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アルタクセルクセスの王宮址遺跡

2005年06月20日
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カテゴリ:歴史・考古学
 今日も暑かった。突然夏が来たような気がする。というかもう6月も終わりに近いのか。
 先週ロンドンで発表と思ったら、今度は水曜に大学のゼミで発表である。英語を話すことに比べれば気は楽だが、大勢の前で話すだけにやはり気が抜けない。いろいろ準備しているのだが、ドイツ人には「発表では原稿を読み上げちゃダメだ」と言われる。しかし原稿を用意しないと混乱してうまく話せないように思う(現に先週がそうだった)。日本語でなら原稿無しで話す自信もあるが、やはり外国語ではきつい。といいながら原稿を用意しなさそうな雲行きだが。

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 僕の名前はある日本のサッカー選手と同じなのだが、今日研究室のドイツ人にそれを言われた。ていうか気付くの遅いんだよ(それだけ日本代表はドイツで注目されていないということか)。昨日日本がヨーロッパ覇者のギリシャを破ったのでにわかに注目したらしい。
 「日本はヨーロッパ覇者よりも強いぞ」とからかったら、「ギリシャは史上最弱のオイローパ・マイスター(欧州チャンピオン)だ」という答えが返ってきた。

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 今日は考古学のニュースから手短に。
 今日ニーダーザクセン州(ドイツ北部)の文化財保護局は、ニーンブルク近郊のウヒテ湿地で2500年前の遺体の一部を発見したと発表した。これは少女の右手部分で、皮膚や爪が完全に残っており、指を軽く曲げた状態だった。こうした「泥炭の中のミイラ」の発見はヨーロッパではおよそ40年ぶりのことだという。
 同地では既に2000年に泥炭採掘作業中に骨などが発見されていたが、身元不明遺体として警察に届けられて迷宮入りしていた。その後法医学研究や考古学者の調査によりこの遺体は最近のものではなく紀元前650年頃の古代のものと確認され、同州の文化財保護局が調査を進めていた。ちなみに日本でも古墳から人骨等が出土した場合は、その遺体が属する時代の如何を問わず警察に届け出る義務がある(トルコとかではそういうのは無かったな)。

 泥炭湿地というのはヨーロッパでも北海とバルト海の沿岸地域にしか存在しない。およそ1万年前の最終氷期(氷河期)に形成されたもので、その内部は酸素から遮断される上、酸性なので有機物の保存に適した状態になっている。地形としてはいわば底無し沼のようなもので、はまったら最後ずぶずぶと引きこまれていく恐ろしい場所である。
 ただ泥炭は粗悪ながら燃料になるので、19世紀後半以降採掘が進められ、それに伴って上記のように泥炭湿地に沈んだ人間や動物(馬)の遺体や遺物が発見されることが相次いだ。「この40年間発見が無かった」というのは、泥炭の需要が激減し採掘されることが少なくなったことも関係しているのだろう。

 先史時代のヨーロッパ人(ゲルマン人やケルト人)はこうした湿地や水源には神が住んでいると考えていた。水源(泉)などに武器を投げ込んで奉納することは既に青銅器時代に行われていたが、鉄器時代(紀元前700年頃以降)になると人間をいけにえとしてこうした泥炭湿地に沈めることが盛んに行われたらしい。この記事の少女の遺体は紀元前650年頃ということだが、ドイツ全体でいうとハルシュタットC~D期の間、北ドイツの編年で言えば北方青銅器(ノルディク・ブロンズ)時代末期のニーンブルク・グルッペの時代にあたるだろうか。ケルト人が人間を神への生け贄としていたことは、ガリア人(今のフランスに居たケルト人の一派)と戦ったローマの政治家・軍人カエサルの記した「ガリア戦記」に詳しい。
 この少女がなぜ危険な泥炭地に赴いたかはもちろんはっきりしないのだが、泥炭湿地に近寄ると危険なことは分かっていたはずなので、自ら望んで行ったとは考えにくい。この発見を発表した考古学者は、「何かから逃れようとして迷い込んだか、動転していたのだろう」としか述べていないが、やはり沼の神へのいけにえとして捧げられたと考えるのが妥当ではないだろうか。

 こうした泥炭湿地からの人間や動物のミイラ化した遺体の発見は、大体紀元前6世紀から紀元後4世紀くらいまでの時代に集中している。この近辺で有名なのはエムスラント近くのブルターニュ湿地から1900年に発見された男性の遺体で、酸性の泥炭の影響で髪の毛が赤かったことから(実際は金髪)「赤毛のフランツ」というあだ名をつけられた。またさらに北のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州ウィンデビューからは目隠しされた少女の頭部が発見され話題になった(最近「男ではないか」という説も出てきている)。またやはりシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州のオステルビューでは頭の横で束髪(日本古代の「みずら」にやや似ている)にされた男性の金髪が見つかり、タキトゥスの「ゲルマーニア」の中のスエービー族に関する記述(第38節)を裏付けるものであり(「頭髪をななめに撫で上げ、結わえて結び目を作る」)、当時の髪型や風俗、さらには形質人類学(栄養状態や疾病歴など)上の研究で貴重な資料となっている。
 ドイツのみならず、デンマークやイギリスでも同じような発見例は枚挙に暇が無い。デンマークでは1950年にトルルントで苦悶の表情も生々しい紀元前400年頃の男性の遺体が発見されたが、この男性は首に縄を掛けられており、殺害され沈められたことが明らかである。神へのいけにえだったのか、処刑だったのか、それとも殺人事件だったのだろうか。大英博物館に所蔵されている「リンドウ・マン」は1954年にイギリスの同名の泥炭湿地で発見された男性の上半身だが(つい先日見たばかりだが、有名な割に目立たないところに展示してあった)、こちらも頭部に外傷が残されており、殺害されて沈められたらしい。これまでにヨーロッパ全体で700ほどの湿地からのミイラ化遺体発見例があるそうだ。
 また遺体だけでなく、武器の奉納も行われた。主に戦争で敵から分捕った武器(剣や楯など)を沼に投げ込むことが行われており、中でも大発見だったのはニューダムの沈船だろう(現デンマーク領だが1870年の発見当時はドイツ領)。敵(ゲルマン人の他部族やローマ軍など)から分捕った武器を満載したボートを沼に沈めて神への奉納としている。このボートは年輪年代測定法によって紀元後320年頃に作られ、おそらく350年頃に沈められたと推測されている(なおのちに活躍するヴァイキング船の祖形ともいえる)。当時はゲルマン民族大移動の前夜で何かと政情も不安だったのだろう。
 ちなみにローマ軍の武器の発見例はかつてのローマ帝国の版図内よりもむしろデンマークで多いのだが(だから分布図を作るとローマ軍はデンマークに集中していたことになってしまうのだが、実際にローマ軍がデンマークに攻めこんだことは一度も無い)、これはローマ軍から武器を分捕ったゲルマン人によって泥炭湿地への埋納が盛んにおこなわれ、またその自然条件によって腐朽せずによく保存されたことによる。

 こうしたいけにえは4世紀頃には行われなくなったらしい。キリスト教の布教による土俗信仰の衰退による、と説明できれば面白いのだが、時期的にちょっと早すぎる(北ドイツにキリスト教が定着したのはカール大帝の時代、すなわち8世紀後半)。とにかくこの時代に伝統的宗教儀礼に変化が起きたのは間違いなさそうだ。
 短く書くつもりが、なんか長くなってしまった。






最終更新日  2007年02月19日 04時01分19秒
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