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カテゴリ:ミーハーれきしトーク
胃薬を買いました。胃がもたれやすくなってる気がして。(年か?)
そしたら含有成分に、「タカヂアスターゼ」の名が。 新三共胃腸薬 えーと、わたし化学系の会社に勤めてるわりには詳しいこと全くわかんないんですが(ダメ社員)、これは高峰譲吉が1894年(明治27年)に発見した消化酵素、だそーです。 底の浅い大鳥スキーとしては、「ああ、気球作りにただ一人付き合ってくれたり、工業新報売るの手伝ってくれた、イイ奴!」ってな認識の高峰氏ですが、実は凄い人です。 適塾や(明治元年ごろのことなんで、緒方先生はもういらっしゃいませんが)大阪開成所で学んだあと、工部大学校に入学し、化学科を主席卒業。 タカヂアスターゼに続き明治33年、上中啓三と共に牛の副腎からのアドレナリンの抽出に成功したことで世界的に有名になりました。(ホルモンを世界で始めて抽出した例だそーです)。 製薬会社三共の創業者の一人。個人資産は現代でいうと6兆円(!!)ほどあったそうな。 ついでに、当時ではまだ珍しい国際結婚しています。 さて、高峰氏は、タカヂアスターゼ等の薬の販売は、アメリカの会社に任せていましたが、日本での販売権だけは自由にさせませんでした。 そして、自分の信頼の置ける、塩原又策氏に、日本での販売権を与えました。 明治41年、塩原氏は、品川で売りに出されていた空き工場を買い取ると、そこを三共の工場としました。 この工場の1棟が、現在、明治村に保存されています。 明治村4丁目45番地の、工部省品川硝子工場という建物(内部は汐留バーというレストランバーになってます)、これは現役時代はその名の通り、工部省所有のガラス工場でした。 工部省工学頭時代(明治10年ごろ)、大鳥さんがここの管理を行っていたのだそうです。 でもって、なんと、塩原氏の奥様は、奥田千代さんといって、大鳥さんの孫娘でした。(長女ひなちゃんの娘さん) 塩原氏と千代さんも、工場の経歴を知ってビックリなさったとか(笑)。 その後、大正2年には、会社を正式に三共株式会社とあらため、初代取締役社長には高峰氏が、2代目社長には塩原氏が就任したとのことです。 以上、『われ徒死せず』とWikipedia等からの引用でした。自分用メモ。 なんのためのメモだって言われると困るんですけど…。ただ薬の成分表に見知った言葉を見つけて嬉しかっただけでーす。 あと、今度の土曜日また明治村に行くので、できるだけ豆知識蓄えてから行こう! と(笑)。 (わたしの知識は全て豆粒レベルです!) それにしても、自分の勤めてる会社の歴史についても殆んど何も知らないのに、他所の会社のことをいろいろ調べてしまったー(笑)。 ちなみに、ルルやリゲインも三共の商品です。 薬はロートと決めてる私ですが(笑)(ガンバサポの鑑)、ロートで取り扱ってないのは三共さんを選択肢に入れようかな~なんてね。 そうそう、遅ればせながら、日光散策記その2をアップしました。(11/11のとこ) 仙台散策記も途中まで書いてるので、はやいうちに仕上げたいよー。 って日記の意味ないなコレ(笑)。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.11.18 01:56:04
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