セミリアイア「晩年」日記

2024/07/02(火)14:39

夏雲の 翔ぶがごとゆく 古稀の朝

俳文(16)

​​​​​久しぶりに駄句を思いついたので、「俳文」カテゴリー。 昨日、9時にホテルを出て、途中、何度も休みながら、5時近くに帰宅した。往復990km。帰りは500kmを8時間かけて走ったことになる。オール高速だから、遅い。が、わざわざ高速を降りて道の駅に寄ったりしたから、こんなものかな。 朝、起きて、あまりの不甲斐ない成績に、今日から朝練、と思ったが、晴れてはいるが、風も強いし、やめておいた。首も痛い。10年程前、頸椎ヘルニアでチタンを入れたのだが、それが痛みの原因なのか、脊柱湾狭窄症の右腰から来ているのか。肩凝りが嵩じたものか、定かではないが、弓も射てるし、まして日常生活にはさしたる支障もない。いつも痛いので、痛みには慣れてしまった。直接の原因は、ピアノ、弓、PCなどいろいろとあるのだろうが、どれもやめる気もない。 さて、70代、といっても69歳だった一昨日と違う人間になっているわけでもなく、違う人間になろうという気持ちもない。段々、できないことが増えてくるのだろうが、それは自然なことであり、考えてもどうにかできることでもない。大きな病気をするかもしれないし、人生が終わっても不思議ではない年代だ。 試合後、帯広の街を車で回り、生まれた家のあったところ、10代を過ごした家など行ってみた。あ、ここだと思った友人の家もあった。今は誰も住んでいないようだった。50年前の風景はほとんど残っていない。そういうことは始めから分かっているのだが、実際目の当たりにすると、何かしら心が動く。「感慨」という大袈裟なものではない。 思い出というおおげさな感情ではなく あの人がいて、風に吹かれた あの日の景色 そういう中で じりじりしながら成長してたんだ (吉田拓郎 『消えてゆくもの』より) ​​​​​​​​​​​​​​​​​

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