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カテゴリ:日本と世界の文学論
夏休みも終わって、今日は源氏の日でした。柏木が亡くなっその妻落ち葉の宮の母から託された形見の横笛を、どうしようかと、父の源氏に相談に行く堅物の夕霧。その横笛の巻は短いのでもう終わりです。
曇り雨で涼しいので、自転車で会場のコミュニティセンターまで行ったのですが、脚力がバッチリ落ちているのを実感して、これではいけない、と思いました。5分くらいなのですが、きつい。 今日の先生の最初の話は、「お祝い申し上げます」について。皇室にお孫さんが生まれたので、街頭インタビューをテレビで盛んに流していましたが、「おめでとうございます」という人が皆無に近かった。とのこと。ほとんどの人が「お祝い申し上げます」と言っていた。それが気になって仕方なかったそうです。 アナウンサーの敬語の使い方はいつものとおりなってないし、なんでも「れ」をつければいいと思っている、とお怒りです。 「お祝い申し上げます」は、「お祝いの言葉をこれから言いますよ」という意味なんですって。なので、そのあとに「おめでとうございます」と言わないといけないんだそうな。 「お礼申し上げます」も、それだけではお礼を言ったことにならないんだそうです。 「お礼申し上げます。どうもありがとうございました。」で完了。 でも、よく売り出しのチラシなんかでも「日頃のご愛顧、厚く御礼申し上げます」なんて使ってますよね。 源氏で今やっているところは、夕霧が親友の柏木(女三の宮との間に不義の子薫をもうけ、心労の余り死んでしまった、昔の頭中将の息子)の妻落葉の宮(女二の宮)をなぐさめに通っているところ。 そこで源氏が意見をします。 「落葉の宮が琴で「想夫恋」を弾いたりしたのは軽率な行為だ。世間によくある間違いをしないほうがいいよ」 「となむ思ふ」と(源氏が)のたまえば 夕霧は (さかし、人の上の御教へばかりは心強げにて、かかる好きはいでや)と思って。 「何の乱れかはべらむ。何ごとも人により、ことに従ふわざにこそはべるべかめれ。」 と言います。 なんだい、自分のことは棚に上げてさ。というようなところですね。夕霧は母の葵の上に似てまじめで誠実な堅物なんですが、落葉の宮とはこののち、妻であり幼なじみの雲居雁と同じくらいの手厚いおつきあいを続けます。夕霧はほんとにいいやつです。 横笛が終わると次は鈴虫です。ところで 「かあさん、あの二千円札はいったいどこへ行ってしまったんでしょうねえ。ほら、何か変わった事をして国民の気を引こうとして作った、あの使えない二千円のことですよ・・・」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.09.14 19:43:59
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