第7官界彷徨

2006/11/27(月)20:52

唱歌の足あと・教育基本法を守ってみんなで歌おう

日本史(265)

 昨日は、船橋市にお住まいの「ないとうひろお」さんに、唱歌の歴史を教えていただきました。ないとうさんは1934年東京生まれ。合唱団や合奏団、うたごえの指導などをしていらっしゃる方で、姿勢の良い、背の高い、すてきな方でした。アコーディオンを持って。  明治政府は、学校で教える音楽に苦労したらしいです。音階とかがぜんぜん違うんですね。そして日本には3拍子が無かったそうです。あった3拍子はお経だけだったとか。なので急いで作った3拍子の日本の歌を、韓国の人たちはすごく嫌ったそうです。アリランの曲のすばらしさを持つ国の人たちなので。  そんなエピソードをたくさん、アコーディオンを弾きながら教えてくれました。  例・さくらさくらの変遷 (江戸時代は、関西の観光紹介) 咲いたさくら 花見てもどる 吉野はさくら 竜田は紅葉 唐崎の松 ときわ ときわ 深緑 (明治の改作) さくら さくら 弥生の空は 見渡すかぎり 霞か雲か 匂いぞいず いざや いざや 見にゆかん (昭和の軍国時代) さくら さくら 野山も里も 霞か雲か 朝日に匂う さくら さくら 花ざかり  村の鍛冶屋は平和の宣言 3番 刀は打たねど 大鎌小鎌 馬くわに作くわ 鋤きよなたよ 平和の打ち物 休まず打ちて 日ごとに戦う 懶惰(らんだ)の敵と お山の杉の子はサトウハチローさんの作詞 1ばんは 昔、昔その昔、椎の木林のすぐそばに・・・ですが 6番なんかすごい ♪さあさ負けるな杉の木に 勇士の遺児ならなお強い 体を鍛えがんばって  今に立派な兵隊さん 忠義孝行ひとすじに お日さま出る国 神の国 この日本を護りましょう 護りましょう 同じサトウハチローさんの作詞 もずが枯れ木には ♪もずが枯れ木に泣いている という歌ですが 2番 ♪みんな去年と 同じだよ けれども足りねえものがある 兄さの薪割る音がねえ バッサリ薪割る 音がねえ 3番 ♪兄さは満州へ行っただよ 鉄砲が涙に 光っただ もずよ寒いと泣くでねえ 兄さはもっと寒いだぞ  音楽を作る人たちも、軍国主義の制約のなかで、それを鼓舞したり、またはひそかに反戦の思いを込めたり、苦労が忍ばれます。  ほかにないとう先生の好きな歌ということで、北原白秋の「アイヌの子」というのを紹介していただきました。 ♪大豆畑の つゆくさは  露にぬれぬれかわいいな  大豆畑の細道を 小さいアイヌの子がひとり  いろはにほへと ちりぬるを 唐黍たべたべ おぼえてく  これは、日本の統治となり、民族の言葉を無くし、日本語を覚えさせられたアイヌへ寄せる北原白秋の思いだったそうです。静岡の子が、いろはにほへと、と言うのとはわけが違うんだそうです。  あとは「ジョンブラウン」彼は黒人解放運動をした人で、それにより人々を煽動したとして裁判で死刑になったんだそうです。全然知りませんでしたが、9・11の集会でも歌われるんだそうですね。  それから「アロハオエ」これはハワイの歌ですが、ある日、ハワイの議会の議員が全員アメリカ系の人になり、合衆国に加盟することを決めてしまった、そこで合法的にハワイ王朝は滅亡したんだとか・・・。  アメイジング・グレイスという歌も歌いました。 ♪海に生まれ 旅を続けた みどり 深き 森を抜けて 幾千万の 月日重ねて われら 人類(ひと)と なりぬ・・・  実は歌は苦手ですねん。  私は知らない歌ばっかりでしたが、みなさんよく知っていてびっくり。歌は世につれとか言いますけど、時代とともにいろいろな歌ができるものです。  最後に、2度と  ♪おおダニーボーイ   いずこに今日は眠る  いくさに疲れた体を 休めるすべはあるか・・  こんな歌を老いた母に歌わせないために・・・憲法と教育基本法を守り抜きましょう。

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