「ジョーのこころの縹渺(ひょうびょう)」

2012/06/24(日)05:59

遠い日のリフレイン

想い出(7)

遠い日のリフレイン・・・  「アンネの日記」で知られるアンネ・フランク(1929~45年)の生涯をたどる巡回展が21日、尾道市栗原東の聖イエス会尾道教会で始まった=写真。24日まで。無料。  ナチス・ドイツのユダヤ人迫害で余儀なくされたオランダでの隠れ家生活から強制収容所で亡くなるまでをパネル30枚で紹介している。隠れ家の模型もある。  同教会の牧師島田光輝さん(39)の祖父が約40年前にアンネの父、オットー・フランクさんと知り合った縁で定期的に開催している。島田さんは「アンネの前向きな生き方を感じてほしい」と話す。  28~30日にしまなみ交流館(東御所町)、7月5~8日に聖イエス会神愛教会(向東町)でも展示する。同教会Tel0848(22)6751。(アンネの生涯パネルで紹介 尾道の教会 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター ニュースより抜粋) アンネの日記・・・、小学校4年か5年の時であったであろうか。 夏休みの宿題で読書感想文を書く宿題があった。 当時の私は、本を開くとその場で本を開いたまま突っ伏して眠ってしまうような本とは全く縁もゆかりもない悪ガキだった。 そんな状態であったから、私がその時に読書感想文用に選んだ本はといえば、本などでは全くなく、高々数ページで終わってしまうような文字などほとんど存在しもしない絵本であった。 確か、題名は「悪たれラルフ」とかなんとかいう猫の絵本であったと思います。 そこから想像力で話を膨らまし、いかにも一冊の本を読んで感想文を書いたかのように担任の先生を欺いたのである(笑)。 そんなどうでもいい記憶はさておき、話を本題に戻します。 私がそんな少年時代になぜ、アンネ・フランクという少女の話を知るに至ったのか、今日はそのことに少し触れてみたいと思う。 私の姉は、勉強をこつこつするのが好きで、読書感想文などでも何度も市や県のコンクールに選出されて賞状を貰うような、異なる症状をを沢山持つ不出来な弟とは対照的な子供でした。 私がほんの数ページの絵本を題材にして、10分ほどで宿題の読書感想文をしあげて、なくしてしまわない様にランドセルに仕舞い込み、窓から抜け出して遊びに出かけようとしていた時でありました。 後ろから襟首を引っつかまれたかのような母の怒声が響き、私は危うく窓から転げ落ちそうになり何とかその場に踏みとどまった・・・。 その当時住んでいたのは、社宅兼貸家で坪70坪くらいの庭付き平屋建てでありました。 仕方がないから姿勢を正し、即席作文を母に見せて読書感想文の元になる課題図書でもなんでもない本(絵本)を確かめさせられた。 拳骨を一回貰ったが、もう書き直す気など全くないことを悪びれずに母に正直に告げた。 母は何か言いかけたが口をつぐみ、私の目を見据えるようにして言い放った。 「そんなものを出すというのなら、それはそれでいいでしょう。あなたのことですから、でもね、この夏休みの間中に、お姉ちゃんが読書感想文で題材にした、課題図書のひとつのアンネの日記という本があるから、その本をお姉ちゃんから借りて読みきること。読まなかったら承知しないからね!!」 母は、勉強のべの字も考えようとすらしていない私に、本を読ませる習慣を身につけさせようと、よりにもよってアンネの日記を押し付けたのであった。 私にとっては、日記と言えば、夏休みの最終日の8月31日に適当に天気の欄を埋めて、嘘の天気がばれないように、母の故郷に里帰りしていたことにして、北海道の地名を強調して作り上げるといった毎度のお馴染み適当日記くらいしか知らず、転寝しながら何とか読みきったアンネの日記の内容などが頭に入っていくことは、当時の私には残念なことに起こりうるはずもなかった。 そんな罰当たりな読み方をしていて、イスラエルやユダヤ教のことなど全く知りもしない私がイスラエル人の妻と籍を入れることになり、この国に住み始めたことは、当時の私からしてみれば、ギャグか罰ゲームくらいの意味合いしか持たなかったであろうと想像に難くない・・・。 しかし、しかしである。 数十年が過ぎて、当時のアンネの日記の感想など覚えているはずもないと思われる、本の内容や断片を、最近になって時折思い出すことがあるのだから、脳の作りとは、記憶の引き出しとは一体どの様な仕組みになっているというのか、本当に不思議に思えてならない。 なお、余談ではありますが、私の10分足らずで書き終えた読書感想文、「あくたれラルフ」の読書感想文が土浦市の文集に選出されて載ってしまったことは、世界広しといえども、全くふざけた選考基準であったのか、他の生徒の方々に申し訳がなくて、心が痛みます。 今時を経て、ここに白状するしかなかろうと、我ながら陳謝します。 今日の日記に遠い日のリフレインとして引っ張り出されるはずのネタとして大切に保管されていたとしか、考えられないからである。 私に人生は、全くのギャグの繰り返しですらないのですから。 今日もよろしくお願いいたします。 人気ブログランキングへ

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