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カテゴリ:(完結)東京歩きめぐり
2017年01月23日(月)晴
冬晴れだか、北風が強くて寒い。気象庁のHPによると、今日の東京都心の最低気温は0.2℃だったようだ。今回歩くのは、千代田区の四番町・二番町・一番町。10:05 JR市ヶ谷駅前 、【 東京歩きめぐり 第76回 】を歩き始める。 新坂を上って四番町。番町文人通りを行くと、まちの記憶プレート「与謝野鉄幹・晶子旧居跡」がある。それによると2人は、1911年(明治44年)から4年間 ここで暮らしていたらしい。現在はマンションになっている。 二番町を歩く。2003年 汐留に移転するまで、二番町には「日本テレビ」の本社があり、今でも近辺には日テレ関連施設が多い。「ベルギー大使館」を訪れる。かつてここには 第24代内閣総理大臣(在任期間 1924~26年)を務めた加藤高明の邸宅があったという。 「イスラエル大使館」前を行く。大使館の建物は路地の奥まった場所にあるのだが、路地の入口に警備の警察官が2人いて、近づくことはできない。イスラエル大使館はテロの標的になりやすいということなのだろう。ダビデの星が北風にはためく。 一番町をめぐる。一番町には西から東へ「樹木谷」と呼ばれる谷筋が横たわり、そのため谷の両側に坂道が多い。「南法眼坂(みなみほうげんざか)」を上る。「(前略)この坂の北に法眼坂があるためにその名が付けられたのでしょう(中略)斉藤法眼という人の屋敷、この坂のきわにあり(中略)法眼とは僧の階級のひとつ(後略)」と解説標柱。 坂上の広い敷地に、低層和風建築「王友荘」がある。周囲は高層ビルばかりなので、イヤでも目立つ。調べてみると、大王製紙の迎賓施設である。大王製紙といえば、2011年に発覚した創業家 井川意高(もとたか)会長のカジノ使い込み事件が思い浮かぶ。 「袖摺坂(そですりざか)」を下る。標柱には「(前略)むかし、この坂道は行きあう人の袖と袖がふれあうほどせまいのでその名がついたといわれます(後略)」。坂上に「滝廉太郎居住地跡」碑がある。1894年(明治27年)頃から 1901年(明治34年)まで 彼は一番町に住んだという。 坂下から「永井坂」を上る。「(前略)名称のおこりは旗本屋敷の名によるとされています。嘉永4年(一八五一)の東都番町大絵図という切絵図をみますと永井勘九郎・永井奥之助という旗本が道をはさんで、ちょうどむかいあっているかのようにみえます」と標柱にある。 坂上を東へ、「半蔵濠」を挟んで皇居を臨む「英国大使館」前を歩く。この土地が英国公使館として貸与されることになったのは 1872年(明治5年)。かつては上野七日市藩前田家上屋敷・旗本 水野兵部屋敷・大和櫛羅藩(くじらはん)永井家上屋敷・盛岡七戸藩南部家上屋敷が並んでいた。 大使館前に「サトウ公使植桜の地」の解説板がある。サトウ公使とは、1895年(明治28年)から1900年(明治33年)まで駐日公使を務めた アーネスト・サトウ。サトウという姓は日本の佐藤姓と関係やつながりはないが、親日家の彼は日本式に「佐藤愛之助」を名乗ったという。 「五味坂」を下る。以前は解説標柱があったようだが、見当たらない。坂名の由来を調べると、「坂下がかつての五番町、坂上がかつての上二番町なので五二坂と名が付き、それが五味坂に変わった」とある。11:05 墓苑入口交差点 、【 東京歩きめぐり 第76回 】はここで終わり。 市ヶ谷駅前 → 墓苑入口交差点 : 4.4 km お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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井川意高は大王製紙です。
(2018.09.12 14:55:08)
ご指摘の通りです。訂正します。
(2018.09.20 08:23:13)
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