中国茶・台湾茶と旅行 あるきちのお茶・旅行日記(旧館)

2009/05/26(火)00:08

山陰街あるき(3)-石見銀山 その2

旅行(348)

さて、お昼を食べたので、山を登っていきます。 と、その前にちょっと寄り道。 羅漢寺に寄って五百羅漢を見ていきます。 石窟の中に五百体の羅漢(石像)が安置されています。 ひんやりした狭い石窟の中で、びっしりと埋め尽くされた羅漢とのご対面は少々怖くもありますが(^^;) #しかも、1つ1つ表情が違います。 という寄り道のあと、龍源寺間歩を目指して、山を登っていきます。 本当に緑の溢れる、のどかな山道です。 草花が咲き、蝶も乱れ飛んでいます。 森林浴気分で、ズンズンと緩やかな傾斜を登っていきます。 天気も良く、空気も爽やかで、最高の観光日和でした。 遊歩道も整備されていて、清流が流れています。 さて、石見銀山はあちこちに坑道があります。 坑道は”間歩(まぶ)”と呼ばれており、掘り進むための坑道や水抜き、空気穴など様々なものがあります。 その数は分かっているだけでも500以上あるのだとか。 そのような間歩の入り口が、歩いているとあちこちに見かけられます。 どこへ繋がっているんだろう、と思うとともに、この一見平和そうに見える山の中には無数の坑道が張り巡らされているわけです。 重機のない時代に、手堀りでそれを数百年も続けていたわけですから、本当に気が遠くなります。 さらに、石見銀山は銀の精錬に必要な火力として薪を使っていたわけですが、今でも緑が豊かに残っています。 これは計画的に植林をし、森を大切に守ってきたということでもあります。 世界の鉱山を見渡すと、坑道を掘り進んで、植林をしながらというような自然と共生した形で鉱山開発を進めているところは多くありません。 山を突き崩す露天掘りの手法で進めているところも多く、そのような地域では森は失われ、一面のハゲ山になってしまいます。 森を大切にするという国民性。 これは日本という国の特徴なのではないかなあと思います。 さて、このような道を30分ばかり歩いて、石見銀山のハイライト?というべき、龍源寺間歩に到着しました。 幕府直営の坑道の中でも大きなものであり、一般人が入れる数少ない坑道です。 #他はツアーなどの形式でしか入れないので、一般観光客が普通に見られるのはここだけです。 では、入ってみましょう。 身長170cm程度でも、ところどころ少しかがみ気味にならなければいけませんが、割と広い坑道です。 そして、この坑道はやはり手堀りで掘り進められています。 固い岩盤を少しずつ掘り進めていったのですねぇ。。。 そして、進んで行くと、横に坑道が伸びています。 鉱脈を見つけると、そこを重点的に掘り進めていきます。 そうして出来たのが、この横穴なんですね。 こうしたものが無数にあり、まさに山の中全体がアリの巣のようにあちこちに坑道が張り巡らされているのだと思います。 この龍源寺間歩は、入れるところまででも奥行きで157mあります。 ここまでしか入れませんが、この先にも間歩は延々と伸びているわけで、どれだけこの山の中に迷路のように入り組んでいるのかと考えると、本当に気が遠くなります。 このような難しい鉱山経営が、江戸時代には行われていたわけですから、全くすごいことだと思います。 新しく観光用に切り開かれた坑道を使って外に出ます(龍源寺間歩は一方通行です) 石見銀山の観光はここで折り返し。 ふたたび大森の街まで下りてゆきます。 続く。

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