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カテゴリ:ミーハーれきしトーク
※ 今日の日記は(も、でしょ)延々ひとりごとなので興味ない人はスルーでよろしくです。
なんか今ホントに大野右仲が気になります…。 大鳥さん以上によくわからない、ていうか、トリさんはあれで意外と(意外と?)史資料が多いんですが、大野て。 なんでマイナーマイナーなほうに…! 唯一の救いは、新選組隊士というところか。人に言うときに「新選組の」って付けるとハクがつく(笑)。(なので日記タイトルにもわざわざ書いてみた) 今のトコ、解ってることを自分用にメモメモ。 大野 右仲 (おおの うちゅう) 天保7年(1836)生まれ。又七郎とも。諱(いみな)は興宗あるいは熙宗。唐津藩士。 右仲が生まれる前に、お父さんが藩校の先生として唐津に迎えられ、その後親子で藩主小笠原家に仕える。 唐津藩主のれっきとした血統でありながら、継嗣のごたごたで相続権を放棄させられた小笠原長行を、世子(後継ぎ)に戻すべく、大野父はいろいろ働いたらしい。 右仲、19歳のときに江戸に出て、各種学校で武芸を磨く。 (なんと昌平校で高杉晋作と仲良かったらしいです。晋作のノートに右仲もごちょごちょ書き込みしてたり、江戸を立つ晋作を、桂ら長州藩士に混じって唯一他藩士の右仲もお見送りに行ったり。もしかしたら、第2次征長戦でやりあってる? 晋作は病床なんで、直接指揮はできなかったとはいえ。晋作がもし生きてたら、箱館戦争でも相対してたんじゃ…) 生麦事件の賠償金支払を長行さまが断行してしまい、右仲「そんな人にはついてけない!」と怒る。 でもその責任で謹慎させられた長行さまの赦免のために脱藩してまであちこち奔走したり、戊辰戦争下でもずっと側にいるし、明治に入ってからも隠居生活してる長行さまに色々便宜働いてたりして、忠臣です。でも言いたいことは言ってたっぽいイメージ。(笑) 奥羽列藩同盟の件で長行さまと会津にきたときに、怪我の療養で会津にいた土方さんを清水屋に訪ねます。これが初対面。 その後、奥羽列藩同盟がガタガタになり会津ももう落ちるということで、仙台から榎本艦隊に合流した。 榎本が「主従関係を解かなきゃ艦には乗せない」というので(旧体制を蝦夷地に持ち込みたくなかったらしい)、松平定敬に従ってきた桑名藩士や小笠原長行に従ってきた唐津藩士は、出自を問わない新選組に入隊。 唐津藩士の中には、前々藩主の息子(長行の甥)、三好胖(本名:小笠原胖之助)もいたりして、新選組、一気に血統が良くなる(笑)。 (ちなみに大鳥さんの『南柯紀行』では、胖くんは長行さまの弟と書かれてたけど、甥が正しい) (…と思ったら、なんか世間的には「実弟」ってことにしてたらしいです。大鳥さんも騙されてたんだね・笑) この胖くん、彰義隊に入って上野に篭もったり会津でも他の唐津藩士とともに戦ったり(もっとも、胖くんの身を案じた右仲によって早々に会津から追い出された・笑)、公子とは思えない身軽さです。 それもそのはず、前藩主が跡目を継いでから生まれた末っ子だったので、藩内部でも放ったらかされてたらしいのですね。 長行さまは、自分の若い頃の境遇に重ね合わせて、可愛がっていたみたいで。 しかし胖くん、蝦夷地上陸直後に、七重村で戦死してしまいました。享年17歳。 背が高くて寡黙な美少年だったとか…もったいない…。 もとい(笑)、長行さまが実の弟のように可愛がってた胖くんを、同じ部隊にいながら死なせてしまった右仲の心境はいかがなものだったでしょう。 おそらく、胖くんが子供の頃から見てきてたはず。胖くんの漢学の先生は右仲の親友だったそうだし。 さて、右仲は優秀だったらしく、新選組頭取を経て、土方直属の陸軍奉行添役となります。二股口や一本木関門での戦いでも、指揮を任されたりしてます。 (あの有名な二股口での「戦いに差し障るといけないから1杯だけだぞ」って酒を振舞ったエピソード、実際は土方じゃなく大野だったのでは…って説もあるらしい) 彼が後年書いた『箱館戦記』によると、土方さんの最期のようすはこんな感じ。↓ 箱館総攻撃の際、弁天台場への援軍を五稜郭に呼びに行った右仲は、途中で五稜郭から来た土方隊に出会い合流。 おりしも、箱館湾では、味方の「蟠竜」が敵艦に取り囲まれながらも奮戦、敵艦「朝陽」を撃沈させる。 それを見ていた陸軍は盛り上がり、土方は大喝。 「この機、失すべからず。士官隊に令して速進せん。吾、この柵にありて退く者を斬る。氏(右仲)は率いて戦え」 右仲の率いる旧幕軍は、はじめは優勢だったが、数で劣りついには押され始め、味方が敗走し始める。 しんがりには土方がいるはずなのに、敗走とは? と思った右仲が柵まで引き返すと、土方がいない。ややして、敵の銃弾を受けて戦死したと、安富、沢ら(いずれも新選組隊士)から聞かされた。 『燃えよ剣』の土方さんは、少数の手勢を連れて悠々と柵を通り、新政府軍に誰何されると、「新選組副長、土方歳三」って名乗るんですね。 これはこれで非常にカッコイイんですが、自殺っぽくてあんまり好きじゃなかった。 ので、史実の、負ける気なかったのに倒れてしまった土方さんのほうが、わたしは好きです。史実で充分カッコイイしな、脚色する必要もないほどに。 (燃え剣は、最期よりむしろその前の晩の、幽霊に会う場面が好き) (ていうか燃え剣は沖田の亡くなる少し前、おミツ姉さんとの場面が1番好き) そんなわけで、最近、非常に気になってる大野さんなのでした。 どうよ? これなら笑われないでしょ? (なんでか、大鳥さんが好きっていうと皆が笑うんだ…。なんで?) ちなみに、『北走新選組』に出てきた大野さんは可愛すぎますが、「その歴」のヒゲ大野も嘘っぽかった。 残ってるヒゲ写真は明治以降でしょー。幕末の時点では、まだヒゲは流行ってませんし。海軍の連中は流行先取りだから生やしてるけど(笑)。 キャラはまだ固まってません。真面目で気が強そう、くらいかな。 (…と、もともと思ってたけど、『流離の譜』読んでてますますそのイメージが強まった・笑。「怖いもの知らず」も追加しとくか) んで、他の新選組隊士と違って、土方さんに傾倒しすぎてないといい。あくまで主人は長行さま。 土方のことはめっちゃ尊敬してるんだけど(『箱館戦記』での、土方が亡くなったときの悲嘆ぶりが痛ましい)、でもダメっ子でも殿を見捨てられないの! って感じで(笑)。 (長行さま、決してダメっ子ではないんだけどな…。どうも右仲からはそう思われてそう。←これも『流離の譜』影響) それをうっかり総裁の前とかで出しちゃって(長行さまを脱出させて欲しいって独断で進言しちゃうとか)、君の今の上役は大鳥君と土方君だろうって叱られるといい(笑)。 それを土方が仲裁するの。「榎本さんにとっての徳川と彼にとっての唐津は同じなんです」とかって。箱館の母だから。大鳥さんはどっちでもいいんで見てるだけ。 (以上、妄想終了) 一度唐津にも行ってみたいなー。小笠原記念館。日程的金銭的に無理っぽいけどなー。(笑) ………ふー、長い独り言だった。 すみませんね、日記をメモがわりにしてて(笑)。 でももし、三谷さんが『新選組!』の続編を書いてくれたら、大野は絶対登場するはずなんで、そのときはみなさんこのメモを思い出してみてくださいませ(笑)。 (まじで見たいよー続編…) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.03.17 19:58:19
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