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2005.03.09
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カテゴリ:本&テレビ&映画
「新選組!」DVDサクサク見てます。
今、第22話「屋根の上の鴨」がおわったとこ。
何度見てもお忍び容保タンがかわいい…!!
捨助に邪険に扱われて、ちょっと不服げ(だけど強く言い返せない)容保タンがかわいい!
そして殿を助けに来る会津藩SPズ最高!!
実はこの回をもう1回見たくてDVD買ったといっても過言ではない…いやちょっと過言ですが(笑)、実際届いて一番にこの回見たし(笑)。今回2回目。
かわいいよー容保タン…。風間杜夫だと「容保様」ってカンジだったのに、筒井くんだと「タン」だよ。かわい~。
さー、次回は容保タンの軍装! わくわく!


…というわけで、気になる人の話でも。

秋月さま。
会津藩公用方・秋月悌次郎さん。(「組!」での配役は堀部圭亮さん)
佐々木様にしろ秋月様にしろ、ドラマ内で近藤さんが「様」付けしてた人はついつい自分も「様」をつけてしまう。
「8月18日の政変(七卿落ち)」の立役者です。
秋月さまは若い頃から諸国を遊学して、他藩士とも親しくしてた人なので、薩会同盟ともいえるつながりを形成できたのですね。
その後、蝦夷地代官に。左遷です。慶応3年、京に呼び戻される。この間に、薩長同盟が結ばれてます。
会津戦争の際は篭城戦の指揮を取ってます。その後降伏、会津戦争の責任者として終身刑に。明治5年、特赦。
ちょろちょろ読んでる『幕末の会津藩』(星亮一)によると、秋月を京都から出したのがまず大失敗だったと。
薩摩藩と仲の良い秋月が京から去ったことにより、味方だったはずの薩摩が徐々に離反していく(薩長同盟など)情報が入ってこなくなっちゃった。
慶応3年と押し迫ってから慌てて呼び戻してますが、もう薩摩はすっかり敵です。長州征伐にだって加わりません。
会津は小さな失敗が重なり続けてるんだよねえ。
たとえば小笠原壱岐守(長行さま)の挙兵上洛だって、慶喜の裏工作がなければ、そして会津の協力があれば、成功してたかもしれないんだよねー。会津にとっては寝耳に水だったというし、まあコレは悪いのは慶喜か。
慶喜のヤツ(ヤツって)、「壱岐の挙兵と自分はなんら関係ありませんよ~♪」なんて言ってやがるし。共犯だったくせに。あとで会津藩もそれを知って、おいおい…って思ったようですね。
大河で言ったら第22回「屋根の上の鴨」の回で、将軍が江戸に帰りますよね。このあたりです、長行さまの挙兵失敗。

広沢さま。
秋月さまとほぼ2個イチで登場してた、広沢富次郎(安任)さん。(「組!」での配役は矢島健一さん)
第28回「そして池田屋へ」で、「いくら待っても無駄だ!」と言いに来た、あのステキなオジサマです。
戊辰戦争後、会津藩は斗南藩として青森の下北半島に移封になるんですが(斉藤一あらため山口次郎もここに)、ここが超寒冷地で作物も育たないし皆困窮を極めるわけです。食べれる植物も尽きたら、腐った犬の肉まで食べたというから言葉も出ません。
そのうち、廃藩置県で斗南藩すらなくなってしまい、藩士たちは地元会津に帰るか(とはいえもう家はないので帰農するしかない)、松平公の移った江戸へ出て仕事を探すか、北海道に渡るか、青森に残るか…と、散り散りになります。
そのとき、青森に残った数少ない藩士のひとりが、広沢さま。
彼はこの地に日本初の民間洋式牧場を開設、酪農を広めたのだそうです。
かっこいい広沢さま…! 矢島さんのビジュアルで開墾してる姿が見たい!(「北の零年」風に)

広沢さまや秋月さまは、会津藩の中ではあまり身分の高いほうではなくて(秋月さまは名門・藩校日新館にも通ってないハズ)、実力で公用方に就いた人たち。
特に秋月さまは身分の高い人らをさしおいてブイブイ仕事してたもんだから、生意気と思われてたらしい。
で、秋月さまをいつも庇ってくれてた、家老横山主税さんが病死されて、いっきに左遷されてしまったと…。
会津も身分制度ガチガチの藩だったらしいからな~。(薩摩や土佐や長州など、デカい藩はたいていそうみたいですね)

というわけで、秋月さま広沢さまほか会津藩士のその後もちょっと気になるわという話。でした。



『幕末伝説』(野口武彦/著)
こないだ、「戊辰のショウ・ザ・フラッグ」という章だけ図書館で読みました。(カード持ってなくて借りれなかった)
タイトル見て、鳥羽伏見の錦の御旗と葵の旗の話かな? と思ったら、さらにその後、旧幕脱走軍が掲げてた日章旗にも触れてました。「主役は旗」、な章。アボルダージュのときの旗とかね。
鳥スキー的に膝を打ったのは、東照大権現の旗の話。
大鳥さんの日記を見ると、日光に立ち寄った際「東照大権現」の旗を掲げ…って記述があるのですが、それを、筆者野口さんは「日光に近い土地だから、地元の人を味方につけようとしただけでは」「大鳥はそこまで徳川への忠誠心はないだろう」って言ってるんですね。
根拠として、箱館平定にあたってあちこちに掲げたであろう日章旗について、大鳥はひとことも言及していないと。キミ旗なんてあんまし重要視してなかったんちゃうん~? と(笑)。
もう、すっごい腑に落ちちゃった。
わたしも大鳥さんはあんまし徳川に恩顧なさそーやなーと思ってたけど、こういう方面からそれを推察するなんて、すごい。同じ日記読んでるのに、思い至らなかったです。(素人だから? 単に注意力散漫?)
野口さんは『幕末歩兵隊』で大鳥さんに冷たかったけど(笑)、言われてることはもっともだったので、まあしょーがないかと思ってたんですが。
その点以外では、けっこう好きな作家さんかも。今度ちゃんと借りようっと、この本。

あと最近出たばかりの新刊で、『榎本武揚から世界史が見える』(臼井隆一郎/著)って本があってパラパラ立ち読みしてみましたが、イカン、難しい! 日本史もまだあやふやなのに世界史なんて無理無理! とすぐに放り出してしまいました。
わたしってそういえば結構バカだったんだ。
もーちょっとかしこくなってからまた挑戦してみます。(なるのか?)
帯の文句がすごいんだ、この本。「気が付けばこの男を軸に日本は動いていた」
えええ~~!! そうだったの!?





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最終更新日  2005.03.09 17:26:18
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