第7官界彷徨

2017/01/15(日)20:14

ローザ忌

世界史(52)

1919年1月15日、ローザ・ルクセンブルクは、当時のドイツ政府の要人の雇った暗殺団の手で斃れました。 今日は、ローザの好きだったというワインを供えて、ローザ忌です。 ローザの生きた1900年頃って、すごく昔に思えたけど、自分が年を重ねると、そんなに昔でもない感じがしてきました。世界史は不得意で、何がいつ起きたか、よく分からない。  ローザの生まれた1871年は、日本では廃藩置県が行われた年=これはすごい昔に思えます。  パリではパリコミューン  ドイツではドイツ帝国が成立。これらもすごい昔に思える。 1890年には第1回メーデー 1900年に列強が清国に出兵 1901年は明治34年(そんなに昔に思えない) 1904年 日露戦争  そんな頃に、生きた人だったのね。  ローザの戦争への考えを、ウイキさんよりコピペします。 =1912年にはSPD代表としてパリをはじめとするヨーロッパの社会党大会などへ出席。フランスの社会主義者ジャン・ジョレスとともに、もしも戦争が起こったときにはヨーロッパの労働者諸政党はゼネストに突入するであろうことを確約した。  1914年にバルカン半島の政治的緊張が頂点に達して戦争の避けられないことが誰の目にも明らかになってきたとき、ローザはフランクフルトほか各地でデモを組織し、良心的兵役拒否や命令への不服従を訴えかける。  この件により「法と秩序への不服従を煽動」したとされ懲役1年の有罪判決を受ける。拘留は即座には執行されなかったので、同年7月ブリュッセルでの国際反戦会議には参加することができた。しかしこの会議を通して、各国の労働者党においてナショナリズムが階級意識(en:Class consciousness)よりも濃厚になっていることを認めざるをえず落胆する。 1913年には、古典派経済学の分析を通じて、資本蓄積が国際負債や帝国主義を生むとを論じた主著『資本蓄積論』を出版する。 1914年7月28日、オーストリア・ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して第一次世界大戦が勃発。8月3日にはドイツ帝国がロシア帝国に宣戦布告した。  翌日、議会は戦時公債を発行し戦争に融資することを満場一致で可決。「城内平和」の名の下に戦争中はストライキを控えると約束して政府と休戦する。  またローザと同じく非戦を唱えていたジャン・ジョレスが暗殺され求心力を失ったフランスやオーストリアの社会主義者たちもこれに同調、こうして第二インターナショナルの命脈は尽きた。  これを聞いたローザは大きな衝撃を受けた。1899年以来彼女が戦い続けてきた修正主義が勝利を収め、戦争が始まったのである。=  雪崩を打って人々が戦争へ突き進む中で、ローザは戦争反対の声を上げ続ける。  1915年、フランクフルトで兵士虐待に対する抗議演説を行い、その罪を問われて1年間の禁固刑に処せられる。  その後、1916年から1918年まで、2年4カ月、たらいまわしの保護監禁がつづく。  第1次世界大戦はドイツの敗北となり、ローザは出獄。  しかし、戦後政府の要人となっていたかつての同志に雇われた暗殺団の手に斃れる。49歳だった。  何とも激しい時代。   そのころよりも世界は進歩して平和になっているでしょうか。  共謀罪というものが、平和憲法を持つ日本の、国会で決められてしまいそうです。

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