【 東京歩きめぐり 第94回 】 早稲田町 早稲田南町 喜久井町 原町
2017年11月24日(金)晴11月も下旬になると、晴れて風がない日でも、屋外にいるだけで寒い。今回歩くのは、新宿区の早稲田町・早稲田南町・喜久井町・原町1~3丁目。09:25 鶴巻南公園 、【 東京歩きめぐり 第94回 】を歩き始める。早稲田町・早稲田南町から。早稲田の地名は、神田川に近くて川が入り組んだ地形で水稲の田圃が多く、凶作に備えて普通の田植えより早い時期に植える田があったことに由来するという。早稲田通り沿いに「落馬地蔵尊」を祀っている。3代将軍 徳川家光が遠乗りでこの地を通った際、突然馬が暴れて落馬。怪しんで辺りを探させると、土橋の下からこの地蔵が現れたと伝わる。「漱石公園」に立ち寄る。ここには、夏目漱石が 1907年(明治40年)年から、亡くなる 1916年(大正5年)年までを過ごした「漱石山房」があった。園内に建つ「猫の墓」と呼ばれる石塔は、漱石の没後に遺族が夏目家で飼っていた猫・文鳥・犬を供養するため造らせた九重塔。猫は「吾輩は猫である」のモデルとなった猫。石塔は空襲で損壊したが、1953年に再興された。喜久井町を歩く。喜久井町の町名は、当地に江戸時代から続く名主 夏目家の家紋「井桁に菊」に因み、漱石の父 直克が命名したとされる。「夏目坂」を下る。この坂名も直克が夏目坂と呼んでいたところ、それが人々に広まり地図にも載るようになったという。夏目坂下に「夏目漱石誕生之地」碑がある。1867年(慶応3年)漱石は夏目家の五男三女の末っ子としてこの地に生まれた。坂の途中、「誓閑寺」の梵鐘は 1682年(天和2年)に鋳造されたもので、新宿区内最古の梵鐘とされる。坂の途中にもうひとつ。「来迎寺」の境内には、1676年(延宝4年)銘の庚申塔がある。原町1~3丁目をめぐる。原町の町名は、かつての地名 椚原(くぬぎはら)に由来するらしい。この地に町屋が開け、椚原にできた町屋という意味から原町と名がついたという。原町1丁目の鎮守社「天祖神社」を訪れる。立派な門は、寺院の山門のように見える。原町2丁目の「幸国寺」。山門は徳川御三卿 田安家の屋敷門を移築したものとも伝わるが、真偽は不明。山門脇に門番が控える番所を備えているのは、武家屋敷門で多くみられる形式だという。原町3丁目、「寶禄稲荷神社」を訪れる。外れくじを供養して勝運祈願する神社として知られる。拝殿脇には外れくじを納める箱。10:40 若松町交差点 、【 東京歩きめぐり 第94回 】はここで終わり。鶴巻南公園 → 若松町交差点: 5.0 km