辺野古の未来
辺野古の県民投票のニュースを見て、十五年以上前に作り、その後いろいろな場所で披露した詩を思い出しました。ずっと、辺野古を守るために思いをつなげて来た沖縄のみなさんのご苦労に感謝します。若い皆さんが励まし合い知恵を出し合っている姿に希望を見つけられました。この詩を作った頃は、漠然とした不安と「カラ元気」しかなかった私でした。「貝がら」 沖縄の平和大会に行ったともだちが 辺野古の海でひろってきてくれた貝がらは うすいピンクやねずみ色で 人工の海岸しか持たない私たちが とうに忘れてしまった海の色をしていた 1945年4月あの海を覆い尽くすように押し寄せた軍艦 それから始まったのは十数万人の人たちの死にいたるまでの悲劇と 生き残った人たちの辛酸の日々 町を焼かれ父を焼かれ母を焼かれ 日本軍に追われ米軍に殺されていった人たち 夏の日差しさえ届かない暗い豪の奧で飢えとマラリアに苦しみ 日本兵の命じるままに抱いていた我が子を殺した母親は 死にきれなかった我が身をかかえ 怒りと悲しみと悔恨の50年を基地の島となったふるさとで過ごし 自分たちの島に基地はいらないと 遺言のように語り始めた たくさんの声が力となって もう自分たちの島から人殺しの軍隊を世界のどこにも送り出したくないと 住民投票は答えを出したのだ 移転先がなければ 基地を移せないとか そういう問題ではない 基地はこの国のどこにもあってはいけないと 住民投票は答えを出したのだ 戦争で傷を負ったまま50年以上も耐えてきた人々の心と 豊かな沖縄の自然に住むたくさんの小さないのちを犠牲にして 押し進められようとしている辺野古基地問題 小さないのちの住めないふるさとは やがて人間だって住めないふるさとになってしまうから 千葉に住む私たちも連帯の思いをこめてみつめよう あの海に いつまでも うすいピンクやねずみ色の きれいな貝が棲めるよう 沖縄の未来は私たちの未来 沖縄のたたかいは私たちのたたかい 明日は 基地のない平和な日本にするための 名護市長選挙の日・・・・