ちてくる。
小屋はすでに何者かに荒らされ、もぬけの殻となっていた。
それでも手掛かりが全くなかった訳ではない。
チョンスは庭のぬかるみに、あるものを見つけた。
(短刀だー)
黒塗りのさやに、ピンクにも輝く貝殻細工がほどこされ、見るからに上等品のようだった。

医女は誰が連れ去ったのか…?


ヒジェや内禁衛よりも先に医女を捕えた人物ー
それは漢城府のムヨルであった。
世子の婚姻を引き伸ばそうとするオクチョンを見て、不安を覚えたからに他ならない。
(このままオクチョンの味方をしていいものか……?)
解決策としては捕えた医女から理由を聞き出すのが一番の早道だった。もし不都合な材料があるならば、当然、今後の身の振り方を考え直さなければならないだろう。
事はそれだけ急を要した。


菖蒲で花輪を作れば病気が逃げていく。
そんな噂を聞いて、クムは王妃にプレゼントしようと思いついた。
さっそく階段の石積みの庭へ行って、稲のような草むらを掻き分けながら、根元をカマで掘った。
「これはなんだろう!??」
クムはびっくり仰天した。なんと草むらから人形の燃えカスと、すすで黒ずんだ表札が出てきたのだ…

わら人形の発見を受け、監察府では直ちにイニョン王妃を呪ったとされる容疑者の捜査を開始した。
表札に付着した土がまだやわらかかったことから、そう時間は経っていないと見られた。
ここ1日か2日かのうちに入宮した者ー
それらの名前をあたってみるよう速やかに指示が出された。


2012/3/27更新



トンイあらすじ 50話 「兄と弟」


宮中ではイニョン王妃の葬儀の準備が進められている。

葬儀に必要な花、ござ、金の燭台などを持って、大勢の女官や役人が熙政堂の階段や石橋を行き交う姿が見られた。

建物は高床式で水のない掘に建っている。正面から急なアーチの石橋がかかって、堀の左右の階段ともつながる構造だ。

石橋には幟旗が竹竿から揚げられ、墨で一行文字がかきつけてあるが、葬儀の際の輿にもそれは伴われた。

役人は白い筒帽子、女官は後ろ髪に白いリボンを垂らしてあるいた。白以外なのは役人のベルトが唯一黒であるくらいだった。


式の当日、棺には朱色と房飾りの布が被せられた。それを美しいオレンジ色のリボンで結んで、角材と板で組み立てたベッドのような台にのせられた。

台の色は赤で紋様や枠が彫り込まれている。彫ってない部分にも金が塗りつけられ、さらに上側の縁が冠型にカットされた豪華なものだった。

イニョン王妃の部屋から白衣の役人らが棺を運び出した。それは御殿の石台でいったんくるりと方向転換した後、出発に至った。


葬儀が終わると、王妃の御殿から生前使用した家具やお膳の片付けが早々にも始まった。

トンイはその様子をしばらく見守っていた。
トンイは生成色の喪服に黒いかんざしをさし、しめ縄の帽子を被っている。黄色い喪服姿のクムと2人だった。

しとしとと降る優しい雨が、イニョン王妃の笑顔を思い出させた。

(王妃様……王妃様の願い通り、必ず生き残ってクムを守ります……)

トンイは密かに心に誓った。


夜には土砂降りになり、雷も激しくなった。

ちょうちんを提げた小間使いが、びょうのついた箪笥のような輿を先導していく。

輿を抱えるのは麦わら帽の男らだった。

門のところで輿からおりたった年配者のために、おつきの男が竹柄の傘をかざした。

「ようこそ、右相大監様…」

漢城府のチャン・ムヨルが出迎えの挨拶をしたとき、ムヨルと一緒にいた上官らの姿が雷の光に明々と浮かんだ。


障子窓の一室に集まったのは7~8名ほど。室内でも皆、黒いつば帽子をかぶったままだ。

大監のいる文机を取り囲み、話し合いは進められた。

世子の母オクチョンを王妃に推し進めようというところで、話はおおよそまとまった。

これまで王妃を指示してきた西人、少論派ともに意を同じくした形だった。


「あの内医女を処理しましょう……」

大監を見送りに出た部下が、チャン・ムヨルにささやいた。

オクチョンを王妃にする方針なら、当然そうすべきであろうと思ったのだろう。


「慌てない方がいい」

用心深いムヨルは首を小さく横に振った。


表面上は皆の意見は一致しているように見えるが、もう少し状況を見極めないことには、まだ油断がならなかった。



「一時も空けられないのが国母の席です! 禧嬪様を王妃にすることをお聞きいれくださいませ!」


翌日からさっそく重臣らの訴え合戦が始まった。

口だけは死を覚悟したように王様を容赦なく攻撃してくるので、便殿から執務室へ戻った王様はぐったりとした。

(オクチョンが王妃になったら、トンイとクムが危ないのでは……?)

それだけにイニョン王妃は王妃の座をトンイに任せるよう頼んで逝ったのだろう…

トンイが王妃であれば、世子のことも大切にしてくれる。それが世子もクムも無事でいられる唯一の方法ではなかろうか……

「ですが王様…」

おつきのハン内官は不安を口にした。と言うのもトンイを王妃にするのは、よほど難しいからだ。

なにしろトンイは賤婢出身なのである。

そのことは王様にもよくわかってはいた。

だからこそもどかしく、ますます心が潰れそうになるのだった。


都承旨は部署に戻って王様から受け取ったばかりの宣旨の巻き物を赤衣の部下に手渡した。

告知は3日後であるー

それまで徹底して秘密を厳守するように…

そうくれぐれも注意した。

ところが都承旨が部屋を去った途端、青衣がすっと外に飛び出し、辺りを見回しつつ、漢城府の男に接触した。

宣旨の内容をひそひそと吹き込んだのだ。

情報はいち早く漢城府のチャン・ムヨルの耳に入った。

トンイを嬪に昇格させよとの王命であった。


どうやら王様はトンイを王妃にする手順を踏んでいるらしい。




監察府のユ尚宮は、職人の住む村まで聞き込みにやって来た。


短刀を見せられた職人は、確かにこれはチャン・ヒジェの注文で作ったものに間違いないと証言したのである。


「確かか?」

「ええ。捕盗大将だった頃に作ったものです」

職人ははっきり頷いた。

一方チョンスはヒジェの動きを見張っていた。

夜にはいったん部署へ戻り、チャン・ヒジェの部下があれからまた巫女に接触したことや、巫女の身柄を確保でき次第、短刀の物的証拠と合わせて起訴が可能であることをヨンギに伝えた。


ヒジェは漢城府へ足を運んだ際に、ムヨルの姿を見かけた。


驚いたことに、ヨンギの部下の武官や赤鼻の男と和やかに立ち話している……

赤鼻たちはムヨルに案内され建物へと入っていった。

しばらくして今度は、ムヨルの部下3人が猿ぐつわをした女を歩かせ、やはり建物内部へと消えていった。

女は例の医女であった。

(医女を誘拐したのはムヨルだったとは……!)

しかも医女を引き渡して内禁衛と手を結ぶ気でいるようだ。


つまりムヨルは裏切ったのだ。



四角い風呂敷包をさげて、トンイがとつぜんオクチョンの部屋を訪ねた。

その風呂敷をオクチョンが解いてみると、ワラ人形の燃えさしが現れた。

「脅しに来たのではありません。ただこれを渡しに来たのです。私は何一つ王様に告げないつもりです。世子は無事に王位を継げます」

オクチョンは見えない恐怖に襲われ緊張した。一方で体の力が抜け落ちそうであった。


「世子とクムを兄弟として穏やかに過ごさせたいのです。私は決して過去のことを忘れてはいませんが、これが禧嬪様と私との最後の機会だと思っています」

そう言われても、オクチョンはすぐには信じられなかった。何か狙いがあるのだと疑いつつ、トンイが部屋を去るのを上の空で見守った。

あとから思い返すに、さっきのトンイの目は確かに本気であった。

兄のヒジェからはムヨルの裏切りについて知らされた。

オクチョンの心は混乱かつ迷いの渦へと陥った。

やがて王様がトンイを嬪にするとの一報が届いた。

オクチョンは、してやられたと思った。


激しい怒りで胸が張り裂けそうだった。


そんなこととは露知らず、世子のいる東宮殿には、クムが度々遊びに行くようになっていた。

勉強を一緒にしたり、庭で矢投げをしたりと兄弟気分を味わうことができてとても楽しかった。

オクチョンは世子の部屋でクムと鉢合わせるまで、このことを全く知らなかったのだ。

クムはオクチョンの凍りついた顔を見て、亀のように首をすくめた。

東宮殿をすごすごと後にしながら、あの様子では後で兄さんがこっぴどく怒られるだろうと思って心配した。

案の定、少し言い争いになったらしい。そのとき例の病の話題が出て、世子は今度こそ自分の病名をつきとめようという気になったようだった。

突如、世子は内医院を訪問し、医官を驚かせたのだ。

「功労の栄誉を授けたいのだ」

世子に誉めそやされ、医官の表情から戸惑いの色が消えた。

二人が立ち話をしている隙を見て、クムが回廊沿いの部屋へ忍び入った。

そこで東宮殿へ処方される当帰、桑白皮などの薬材を引っつかんで逃げた後、書庫で世子と合流して、片っ端から漢方の本をあたった。

「ウィジル (痿疾)…!」

とクムが読み上げるのを聞いて、世子はドキリとした。

ついに自分の病名が分かったのだ。

その瞬間、何だか取り返しがつかないような気分に襲われ、頭がもうろうとなった。



2012/4/5更新


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最終更新日  2020年10月08日 15時00分46秒



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