アルタクセルクセスの王宮址遺跡

2006/12/02(土)02:40

流行語大賞

ニュース雑記(108)

(引用開始) 今年の流行語大賞は「イナバウアー」「品格」  1年の世相を反映し、強いインパクトを残した言葉に贈られる「2006ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)が1日発表され、年間大賞にトリノ五輪金メダルの荒川静香選手の「イナバウアー」と、「品格」が選ばれた。同日、東京都内で表彰式が開かれた。  表彰式には「国家の品格」を著した数学者藤原正彦さんらが出席。受賞理由は、イナバウアーが「経済波及効果でも金メダルもの」、品格は「書店に並んだ一冊の本が、さまざまな“品格論”に火を付けた」。  年間大賞以外のトップテンは「格差社会」のほか、「mixi(ミクシィ)」「エロカッコイイ」「シンジラレナ~イ」「たらこ・たらこ・たらこ」「脳トレ」「ハンカチ王子」「メタボリックシンドローム」となっている。 (引用終了。サンケイスポーツより転載)  今年ももうそういう季節になったか・・・・。  それにしても毎年思うことだが、しょうもない言葉ばかりですなあ(だから日記で書くことも無かったのだが)。まあしょうもないからこそ「流行語」なんだろうけど。だいぶ前にドイツ版流行語大賞について日記で書いたことがあったけど、あの頃は今では当たり前となった「SMS」(ショート・メッセージ・システム??)や「対テロ戦争(Anti-Terror Krieg)」が新語大賞だったから時の流れを感じる。  ミクシィ(実は僕も入ってます)とか脳トレっちゅうのは商品名でしょ?それって「流行品大賞」であっても「言葉」とは違うんじゃないか。「メタボリック」は僕にとって「そんな言葉もあったね」で済んでくれるといいのだが・・・・。「エロカッコイイ」というのは無茶苦茶な言葉だな。  さて、どうでもいい流行語大賞の「イナバウアー」(正しくは人名なので「イナ・バウアー」、もっとドイツ語に準じて発音すれば「イナ・バオアー」)は置いといて、「品格」である。  この言葉は上の記事にもあるように藤原正彦氏(この本が出る前から知ってたけど、新田次郎の息子さんで数学者ですね)の著書「国家の品格」で流行ったという。僕も機会があってぱらぱらと読んだけど(30分くらいで読み終わった)、なんというかありがたいお話ではあるけども、法事の時にお坊さんが聞かせてくれる(あるいは教会のミサで牧師さんが聞かせてくれる)「ありがたいお話」くらいとしか思わなかった。つまりは「あらためて聞きたいお話でもないなあ」くらいの感想だろうか。あの程度のお話ならブログ散策すればいくらでも見つかるんじゃないだろうかと思う(最近はブログが本になるそうですが)。  最近は新書ブームだそうだが、「バカの壁」は僕も面白いと思ったが、やはり「買うまでも無いなあ」と思った(妹が買っていたので読んだ)。どうも僕にはベストセラーは書けそうにもない。  さて「品格」だが、僕がこの言葉を聞いて思い出すのはカズロ・イシグロの「日の名残り」である。  主人公スティーヴンスは老いた執事で、物語は彼が執事になってから初めて取った一週間の休暇で赴いた小旅行の道すがら、自分の半生ややはり執事だった父親のこと、そして同僚の女中頭ミス・ケントンとの淡い恋などを回想する体裁をとっている。  スティーヴンスは自分の仕事について、「偉大な執事」とは何か?と常に自問してきた。そしてその答えは「季刊執事」(そんな雑誌があるのかと笑ってしまったのだが)に載っていたヘイズ協会(偉大な執事のみが参加できる協会)の声明だった。 「最も決定的な条件は、(中略)みずからの地位にふさわしい品格の持ち主であることである。この点に不足のある申請者は、その他の能力・業績がいかなる水準にあろうとも、当協会の入会資格を満たしているとはみなされない」  それでは「品格」とは何か?ということを、この小説を通じてスティーヴンスは自らの回想を交えつつ考え続ける。そして執事だった父親のこと、不安定な戦間期ヨーロッパ外交舞台の裏方となった自己の経験を振り返る。それはなかなかはっきりと言い表されないので、読んでいるこっちはちょっとじらされてしむのである。  しかし物語の終盤、スティーヴンスがそれを語る場面が来る。 「いや、あなたはどう思うんです。品格とは何だと?」 「これは、なかなか簡単には説明しがたい問題ではございますが、(中略)結局のところ、公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないことに帰着するのではないかと存じます」 「済みません、何がですか?」 「品格が、でございます」 「なるほど」医師はそう言ってうなずきましたが、何のことかよくわからないといった顔つきでした。  確かにこれだけ読むとなんのこっちゃ、と思うしかないかもしれない。有能な(そしておそらく執事としての品格をもつ)執事であるスティーヴンスはどうもこの「公衆の面前で衣服を脱ぎ捨てないこと」にこだわりがあるようで、 執事はイギリスにしかおらず、ほかの国ににいるのは、名称はどうであれ単なる召使だ、とはよく言われることです。(中略)大陸の人々が執事になれないのは、人種的に、イギリス民族ほど感情の抑制がきかないからです。大陸の諸民族―そして、ご賛成いただけると存じますが、ケルト人―は、一般に、感情が激した瞬間に自己の抑制ができず、そのため、至極平穏な状況のもとでしか職業的あり方を維持できません。(中略)少し挑発されただけでも上着もシャツも脱ぎ捨て、大声で叫びながら走り回る人のようなものです。そのような人に「品格」は望むべくもありません。この点で、イギリス人は絶対的な優位に立っています。  人種論とかも出てきていかにもアナクロな考えにも見えるし、これは執事としての品格論なのかもしれない。結局品格とは何か?という答えは明確には述べられない。  しかし、この「日の名残り」は格調高い名作だとは言えると思う。僕が考える「品格」とは、少なくとも、浮薄な流行語大賞に流されず、こうした名作を読んで面白いと感じられること、だろうか。あと、品格は「流行」にして欲しくないですなあ。

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