敢えて「型」にはまってみよう「型」にはまる、というと窮屈、自由がない、といったマイナスイメージが大きいが、そうとばかりは言えないよね。天風会会長 杉山彦一氏は、「運命を拓く」の序文で次のように書かれている。 人は、自分の体験と学問の範囲でものをいう。範囲を超えたことに遭遇すると人は、うそ!(否定)、ほんと?(疑惑)、信じられない(不信)、と拒絶的態度にでる。 全くその通りだ! 自分の体験と学問の範囲でしか物事を捉えられないとなると、経験を増やす、学問を積むしか自分の器を大きく方法はない。 型通りの型稽古というのは、自分のクセ(身体クセ、考え方のクセ)を取るための素晴らしいトレーニングになるんじゃないかな、、 武道や茶道などの芸事では型の稽古が重要だという。 そして上級者は非情に立ち居振る舞いが美しい。躾という字も身体が美しいと書く、、、 風姿花伝だったかな、、「守破離」という言葉がある。 正確な意味はともかく、、 入門したての時は師匠の教えを忠実に守ることが大切だ、そしてそれが完璧にできてくると教えを破り離れてももとの型は崩れずに個性をもった動きができる、、 といったような意味だっただろうか、、、 単なる自由奔放ではなく、伝統的な動きを忠実に出来た上での個性を持つっていいよね。 山下洋輔が「枯葉」をシャンソンからバップそして自分のスタイルと弾き分けたテレビ番組がその昔あったが、あれはカッコよかったなァ・・ ヨーロッパのロッカーもクラシックバリバリの連中の集まりだし、天才と呼ばれる人ほど基礎と呼ばれる部分をみっちりやっているという話は芸術、スポーツなどの部門でよく聞かれる話だよね、、、、 完璧に「型」をこなした上での個性を目指したいもんだね! 〈続きはまたね・・・〉 |