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カテゴリ:ミーハーれきしトーク
しつこく続けてゴメンナサイ。まだまだ続きますよ、悪いけど!
だって、何度見ても陸軍奉行がかわゆいんですもん。 ちょっと想像してみて下さい。 現実には当時の陸軍軍人が髭を生やしてるわけないし髷も早々に切ってる筈なので(なんでも帽子を被るときに邪魔だったとかで、皆さっさと切り落としてたそうです『幕府歩兵隊』より)、そのいでたちで、吹越さんの顔で身長で、大鳥。 ………やべえ!! か わ ゆ す ぎ … !! バタバタごろんごろん!!(転がる) 陸軍奉行かわいいよ陸軍奉行!! 仔リスちゃんだよっ!!! そりゃあヘンな髭だの髷だの生やされちゃいますよ、だってあれらがなかったら、あのドラマ、歳鳥じゃん!! ははーん、あれらの余計な毛は、腐女子避けか。外見でまず萎えさせようって魂胆か。わたしは髭髷だろうが構わないんですけどね。腐女子がそれくらいで挫けるもんかよ。 しかも釜さん公認でしたね。この釜さんとは仲良くやれそうだわ私。腐女子にとってカップリングが合うってすごく大事だから。 おっと、腐女子じゃない人、失敬失敬。あのねここではね先に名前が来る人が攻めってことでね(詳しい説明はよせ) さて今回は史実の5/11話。 土方話は? ううううーん、あの土方、どうも、なんか、イマイチ、っていうかかなり納得いってないもので…。 もうちょっと考えてから書きます。 (あ、史実と比べてどうのこうの文句言ってるワケじゃないですよー、キャラとして気に入らないってだけですよー) まずは、箱館総攻撃のあった5/11と、その前日5/10のできごと(史実)を、簡単に書いてみます。 5/10 武蔵野楼にて酒宴(相馬・大野は参加、夜を徹して翌日に備える。土方はおそらく不参加。その他幹部、人見勝太郎など参加。) 榎本軍は翌朝の敵襲を予測しており、箱館山には新選組と伝習士官隊を守備につけていた。 5/11 早暁(3時前)、大鳥、有川に出陣。 AM3時、官軍、有川より艦砲射撃開始。 AM4時、箱館山(寒川、山背泊)より、官軍上陸。約760名。 AM6時頃、官軍、箱館市内突入。新選組、弁天台場へ退却。伝習士官隊は抗戦しつつ、五稜郭方面へ撤退。 AM7時35分、敵艦「朝陽」撃沈。 AM8時、有川・赤川方面より、敵4,000人ほど攻め入る。大鳥はこの後1日中この地域の陣頭指揮。 AM9時頃、土方歳三戦死。 AM10時、箱館病院に官軍兵士乱入。薩摩士官(?)のとりなしで無事。 正午頃、四稜郭陥落。 PM2時頃、蟠竜丸・回天丸、砲弾を撃ち尽くし、総員退去。蟠竜乗組員は弁天台場、回天乗組員は五稜郭へ。 PM3時、箱館病院分院高龍寺にて、傷病人殺傷される。 PM5時頃、諸隊帰還。拠点は五稜郭と千代ヶ岱のみとなる。 (参考:『誰も書かなかった箱館戦争』脇哲/著 新人物往来社) ドラマとの比較をしてみますね。 5/10 まず、こないだも書いたけど、榎本が降伏を口にするのは5/16。 武蔵野楼での酒宴は、正しく「別離の宴」でした。 土方、この酒宴に参加していないようですが、ドラマでは「夜襲に出ていたから」となっていました。 えっと、これは嘘(笑)。でも、ドラマだからいいや。 実際には、5/2~5/8にかけて何度か夜襲が行われており、大鳥、今井信郎、丸毛利恒(彰義隊)、小杉雅之進、そして彼らの記述によると、本多、大川(伝習隊)、古屋(衝鋒隊)、星(額兵隊)、一聯隊、見国隊、遊撃隊、そして新選組らも参戦。 大鳥や古屋や本多なんかは、重役なんだから、こんな撹乱作戦程度に自ら出るなよ~部下に行かせろよ~と思っちゃいます。 5/8早暁の襲撃なんて、総裁榎本まで出てます。いいのかコレ(苦笑)。 いっぽう、土方が夜襲に出たという記述は、どこにもないようです。 二股を撤退後、5/1に五稜郭に帰り、新選組に「有川進撃」を告げた後、市中で休んで4日に五稜郭に戻った、とのことですが…。新選組は、そのあとちゃんと七重浜(七重浜は有川と箱館との間)夜襲に参加してるんですよね。 ミタニンは確信犯で書かれたのでしょうが、非常に謎の残る部分です。 あ、あとツッコむほどのことではない細かいことですが、兵に酒を振舞ったのは二股口での戦い(実際に振舞ったのは大川正次郎だとか大野右仲だという説もアリ)、市村鉄之助を落とすのは4月中旬、ですネ。 このへんはドラマの尺があまりにも短かったので、苦肉の策だったんだろうな~。 5/11 ドラマでは、夜明け前にはもう四稜郭やら権現台場が陥ちちゃってましたが、実際はもーちょっと後。 夜明け前から行われてたのは、艦砲射撃と、箱館山からの奇襲。あと、桔梗野まで官軍が進出、も本当。 ついでに、黒田了介はこの「ひよどり越え」に参加していたらしいので(総大将が自ら…)、ドラマ内での土方の「桶狭間」案は、実行しててもうまくいかなかった可能性が高い。惜しい。 で、史実では、幕軍は箱館山からの奇襲はちゃんと予測していて、新選組と伝習士官隊を防備につけていました。 しかしなにぶん寡兵。たとえば寒川の新選組はほんの十数人でした。大鳥は「番兵怠慢」、今井はハッキリと「このあたりを守りし新選組一挙に追い崩」されて、敵の急襲を避けられなかったと記していますが、果たしてミスがなかったとしても、防ぎきれたかどうか。 んで、陸軍トップの大鳥が早暁から出陣しているのに(どっちもどっちですな…。総司令官は会議室で控えてろよ~)(ドラマでは会議室に留まっていましたが、実際は最前線に立ってました)、土方の名が資料に登場するのは朝陽艦撃沈の少し前です。 これはなんでや? と思ってたんですが、三谷さん、それを「奇襲攻撃に出ていたため」というストーリーにしていました。 そういう史料はないのでフィクションと思われますが、逆に「でも誰も“やってない”とは書いてないよね!」という、歴史フィクションの常套句で(笑)やってくれました。なるほどねー! 上手い! しかしこれまた、史実では謎な部分です。 箱館の「土方歳三浪漫館」では、大野(地名)の農民などに溜まったツケを返しに行ってた、なんて言われてましたが、無理だよねー。けっこう遠いし、途中はすでに戦場になってるし。 あと、私も最近まで信じてた、「海軍の退去の護衛をしていた」という説も、上記のタイムテーブルからすると、ないですね…。 やっぱ本陣の警護をしていたのかな? でも大鳥が出てるのになー。普通に考えたら、おかしいんだよな。立場的に。 謎です。 しかしこれについて、わたくしスゴイ新説を思いつきました! また今度、発表します。っていうか、妄想なので(笑)。今日はマジメにドラマと史実の比較だけに留めます。 とか言ってて、もう誰か発表してたら笑かすな、私。 あと、これもツッコむほどのことではないんですが、あんな死に方したら、敵に首持ってかれちゃうよ~(笑)! (「五稜郭」でも同じ事言ってたな。よくまあ首が繋がってたな、って) まあもっとも、遺体がどこに埋められてるのかもハッキリとは判らないんだし、「これもアリ」ですね。 それから、弁天台場に降伏勧告の使者が来るのは5/13(このとき、五稜郭本営に支持を仰ぐために使者となった相馬が、五稜郭で土方の死を知らされたらしい)。 永井様が弁天台場の監督だったのは本当。 結局弁天台場は、一度は降伏を断りながらも、水と食料が尽きて、5/15に降伏します。 以上、史実との比較はこんな感じ。 別に「ここが史実とは違うわよ! キー!」って怒ってるわけじゃ、全然ないです(笑)。 河井ドラマもそうだったけど、尺の短さを考えたら、端折ったり省略したりは仕方ないことですもんね。 あの短い時間で、朝陽艦の撃沈が描かれてたってだけでも、喝采モノ。 波間に漂ってたのは、朝陽の船板の一部。写真で見たことあったので、「あっアレだ!」って。小道具さん、グッジョブ☆ 短いですが、今回はこのあたりで。 次回は、どうしても受け付けられない、土方のキャラクターについて。 別に「土方ファンの人は読まないで下さい!」とか言いません(笑)。つか、土方ファンの人なら同じ考えの人、いてると思うねんけど、どうかしら? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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