チャイが亡くなりました。
前回の日記から2日後、26日にチャイが亡くなりました。帰宅後、亡くなったと家族に言われて見にいくと、もう冷たくて硬くなっていました。私はほとんど無意識にチャイの体をずっと撫でてました。温度もなくて硬いのに、私が大好きな白い毛並みだけが変わらなかった。もう撫でることしかできないことが悲しかった。異変を感じてから3か月半、癌の宣告をされてから2か月でした。2日前に食べられなくなって、これから空腹で苦しむチャイを見なければならないのかと思っていた。抱っこすると「ぐー」とお腹の音が鳴っていた。だけどもう液状のものもほとんど飲み込めなくて。水すら口から零れてしまう。点滴だけでどれだけ生きられるんだろうって。その日の前日から猫部屋じゃなくて居間にチャイの寝床をつくって、そばにいられるようにした。だけど、片目も見えずに常にフラフラして、食べられなくてだいぶ痩せたのに、寝床から出て動き回っていた。朝、気づくと窓の前で外を見ているような格好で座っていた。亡くなる前も、家族がちょっと出かけている間に人間用のコタツに自分から入っていた。まさか、このまま逝ってしまうなんて看取った家族も思わなかったくらい。扁平上皮癌の死亡原因は他の癌のように、癌の転移で多臓器不全とかになるのではなく、多くは発症した顔周りが崩れたり腫瘍などで物理的に餌が食べられなくなる餓死が多い。それを知って、私は食べられるうちにとできるだけ餌をあげて太らせてあげようと思った。12月に入って自力で食べられなくなるまではかなり食べさせて体重を増やした。それが良かったのか、チャイは食べられなくなっても動き回れるだけの体力があって、そこまでひどい状態には見えなかった。だけど、見えない口腔内は思った以上に状態が悪かったんだと思う。水も受け付けないほど中は腫瘍で侵されていたのだと。死因はたぶん窒息死。鼻も、1週間前に病気が進行している左だけでなく右の鼻から鼻血が出ていた。呼吸は口でしかできていなかったと思う。口の腫瘍の出血も常に出続けていて、うまく呑み込めなくなったんだろうと。餓死は猫にとっても飼い主にとってもとても苦しくて、この病気は安楽死を選ぶことも少なくない。それを考えたらチャイはとても飼い主思いの子だった。最期にお別れするときにとにかく撫でた。ずっとどれだけ撫でていても撫でたりなかったから。時間があったら何時間でも撫でていたかった。思えばチャイは撫でられるのが大好きだった。病院で点滴されているときも顔を撫でてやると目を細めていた。撫でたい私と撫でられたいチャイの関係は思い返せばウィンウィンだった。病気になる前から抱っこも好きで、爪切りも嫌がらすさせてくれて。まあ、元気な時はそのうち急に爪立てて甘噛みがはじまる(マーブルもそうだったからオス猫特有なのかな?)んだけど。病気になってからは常に抱っこが良くて、撫でる手を止めるとしっぽで不満を訴えてきた。チャイのしっぽは別の生き物みたいに具合が悪くても良く動いて、感情をすごく伝えてきた。機嫌が悪い時はパシンッパシンッと音がするくらい、叩きつけてた。今でも、そばにいない会えないことが不思議でなりません。半月前のチャイです。このときはこんなに早いとは思っていませんでした。すみません、今年最後の日記がこんなで。だけど、新年早々に報告するのも・・・。今年中にと思ったいたら、結局こんなにギリギリになってしまいました。来年は良い年になるといいな。皆様も良い年をお迎えできますように・・・。