舞台鑑賞・能楽堂&こまつ座2013年2013年1月27日今年も、能を中心に舞台鑑賞をしていく予定です。 今日は千葉の新春能を見に行きました。 狂言は大蔵流の「金藤左衛門」 能は金春流の「田村」 そこで説明を受けて知ったのですが、武士は死ぬと「修羅道」に落ちると言われていて、武士を扱った能は「修羅物」と言うんですって! そして修羅物には、おもに平家の公達が主役の「負け修羅」と「勝ち修羅」があるのですが、ほとんどが「負け修羅」で、勝ち修羅は、今日の「田村」と義経の「屋島」、梶原景季の「箙」の3つだけしかないそうです。 能のスポンサーは、武士だったのになぜ武将たちは「負け修羅」を好んだのか? それは、平家の人々の文化や教養を自分たちもお手本にしたい、という憧れがあったかららしい。 まずは狂言の「金藤左衛門」 大蔵流ですが、和泉流では「やせ松」というらしい。 しぐさが細かくて今風。 山賊の金藤左衛門は、山道で追いはぎをしようと待ち構えています。 そこに在所に帰る女が通りかかるので、その持ち物を奪うのですが、中身を確認しているうちに、女になぎなたを奪われてしまい、逆に女に刀や衣服を取られてしまう、というお話。 やりとりも面白いし、女の袋の中から、小袖、帯、紅、かもじ、などが出てきてこちらも興味深々! 次に能の「田村」 春の清水寺を訪れた僧が、童子の姿をした坂上田村麻呂の霊に出会い、境内から見える景色や、創建時の由来など聞きます。 田村堂の中に消えた童子が、田村麻呂の霊と近所の人に聞いた僧は、田村麻呂の供養をしようと読経しますと、武将姿の田村麻呂が現れて、鈴鹿の賊退治の勅命を受けた折、清水寺の観音の助けを借りて、無事に敵を討伐できたと、観音のありがたさを語り、クライマックス! というストーリーでした。 清水寺には、立派なアテルイの顕彰碑(割と最近立てられた、ピカピカ)があって、なんでかなあと思っていたのですが、坂上田村麻呂のお寺なんですね。 2月19日 国立能楽堂に行きました。 まずは和泉流の狂言「腰祈=こしいのり」 大峰葛城で修行を終えた山伏が、故郷の祖父=おおじ(という呼び方が可愛い)のもとを訪れます。 祖父と太郎冠者は、山伏のことを「京の殿」と呼び、この呼び方もまた素敵なんだけど、若くて一人前ではない山伏のことを言うのですって! お面をつけたヨタヨタの腰の曲がった祖父のために、山伏は祈りでその腰を直そうとしますが・・・・なかなかうまくいかずに、叱られてしまう、というお話。 孫が来たというので、祖父が犬の子をあげようと子ども扱いする場面など、ほんわかムードで面白かったです。 能は平家の家臣でのちに以仁王の乱を起こした「頼政」。 平家物語巻の4の「橋合戦」「宮御最期」 からの、世阿弥の修羅能です。 宇治の名所を老人に案内される旅の僧。 老人は僧を平等院の扇の形をした芝に案内し、 「ここは宇治の合戦で破れた源頼政が、扇を敷いて自害したあとなので「扇の芝」と呼ぶのだと教えて姿を消します。 里の男から頼政の苦悩の決断を聞く旅の僧は、頼政の弔いをします。 やがて現れる頼政の霊は、出家姿の頭巾を被り、鎧をつけた武者の姿。 ♪伊勢武者は、みな緋縅の鎧着て、宇治の網代に、かかりぬるかな。 うたかたの、あはれはかなき世の中に はかなかりける、心かな。 執心の波に浮き沈む、因果の有様顕すなり。 名も高倉の宮のうち、雲井の外に有明の 月の都をしのび出て 憂き時しもに近江路や 三井寺さして、落ち給ふ。 さる程に、平家は時を廻らさず 数万騎の兵を、関の東に遣はすと 聞くや音羽の山続く 山科の里近き、木幡の関を外に見て ここぞ憂き世の旅心宇治の川橋うち渡り 大和路さして急ぎしに 寺と宇治との間にて 宮は六度までご落馬にて 煩はせ給ひけり、 それは先の夜、御寝ならざる故なりとて、 平等院にして、しばらく御座を構へつつ さる程に源平両家の兵、宇治川の南北の岸に打ちあがり、 ときの声、矢叫びの音、波にたぐへておびただし♪ ☆というような中で、勇壮な舞が繰り返されます。 世阿弥のテキスト「伝書」には、源平の有名な武将をテーマにした場合は、「平家物語」をいぢらないこと!と書かれているそうです。 高倉宮が何度も落馬したところなど、ちょっと知ってる場面なので嬉しい♪ 頼政の語りに以仁王を巻き込んだ反省の弁もあり、 修羅物って、割と好き♪ 源頼政は、文武両道に秀でた人だったらしくて、さだいへくんが晩年編んだ新勅撰和歌集に、 定家の父俊成が、大内の花を見て頼政に送ったという詞書のついた歌 「いにしへの雲井の花にこひかねて身を忘れても見つる春かな」 というのに頼政の返歌 「雲井なる花も昔を思ひ出でば忘るらむ身を忘れしもせじ」というのが載っています。 和歌の第一人者の俊成のほうから歌を詠みかけた・・・という素晴らしいエピソード! 能「頼政」の地謡の中の ♪雲井の外に有明の♪ は、ここから取ったのかもね。 3月6日 今日は千駄ヶ谷の国立能楽堂。 狂言は「竹生嶋詣」。能は菅原道真の霊が出て来る「雷電」でした。 シテの片山九郎衛門さんの動きが、素晴らしかったです! 延暦寺の座主の宝生欣哉さんも気品ある姿で素敵でした♪ 「竹生嶋詣」は、大蔵流の狂言で、シテの太郎冠者は茂山千三郎さん、アドの主は丸石やすしさん。 主に内緒で竹生嶋詣でに行ってしまった太郎冠者が、帰ってきて得意になってみやげ話をする。 主と太郎冠者のやりとりが面白く、漫才は狂言がルーツ、というのが納得できます。 能「雷電」は、 シテ・片山九郎衛門さん、ワキ・宝生欣哉さん。 比叡山延暦寺の僧正が、護摩を焚いて祈っていると、菅原道真の霊が現れます。 僧正は道真の育ての師であったという伝説のままの設定。 亡霊は、自分はこれから雷となって内裏に行って復讐するので、祈祷をせよとの命令が下っても応じないように、と頼みます。 しかし、僧正は「三度勅使の要請があれば参内する」と答えたので、道真の霊は失望し、火の玉のようになって怒ります。 雷神の姿になって内裏に現れた道真の霊を鎮めるために僧は紫宸殿で祈祷を続けます。 雷神と僧正の激しい闘い。 九郎衛門さんの身のこなしの素早さ力強さに圧倒されます。 ♪不思議や僧正の、おはする所を雷恐れて鳴らざりけるこそ奇特なれ。 紫宸殿に僧正されば弘徽殿に神鳴りする、弘徽殿に移り給へば清涼殿に神る、清涼殿に移り給へば梨壺梅壺、昼の間夜の御殿を、行き違ひ廻り逢ひて、我劣らじと、祈るは僧正鳴るは雷、揉み合ひもみあひ追っかけ追っかけ・・・・♪ 祈りの力で雷神の勢いも失せ、帝からも天神の位を賜って、納得して虚空に消えて行きます。 本当に素晴らしい舞台でした。 中の本屋さんで、白洲正子の「謡曲・平家物語」を買いました。平家物語の順序で、登場人物ごとにまとめてあって読みやすい。小宰相、千手前の背景もよく分かりました。 5月17日 つぎに国立劇場へ。 1月に狭くなった劇場を閉鎖した前進座の、力をこめた公演ですね。 まずは、真山青果作の 「元禄忠臣蔵、御浜御殿綱豊卿」 今の浜離宮のあたり。 元禄15年春、甲府の徳川綱豊卿=嵐圭史、の御浜御殿では、奥女中総出で、演芸大会をしています。 そのにぎやかさといったら・・・前進座の若手が揃って芸を見せてくれます。 そういう意味でも良い演目ですね。 綱豊の寵愛を得ているお喜世=河原崎国太郎の所に、義理の兄で赤穂の浪人、富森助右衛門が訪ねてきます。 その日の招待客の吉良上野介の偵察です。 綱豊は、赤穂浪士に好意的関心を持つ綱豊は、助右衛門との問答で、赤穂浪士の思いを知ろうとし、また自分の考えを述べます。 いただいた資料によれば、御浜御殿に登場する多くの人物たちが浅野家とつながる人たちで、真山の綿密な資料読破、時代考証がうかがわれるとのこと。 最後に、能の船弁慶の知盛の装束姿の綱豊卿が、本音を言う助右衛門と対峙します。 嵐圭史さんが、ほんとにほんとに素敵でした! 姿も所作もせりふも声も良い。 当代一の歌舞伎俳優だと思いますよ。 次に、長谷川伸の 「一本刀土俵入り」 駒方茂兵衛に藤川矢之輔さん。 お蔦に河原崎国太郎さん。 矢之輔さんが、無一文でふらふらの茂兵衛と、10年後にやくざになって帰ってきた茂兵衛のきりっとした姿を好演! 前に梅之助さんの茂兵衛で見ましたが、しっかり引き継いでますね~! 二階のお蔦が茂兵衛に櫛やかんざしを渡す「しごき」は、国太郎さんのお祖母さまが縫って、代々使っているものだそうです。 5月22日 今日の演目は、和泉流の狂言「すおう落とし」と、 能は観世流の「項羽」 すおう落としは、大きな楽しみだったお伊勢参りに、伯父さんを誘うように太郎冠者に言いつけて・・・。 伯父さんが土産にくれた「すおう」を、酔った太郎冠者が帰りに落としてしまう、てんやわんやです。 「項羽」 草刈の男たちが草を刈っていると、老人が舟を操ってやってきます。 それに乗せてもらった男たちは、船賃がないというと、老人は刈り取った草の中の1本の花をくれればよいといいます。 それは虞美人(けし)の花でした。 なぜその花を選んだのかと聞くと、老人は、この花は虞美人草といい、昔、楚の項羽の后の虞氏の墓から咲いたからだと言います。 項羽は劉邦とともに秦を滅ぼして楚の王となり、のちに不和となるのです。 項羽と高祖は七十余回戦い、一度も負けなかった項羽。 しかしあるとき、項羽の侍が叛いて、四面から鬨の声を上げたため(四面楚歌)虞氏は悲しんで城壁から身を投げて死んでしまいます。 最後のたたかいと知り、項羽は自分の首を切り落とします。 勝った劉邦は、漢の高祖となるのですって。 舞台は中入りののち、項羽と虞氏の霊が登場。 虞氏は美しい舞を舞ったのち、身を投げます。 項羽は虞氏を失った悲しみ、味方の兵に裏切られた怒り、劉邦に負けた口惜しさなど、勇壮な中にも複雑な踊りを見せます。 このお話は「史記」にあるそうですが、 この能は「太平記」巻28の「漢楚合戦の事」から引いてあるそうです。 今日も、美しい和服姿がいっぱいの能楽堂でした。 7月22日 今日は、新宿の紀伊国屋に、こまつ座の、頭痛肩こり樋口一葉、を見に行きました。 幕が開くと、登場人物6人が、子どもの格好をしてお盆の歌をうたいつつ、走り回ります。 母多喜=三田和代 夏子=小泉今日子 妹邦子=深谷美歩 おこうさま=愛華みれ 八重=熊谷真実 ゆうれい花蛍=若村麻由美 です。 以前見た時よりも、登場人物の性格が強調されていた感じ。 母の多喜は、明治の女のあるべき姿、戸主としてあるべき姿、を、夏子に強制します。 邦子は、姉思いの働き者。ひとりぼっちになって、仏壇を背負って引越しをする後姿に泣けました。 旗本の姫だった、おこうさまは、宝塚ふうの歌を堂々と歌うし、夫の事業に対しても結構積極的。前のときは、乳母の多喜に甘えっぱなしだった気がする。 八重は、樋口の家と同じ八丁堀の同心の娘。維新の後に生きる手立てを失ってしまいます。 花蛍は、幽霊として毎年、お盆になると夏子の前に現れます。 現世の生き憎さから、ほとんどあの世の人のようになっている夏子だけには見えるのです。 小泉キョンキョンが最初は可愛く書くテーマが決まってからはりんとした夏子を演じます。 あまちゃんの春子ママの声とトーンはそのまま。 どんな夏子かといえば、井上ひさしのこの文に、春子ママの様子を足して想像してみてください。 『その女(ひと)は近眼である。 近眼の女性の常で、瞳はいつもキラキラと朝露のように輝いている。一重まぶたの目元にぱらぱらとそばかすが散っていた。 口もとはきゅっと締まって小さく、その口から調子の高いきれいな声で江戸弁が飛び出す。 言葉遣いは明晰だ。 口の利きようは四通りあって、少し隔てのある女性にはお世辞がよくて、待合のおかみさんのように人を逸らさず客あしらいが上手である。 人に擦り寄るようにしてものを言い、ときおり万事について皮肉な寸評を発して相手を笑わせるのが得意だった。 親身の女性には快活にしかし行儀よく喋り、他人の悪口は決して言わない。 勝気なくせによく泣いた。 尊敬する男性の前に出ると、ものやさしく、哀れっぽく恥ずかしそうにし、そうでもない男性には、突然、天下国家を論じたりして煙に巻いた。』 井上ひさしが、一葉を分析する目のやさしいこと。 会場で、井上ひさしの本 「二つの憲法=大日本帝国憲法と日本国憲法」 という、岩波ブックレット(525円)を買いました。 井上ひさしが、生きていたら、この憲法の危機に、いろいろ発信してくれたのに・・・(涙) |