明日もいい風が吹きますように…

茨木のり子

   「自分の感受性くらい」


  ぱさぱさに乾いてゆく心を
  ひとのせいにはするな
  みずから水やりを怠っておいて

  気難しくなってきたのを
  友人のせいにはするな
  しなやかさを失ったのはどちらなのか

  苛立つのを
  近親のせいにはするな
  なにもかも下手だったのはわたくし

  初心消えかかるのを
  暮らしのせいにはするな
  そもそもが ひよわな志にすぎなかった

  駄目なことの一切を
  時代のせいにはするな
  わずかに光る尊厳の放棄

  自分の感受性くらい
  自分で守れ
  ばかものよ


    「倚りかからず」

もはや できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて 心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目 じぶんの二本の足のみで立っていて
なに不都合のことやある           

倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ


    「落ちこぼれ」  

  落ちこぼれ
    和菓子の名につけたいようなやさしさ
  落ちこぼれ
    今は自嘲や出来そこないの謂
  落ちこぼれないための
    ばかばかしくも切ない修業
  落ちこぼれこそ
    魅力も風合いも薫るのに

  落ちこぼれの実
    いっぱい包容できるのが豊かな大地
  それならお前が落ちこぼれろ
    はい 女としてとっくに落ちこぼれ
  落ちこぼれずに旨げに成って
    むざむざ食われてなるものか
  落ちこぼれ
    結果ではなく
  落ちこぼれ
    華々しい意思であれ


    「汲む」
       -Y・Y-

  大人になるというのは
  すれっからしになることだと
  思い込んでいた少女の頃
  立居振舞の美しい
  発音の正確な
  素敵なひとと会いました
  そのひとは私の背のびをみすかしたように
  なにげない話にいいました

  初々しさが大切なの
  人に対しても世の中に対しても
  人を人とも思わなくなったとき
  堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
  隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

  私はどきんとし
  そして深く悟りました

  大人になってどぎまぎしたっていいんだな
  ぎごちない挨拶 醜く赤くなる
  失語症 なめらかでないしぐさ
  子供の悪態にさえ傷ついてしまう
  頼りない生牡蠣のような感受性
  それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
  年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
  外にむかってひらかれるのこそ難しい
  あらゆる仕事
  すべてのいい仕事の核には
  震える弱いアンテナが隠されている きっと
  わたくしもかつてのあの人と同じくらいの年になりました
  たちかえり
  今もときどきその意味を
  ひっそりと汲むことがあるのです


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