全て
| カテゴリ未分類
| サカ&やきう
| お洋服&きもの&コスメ
| OTK☆
| 本&テレビ&映画
| ライヴ&CD
| 日常雑記
| プチ旅行記
| ミーハーれきしトーク
カテゴリ:ミーハーれきしトーク
つづきです。
宇都宮で怪我をして、会津で療養生活に入った土方ですが…。 6/15 土方、輪王寺宮側近・覚王院義観、元陸軍奉行・竹中重固と面会 7/10 土方、白河の新選組本隊と合流 7/29 二本松陥落 8月? 天寧寺に近藤の墓建立(法名は松平容保がつけた) 8/3 大鳥以下伝習第2大隊、母成峠の守備につく 8/18 新選組、伝習第1大隊、回天隊、二本松方面出陣のため、猪苗代城下に宿陣 まず6/15の会談相手について。 輪王寺宮側近・覚王院義観。 輪王寺宮はのちの北白川宮能久親王。(明治に入り、陸軍中将にまで昇進し、日清戦争の際に中国で亡くなっています) 奥羽列藩同盟は、当初、朝敵とされた会津・庄内を救うために発足したのですが、組織がデカくなるに従って仙台や米沢といった大藩には欲が出てきたのか、輪王寺宮を盟主に据えて、東武天皇と称しミカドに立て、奥羽独立国を作ろうとするかのような動きが出てきます。 覚王院義観は宮の側近で、上野彰義隊の後援者でした。彰義隊壊滅にしたがい、宮とともに会津~仙台に移動し、奥羽列藩同盟の精神的支柱となりました。 その覚王院義観と会談、ということは、土方は列藩同盟という大きな組織とのパイプを持ったということですね。 元陸軍奉行・竹中重固。 鳥羽・伏見の戦いで、陸軍奉行として幕府歩兵隊を率いて戦っていた、主戦派の幕府若年寄。 とはいえ、そのときの歩兵隊の働きは、あまり芳しくなかったんですが…。 (歩兵奉行でありながら江戸でお留守番させられてた大鳥は、「きちんとした士官らをつけずに兵隊だけを戦地に送ったところでうまくいくわけねーじゃん」と、文句言ってました・笑) 竹中本人の留守中に自藩が恭順してしまい、仙台に行き、列藩同盟の幹部のような形になってるので、土方はここでも大きなツテを手にしています。 ちなみにこの人、最後まで転戦して、箱館では陸海軍裁判頭取という職に就いています。 実は不幸な話があって、鳥羽伏見の敗戦後、責を問われ職を解かれた竹中さん、留守中に奥様が西軍兵士に姦淫されてしまったのだとか…(うううこういう話は書いてて辛い・泣)。箱館まで行ったのも、解る気がします。 あ、「組!」にも出演してました。高飛車なおっさんに描かれてました(苦笑)。ぜひ、続編でもキャストそのまま出て欲しい。 これらの会談が、土方の希望により行われたのか逆なのかわかりませんが、とにかく、そういった奥羽主戦派から見ても、すでに土方は単なる「新選組隊長」ではなかったということなんでしょうね。 7/10頃、「土方始め第1大隊又分隊、新選組共に二本松に官軍入りたるを払い仙台に行くを決」(『谷口四郎兵衛日記』)し、7月下旬には伝習第1大隊の内田良太郎以下が、仙台へ藩兵訓練のためにおもむきます。 内田は、国府台出立以降、ずーっと土方の副官としてやってきた人。のち、箱館で戦死。 日記を記した谷口四郎兵衛は、桑名藩士ですが伝習第1大隊で洋式訓練を受けていました。 また、ここで第1大隊の大島寅雄が分隊長に任命されますが、彼はのちに新選組に入り、箱館では陸軍奉行添役という土方の側近となります。 とにかく、7月の時点で、土方はすでに新選組と伝習第1大隊の分隊を連れて、仙台に行くことを決めていたようです。 土方と仙台(奥羽列藩同盟)との連携工作については、斉藤一研究の第1人者・赤間倭子さんも触れていらっしゃいました。 三春藩の同盟離脱や二本松藩陥落を受けて、仙台藩士・塩松内蔵太が、新選組を仙台に誘致しようと土方のもとをたびたび訪れていたそうです。 この時点では、西軍の矛先が会津に向かうのか仙台に向かうのかハッキリしていませんでした。 この頃の土方は、「今日の敵剛強無比、意ふに是れ伝習隊なり。(中略)弾丸の向かふ所、鵠を誤らず、彼れ伝習隊に非ずんば、なんすれぞ之を能くせんと。」(『板垣退助君伝』)と、強兵として敵からも恐れられていた、幕府伝習隊を傘下に置いていたので、即戦力として味方にしたかったのかも。 塩松の嘆願を土方は受け入れ、母成峠での戦が済んだら新選組と伝習第1大隊分隊を率いて仙台に行くと約束。 そこで一度はそれを承諾した山口次郎でしたが…。 こないだ近藤さんのお墓に行ったとき、コレ怪我人が登れるかあ? って思ったんですけど、やっぱもうだいぶ動き回れてたんでしょうね。 たいてい小説なんかだと、療養中の土方は東山温泉でゆっくり湯治して、女子といちゃいちゃしてるものですが(笑)、実際はかなり働いてるではないですか。 荒唐無稽だと笑って読んでた『黒龍の柩』を、笑えない雰囲気になってきました(笑)。 8/19 新選組、伝習第1大隊、回天隊、母成峠の守備につく 8/20 第2大隊、会津・仙台・二本松藩兵、二本松に入った西軍を払うため出兵、惨敗 8/21 新政府軍、母成峠制圧 えーといきなり庇いだてしますが、20日の敗戦は大鳥さんのせいじゃありませんから!(笑) 会津藩が二本松を奪回しようと言うのを、大鳥さん「こっちは兵も分散しててしかも寄合所帯なんだから、国境警備につとめたほうがいいんじゃないの」と言うんですが、会津はやる気マンマンだから口をつぐむんですね。 (秋山香乃さんが小説内で大鳥のことを「学者にしては議論癖のない男」と評したのは、このへんが理由かな?) そしたら大鳥さんが戻る前に兵たちは二本松に向けて出立してて、山入村で戦闘となり、そのうち敗戦して戻ってきます。 3藩の兵らが、伝習隊を置き去りにして逃げてしまったため、殿軍をつとめた伝習第2大隊はさんざんにやられてしまいました。(戦死者の数、会:4、二:1、仙:不明、伝習第二大隊:39) 大鳥さん、「余益々三藩の兵の頼むに足らざるを知れり」(『南柯紀行』)と悲憤慷慨し、夜遅くに戻ってきた本多ら士官の手を取り泣いて無事を喜んでいます。 そして今日敗戦したとあっては、西軍は明朝にでも母成峠に攻め入ってくるだろうからと、今日はマジむかついたもう本陣に帰りたいと文句言う隊士らをなだめすかし、その晩は本陣に戻らず石筵山に宿泊します。 大鳥の予想通り、翌21日午前9時ごろ、戦端が開かれました。 この日の母成峠の戦いでは、土方自身は本部か猪苗代で戦況を見守っていた可能性が高いようです。 土方はすくなくとも19日までは福良本陣に滞在しており(「八月十九日、内藤様、土方様、中地より本家へ御入り」(『慶応日記)』)、そして21日付けで、猪苗代から会津藩に宛てて母成への援兵を求める手紙を出しているからです。 「弥以御大切と相成候。明朝迄ニハ必猪苗代江押来り可申候間、諸口兵隊不残御廻し相成候様致度候。(後略) 廿一日夜五ツ 土方歳三」 この手紙には、母成峠の戦いについては何も触れていません。 新選組本隊は、山口隊長が率いて出陣しています。 全軍に縦深防御の形を取らせ、勝岩上に3段陣地を敷いた東軍は、上段と中段には大砲を備え、大鳥ら伝習第2大隊と会津・二本松藩兵が守り、下段には新選組と伝習第1大隊の一部が守備に付きました。 最初は優勢だった東軍は、途中で発生した濃霧と圧倒的な兵力差に苦戦に陥り、壊滅状態に陥りました。 この戦いで、新選組から6名、一緒に戦った第1大隊は9名のの戦死者を出しています。 このとき大鳥が敷いた複線陣地という戦術は、まだ当時の日本にはないものでしたが、西軍の用いた火器の集中運用というのもまた新しい戦術だったそうで、新戦術同士の対決は質量に勝る西軍に軍配が上がっています。 大鳥さん、戦闘前に新選組の陣地に赴いて撒兵の指揮をしたりもしてるし、このへんやっぱり兵学者という感じですね。 (でも新選組言うこと聞いてくれなそーな感じしますね…なんとなく・笑) このあと西軍は一気に猪苗代、十六橋を抜き、会津若松市内になだれこんで行きます。 ちなみに、母成敗戦後は大鳥さん散々な目にあってるんですが、それは今回はまあいいや。 ………イヤ良くない、なんか小説とかでは「大鳥は戦場から真っ先に逃げた上に山中で迷い、翌日になってケロリと戻ってきた」なんて書かれ方してたりするし! 真っ先に逃げてねえよ! 逆だよ! 往生際悪く戦場に踏み止まってたら会津の田中源之進や北原雅長(『七年史』の作者・神保修理の弟)らと共に数名だけ取り残されちゃったんだよ! 彼ら上層部は伝習隊士官らや新選組や藩兵らから少し離れたとこで指揮取ってたもんだから、逆に敵兵に取り囲まれて本道に出られなくなっちゃって、山中に逃げ込むハメになったんだよ! つーかケロリとしてるもんか! 道に迷ったり至近距離から鉄砲で撃たれたり川にはまって捻挫したり雨の中野宿したり濡れねずみで数十キロも徘徊したり糧食が尽きて避難農民からおにぎりわけてもらってそれを半分大事に残しておいたりその現地の人を半分脅迫して(恩を徒で…)道案内させて散り散りに逃げた兵士たちを吸収して回ったりしてたんだぞ! 23日になってよーやく伝習隊と再会して嬉し泣きしてるんだぞ! でも大鳥は戦死したと言い触らされてたから皆めっちゃビックリしてるんだぞ!(以上、『南柯紀行』8/21~23より!) …って庇うつもりで書いてるのに面白く面白くなっちゃいますよ大鳥さん…。困った。 その頃土方さんは、それこそさっさと戦場を離脱して態勢を立て直しています。 本来指揮官ってそうあるべきよね。ダメじゃん大鳥さん。 ちなみに、山口隊長も8/21には新選組本隊とはぐれて山中をさまよっていました(笑)。 (でも彼は小説でも悪く書かれないんだよな…。何? 人徳? _| ̄|○) 凹んだとこで、つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.07.19 00:58:17
コメント(0) | コメントを書く
[ミーハーれきしトーク] カテゴリの最新記事
|