釈迦を偲ぶ日に高尾山。
今日5月13日の満月はウエサク祭という祭典が行われるそうだ。釈迦の生まれた日、悟りを開いた日、入滅した日が、すべてインド暦の第2月の満月の日であったという伝承にちなんで、古くから5月の第1満月の日にヒマラヤの渓谷でこれを偲んできた風習に由来するもので、チベット、タイ、ミャンマー、スリランカなどアジア各地で行われ、日本では鞍馬寺で行われる祭典が有名なのだそうだ。近年になって、神智学系のチャネラーたちがこの風習に言及するようになり、たんに釈迦のみを偲ぶ日というだけでなく、天界と地上の間に通路が開けて、キリストをはじめとする聖同胞団(ヒエラルキー)の大師方が集まり、この地球全体に祝福のエネルギーをふりそそぐ日として、世界中のスピリチュアリストに広まり、多くの国で祭典が行われるようになってきているという。こんな情報を知る前に、この日に高尾山に行くことを決めていた。前行っていたセミナーの補講の日で、行かないと2万5千円がパ~になるのだが、かすかな後ろ髪しかひかれず、高尾行きを選んだ。レイキの先生から、鞍馬山に行く話も回ってきたのだが、京都泊りがけはまだ早いような気がした。パワーが弱い時に鞍馬に行くのはいいことだという声に後ろ髪を引かれながらも、次回に回した・・・次回があるかどうかわからないが。平坦な道しか歩いてない私。勿論、登山やハイキングなどもしない。山道はかなりハードな気がした。案の定、鞍馬は楽ではないらしい。後で聞いたのだが。もし、私にいける準備が整っていたのなら、きっとふたつ返事で「行きます」と答えていただろう。何も考えずに。霞み煙る小雨の高尾・・・なんと幻想的な風景だったろう。こんなに気持ちのいいところだったなんて、知らなくてもったいなかったかも。来たのは、小学校の遠足以来だったと思う。その後、デートでも来たような気もするが…忘れた。ごめん。無意識の極みみたいな生き方をしていた奴でした。パワーが、エネルギーがないと感じるときは、自分にダメだしをしている時だという人もいる。自分にOKを与えてあげられていれば、どこにいてもエネルギーで満たされると。確かにそうなのかもしれないが・・・そんな単純に、なれていない。こういう自然の懐の中に来ると、自分がストレスで満たされてしまっているのがよくわかる。上手く解き放しているつもりでも、できていなかったんだな・・・ちょっとずつ、ひとつずつ、揺れを意識していたつもりだったのに。自分のことなのに、わかってあげられていない・・・まだまだで・・・これからで・・・雨なのもまた感慨深い。浄化の雨と謳いたい。行きは薬王院を目指したから、多少人もいたが、帰りはつり橋を回ってきたから、ほとんど人に会わなかった。人によって土が踏み固められ、根っこが剥き出しになってしまう樹木。自然は自分たちを犠牲にして、人を癒す。霧で視界も悪い眼下は、まるで見なくていいもののような気がしてしまう。もしここから滑り落ちても、霞は受け止めてくれないし、樹木は誰も声を上げない。そして屍は大地の栄養になり、たましいは光に戻る。目を凝らせば見えるもの、聴こうとすれば聴こえてしまうもの、それら全てを表出させる必要があるものとは限らない。それぞれには、それぞれの準備期間があり、熟成期間が必要なのだろう。わかってはいるけれど、待てない時、気になる時、どうすればいいかは人それぞれで、自然が大きな力を貸してくれる場合もあるのだろう。気温はたぶん低かったのだと思うけれど、あたたかい山でした。また、お邪魔します。