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「歩きつなぎの旅」の記録

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2018.06.04
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2018年06月04日(月)晴


予報によると、今週半ばには梅雨入りするようだ。梅雨入り前の貴重な晴天。歩きめぐりに出動する。今回歩くのは、文京区の水道1~2丁目・春日2丁目。09:25 江戸川公園前交差点 、【 東京歩きめぐり 第108回 】を歩き始める。



水道1~2丁目。町名の由来は、この地に神田上水が通っていたことによる。井の頭池を源流とする神田上水は、関口の大洗堰で水位を上げて分水し、小日向・小石川台地のふもとを経て、水戸上屋敷(現在の後楽園付近)へ導水していた。その流路は、現在の「巻石通り」に当たる。



春日2丁目。町名の由来は、3代将軍 徳川家光の乳母 春日局の拝領地があったことによる。「安藤坂」を上る。江戸時代、坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことにより名付けられた。幕末の切絵図にも「安藤飛騨守」「安藤坂」と記されている。



安藤坂の途中を西に入ると、「永井荷風生育地」解説板がある。その解説によると荷風は、1879年(明治12年)この地で生まれ、1893年(明治26年)に引っ越すまで、少年時代のほとんどをこの地に住んだという。この辺りは江戸時代、幕府の御家人や旗本の屋敷があったところ。



「金剛寺坂」を下る。かつて坂の西側に金剛寺という禅寺があり、それが坂名の由来。幕末の切絵図にも「金剛寺」「コンカウシサカ」と記されている。坂上の跨線橋の下を走るのは、東京メトロ丸ノ内線。

「今井坂」を下る。坂上の屋敷の内に兼平桜(平安時代末期の武将 今井四郎兼平の名に因む)と名づけた大木があり、これが坂名の由来とされる。別名を「新坂」ともいい、幕末の切絵図には「シンサカ」と記されている。



今井坂上に「徳川慶喜終焉の地」解説板、坂下に「徳川慶喜公屋敷跡」標柱がある。現在 坂の西側一帯は国際仏教学大学院大学の敷地になっているが、ここは 15代将軍 徳川慶喜が、1901年(明治34年)から 1913年(大正2年)に76歳で没するまで住んだところ。



「庚申坂」を上る。急勾配の階段坂。かつて坂下に庚申の碑があったことから名付けられたとされる。10:20 茗台中学校前交差点 、【 東京歩きめぐり 第108回 】はここで終わり。


江戸川公園前交差点 →   茗台中学校前交差点: 4.2 km






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Last updated  2018.06.05 15:17:13
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