|
テーマ:英語のお勉強日記(8098)
私は、翻訳するのが遅い。
細かいコトが気になるから。 性格上、統一感や秩序が好きだという理由と、 車関係の技術翻訳をしている際に、ほぼ【義務】として言葉の統一を図らないといけない理由もあるけれど、 ま、気になるよね。 言葉の【ムラ】って。 ええ加減な口頭のカジュアルな会話の訳なら別にいい。 でも、車以外の仕事に関する訳であっても、 特に新しい翻訳に入っていく場合は、 今迄その言葉がどういう風に訳されていたかとか、 他の人はどういう風に訳しているのか、とか そういうリサーチをしないと落ち着かない。 英語でも日本語でも、 同じものを意味しているのに違う言葉が複数存在することはざらにある。 そういうコトに対する責任感。 自分が後からその翻訳作業に加わるなら、今までの流れを尊重し、 もし自分が最初から携わっているのであれば、後から参加する人にもその流れを尊重してもらう。 改善点があれば、勝手に直してしまうのではなく、 オフィシャルにその提案をした上で、全体で一斉に直す。 周知。 当たり前のコトなんだけどね。 一人だけで作業してるんじゃないんだから。 ---------------------- 英語(他の言語も含めて)ができると、 【もういちいち頭の中で日本語に訳して考えない】なんて言われて、 そして、それがまるで素敵で、カッコイイ、卓越している事の象徴とされている気がする。 勿論、英語圏のネイティヴで母国語の英語しか話さなくて、 他の言語一切話さない人であれば、それしかないんだから、 カッコイイもクソもなく、それしかない!!である。 その言語を【first language】(第一言語)として持つことと、 【second language】(第二言語)は全く状況の違う事であり、 それは、日本人である私がいくら英語能力を高めていったとしても、 私にとって英語が【second language】である事は永久に不変。 私がUKに住み続けて居たとしても、永遠に私にとって日本語が母国語。 1種類の言語しか知らない事と、 2種類以上の言語を知る事は全く異なる。 これは、言語に限った事ではなくて、 人生、社会一般、全ての事で、 【何かを何かと比較する】という行為はとても重要だと思う。 【それしか知らない】というのは、無知や未熟の種である。 【主観】だけでなく【客観】がいかに大切かというコト。例: 一人の男しか知らない(初めて付き合った男性と結婚して一生を終える)、 一つの会社でずっと働き続けている、 なども、それがうまく行けばそんなに素晴らしい、それにこしたことはないけれど、 私は個人的に世の中にはそんなに薔薇色なケースの人ばかりじゃないと思うから、 たいていの人にとっては、 色んな世界を観て比較できる状況の方が、その人の為に有効性があると思う。 というコトで、【国語】。 よく、英語が好き、英語をもっと習得したいが為に?、 例:【アメリカ人に生まれたかった】とか【アメリカ人になりたい】とか安易に言う人がいるが、 自分に母国語があって、その上で次の言語を勉強するという良さとか、意味をもう少し考えた方がいいと思う。 どの国でもその国で生まれ育てば、普通に母国語が話せるのは当然。 日本人であることが前提で、更に英語が話せてこそそれが仕事に生かせたりするのだから、 仮にあなたがアメリカ人になったら、同様に生かせる価値を生み出すには、結局もう1個の言語習得しないといけないだろうし。 じゃなきゃ、アメリカ人になったところで、(その定義も微妙だけど) 英語(米語)を話す、って何も特別でもないし、ほんと、だから何?状態だ。 英語と日本語の違いのひとつに、まず【語順】がある。 英語しか知らなかったら、英語の語順をまず当たり前だと思うだろう。 英語と日本語の語順の違いに気付けるのは、当たり前だけど【両言語を比較】するから。 そして、【どちらがいいか】論争。 どちらも良くないよ。 ほんっと、上に書いたようなアメリカ人になりたい云々言うタイプは、 完全にそっちの言語を崇拝しちゃってるから、英語の方がいいとか言うんだろう。 【ケース・バイ・ケース】【一長一短】である。 英語の方がいいに決まってるわけがない! 日本語の方がいいに決まってるわけがない! つくづく思う。 【国語力】の大切さ。 翻訳するにも、英語で意味が感覚的にわかっても、 (いわゆる英語のままでの理解というやつ) それに当てはまる【日本語】を見つけるコトができなければ、翻訳として成立しない。 その点、カタカナ語で変な和製英語じゃなくて、そのまま通じる単語は楽と言えば楽。 翻訳にありがちなミスは、和製英語的感覚での誤訳。 私は、政治経済だったり、自分にとって敷居の高い言葉はとにかく弱いので、 しょっちゅうオンライン辞書でいちいち翻訳の度に意味を確認している。 自分の脳内の予想と、オンライン辞書の結果が合ってると、一人脳内クイズで、ピンポンピポン~♪ってやってる。逆に、【おっと危ない】って感じの勘違いもチョクチョクあるし。 ほんと、このインターネット時代に生きているコトに日々感謝している。ほんっと。。。 そして、英語について、【これ、複数扱いだったっけ。。。】とかわからんくなってくると、国語力が登場。 実際、能動態→受動態、またはどの逆変換をして自分の曖昧な知識を【ごまかす】機会は多々ある。 でも、文章の意味が通れば、意味を伝えるコトができれば問題がないわけで、 私はしょっちゅうこれをしていると思う。 能動態を受動態にする考えだって、基本的には【国語力】ありきだと思う。 小学生の国語の時間であった【ことばのきまり】という授業を思い出す。 文章の成り立ちが、こけしの【頭】【体】【飾り】で表現された教え方である。 頭=主語 体=述語 飾り=形容詞や副詞 私の中の【語学】の中で、 この原則は今でも鮮明に生き続けている。 この知識があるからこそ、応用が利く。 大事な小学校教育。 だから、ちょっと心配なんだよね。 豊橋市でも政府の英語教育特区か何かの指定を受けて、 今年度から小学校での年間35時間?の英語教育が始まるとかなんとか。 小学校では、現在でも上に書いた【ことばのきまり】の時間があるはずだと思う。 日本語の基礎を学ぶ時間。 で、そこに今度、英語の基礎の時間も入ってくるんだよね。 子供、混乱しないかな。大丈夫かな。 子供だから器用にやるかな。。。 と、勝手に心配になっている。 英語の早期教育に頭っから反対するわけじゃないんだけど、 素朴に心配。 どう育ってくだろう、今の子達。。。 【国語も大事だよ?】 国語があってこそ、英語(他言語)が理解できるんだからね? 基盤が出来てない内に、色々と拡大していくというのは、 一般的に考えて、ちょっとリスキーな傾向があると思う。 ビジネスでも。 うまく行けばいい。 でも、行かないと総崩れになる恐れがある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[English・Japanese-英語・日本語] カテゴリの最新記事
|