2015/11/09(月)18:12
日本での中国茶の歴史を振り返る-(1)中国茶との遭遇
ブログ10周年企画として、日本における中国茶の歴史を振り返ってみたいと思います。
「日本における中国茶の歴史」といっても、留学した修行僧が茶の種を持ち帰り・・・なんてところからやると、きりがありません。
そこで、ここは日中国交正常化以降(1970年代以降)の流れのみに絞りたいと思います。
一部、私が生きていない時代やよく知らないところも多くありますので、そこは伝聞&事実からの推測になります。
私、生き字引ではありませんので、そのあたりの不正確さはご容赦下さい。
<まとめてみようと思った理由>
歴史を振り返るというのは、身に余る大きなテーマなのですが、これを扱ってみようと思ったのは以下のような理由からです。
1.新しい方が増えてきている
先日のエコ茶会でも、最近、中国茶に関心を持ち始めた、という方が沢山いらっしゃいました。
そうした方たちの目から見ると、今の中国茶の状況というのは、ちょっと不透明感があると思うんですよね。
歴史を紐解くことで、そのあたりを少し解消できれば良いな、と。
2.前に進むため
中国茶の世界、長らく停滞気味と言われております。
が、停滞するのにはそれなりの理由がありますし、かつて良かった頃にもそれなりの理由があるのです。
そうしたものが整理できていれば、これからどう進むべきなのか?が見えてくるのではないか、と思っています。
前に進むためには、過去の歴史を整理し、そこから学ぶことも必要です。
3.これまでの功績を明らかにする
先日、エコ茶会に関わって下さる方を”ドリームチーム”と呼称しました。
が、それぞれの方が中国茶の世界においてどういう活動をされ、それがどういう影響があったのかを知らないと、ドリームチームと言われてもピンと来ないと思うんです。
その評価は、個人的な好みではなく、歴史の流れで捉えたときにどう評価されるのか?でないと意味が無いと思います。
・・・前置きはこのくらいにして本編へ。
<国交正常化後の中国ブーム>
1972年9月に日本と中華人民共和国の間で日中共同声明が発表され、国交が回復しました。
当時の中国、まだまだバリバリの社会主義国家でした。
冷戦ムードが強い中ですし、社会体制の全く違う国ではありますが、元来、数千年もの間、交流のある国です。
当時の情勢としては、中国に対しての歓迎ムードがあったように感じます。
#近現代史における負い目が歓迎ムードをより高めていた感もあったと思います。
たとえば、ジャイアントパンダ「カンカン」と「ランラン」の初来日。大フィーバーでした。
テレビコマーシャルでは、明星「中華三昧」、ハウス「マダムヤン」などがバンバン流れていました。
いずれも未知の国・中国に、なんとなく好意的なイメージだったように思います。
中国といえば、漢方の母国であったり、不老長寿の国?という印象からか、なんとなく健康に良いものが多いイメージもありました。
さまざまな中国発の健康食品。時代が下っては痩せると評判だった海藻せっけんなど、健康モノは特に多かったように思います。
当時のステレオタイプな中国のイメージといえば、人民服と自転車。
それから歴史と健康、そして美食だったんじゃないかと思います。
<烏龍茶から始まった>
そんな流れの中で、中国茶も紹介されていきました。
当時の中国も緑茶の国だったのですが、緑茶や紅茶では日本国内での差別化が難しかったのかもしれません。
茶業界や大手のメーカーが着目したのは、中国独特の烏龍茶でした。
1979年には伊藤園が、日本で初めてのウーロン茶の輸入代理店契約を結びます。
その2年後の1981年には、世界初の缶入りのウーロン茶を発売し始めます。
缶入りのお茶は、緑茶ではなくウーロン茶から始まっているのは、ペットボトル世代的には見逃せない点です。
上述のような、中国の健康イメージもあって、烏龍茶は身体に良いというイメージで販売されていきました。
烏龍茶でお酒を割ると悪酔いしませんとか、痩せます、とか。
味というよりは、健康イメージを押した販売戦略だったように思います。
ウーロン茶の輸入は、サントリーなどの大手も追随したほか、中華食材を手がける商社なども参入しました。
続いて痩せるお茶としてプーアル茶が持ち込まれたり、ジャスミン茶などは中華料理屋さんで飲むお茶の代表格。
さらには茶外茶ではありますが、杜仲茶などもブームになりました。
「中国茶」=「健康茶」のイメージは、このころに決定的に根付いたのではないかと思います。
当時、中国のものを売り込むための最高のセールストークが「健康」だったんでしょうね。
<輸入の主役は大手と食材問屋>
国交が回復したとはいえ、中国は、なにしろ社会体制の違う国です。
人の往来も厳しい制限があり、そんな状況ですから、輸入をするのも相当苦労があっただろうと思います。
中国から何かを輸入するとなれば、相手は思いっきり官僚体質を引きずる国営企業。
その交渉は並大抵では無かったと思います。
国営企業の仕事といえば、規格化した商品を大量生産することでしたから、輸入されるお茶の品質的にはそこそこと言うレベルだったと思います。
新中国になってからは文革などもあり、茶業がかなり遅れていましたから、日本側の求める品質水準を維持するのも、輸入業者を悩ませたことでしょう。
それを大量輸入できる会社でないと、相手にはなりませんでした。
そのため、お茶の輸入業者のメインプレイヤーは伊藤園やサントリーといった大手の会社。
あるいは、中国に独自のコネクションを持つ華僑系の中華食材輸入商社に限られていたように思います。
日本人に馴染みの無いお茶なので、安定的に消費をするのは、大手の飲料メーカーか中国料理店などの業務店が主軸です。
このような顔ぶれになるのも、納得がいきます。
一般の消費者が中国茶を入手するにしても、スーパーで並ぶお徳用の烏龍茶ティーバッグを買うか、缶飲料。
リーフにこだわる方は、中華街の中華食材屋さんかお茶専門店で買うしかなかったと思います。
※横浜中華街では、悟空1号店が1981年開業、天仁茗茶が1985年開業です。
ちなみに1983年当時の人民元レートは、1元が120円前後。
当時の中国の物価事情も含めて考えると、中国茶というのは非常に割安な茶葉であったのだろうと思います。
ゆえにお茶の扱いは、あまり厳密なものでは無かったようです。
今でも中華街などで見かける、透明なビニールのパックにお茶を詰め、直射日光が当たるワゴンに展示というスタイルは、その当時を偲ばせるものといえそうです。
茶業者では無い人がお茶を扱っていたということもあるでしょうね。
<ブームはすぐに下火に>
これが、国交正常化以後のいわば”ファーストウェーブ”のような中国茶の広がりでした。
1980年代は日中関係も良好だったので、比較的良い時代だったのだろうと思います。
が、何でもそうですが「健康」がキーワードのブームというのは、あまり長くは続きません。
通関統計から見ると、烏龍茶に限って言えば、1979年、80年の第1次ブームはすぐに廃れて、1982年には輸入量が半減。
しかし、その2年後には、またブームが再燃と浮き沈みの激しさが見えます。
このように、一過性のブームに振り回されるお茶であり、日本に定着したといえるかどうか?な部分がありました。
そんな中でも、サントリーは看板商品の「烏龍茶」を徹底して改良を続け、今でも定番の茶飲料に育てています。
テレビコマーシャルなどでも、一貫して中国へのポジティブなイメージが流れ続けています。
このへんの企業姿勢は、さすがと言うべきでしょう。
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続く
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ファーストウェーブは健康茶でしたね