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カテゴリ:(完結)東京歩きめぐり
2019年04月22日(月)薄曇
薄曇で日差しが弱いのに、今日の東京の最高気温は25.6℃まで上がった。今年初めての夏日だったらしい。今回歩くのは、北区の田端3丁目と文京区の本駒込5丁目。09:15 田端区民センター前 、【 東京歩きめぐり 第134回 】を歩き始める。 田端3丁目。「日枝神社」を訪れる。千代田区永田町の日枝神社と同じ「山王鳥居」。笠木の上に三角形の破風が付いている。山王鳥居は滋賀県大津市の日吉大社の鳥居の形式をもととし、山王権現関係の神社に用いられる。 日枝神社の隣り「ポプラ坂」を上る。坂名は、明治時代末 坂上につくられたポプラ倶楽部というテニスコートに由来する。ポプラ倶楽部は田端に住む洋画家の社交場だったという。現在、跡地は保育園になっている。 谷田川(やたがわ)通りの「田端不動尊」は、田端駅南口にある不動坂の名前の由来となった不動尊。1935年(昭和10年)谷田川改修工事にともない現在地に移された。谷田川が暗渠となってできたのが谷田川通りで、かつては台東区の不忍池(しのばずのいけ)に注いでいた。 本駒込5丁目。「神明坂(しんめいざか)」を下る。駒込の総鎮守の天祖神社(旧称 神明社)にあやかって、この辺りの旧町名を駒込神明町といった。坂名はその旧町名に由来する。坂がある不忍通りは1922年(大正11年)の開設。神明坂は大正時代にできた坂である。 「駒込富士神社」を訪れる。1574年(天正2年)本郷村に創建(現在の本郷7丁目)。1629年(寛永6年)本郷が加賀藩前田家の屋敷に充てられたため、当地に移転した。拝殿は富士山に見立てた富士塚の上にある。この富士塚は前方後円墳だったともいわれる。上ってみると、確かに古墳のように見える。 「稲荷坂」を下る。坂名は、坂上にある江戸時代初期から続く駒込村開拓名主 高木家(本駒込3丁目)に祀られていた「宗十郎稲荷」に由来する。10:15 駒込稲荷坂下交差点 、【東京歩きめぐり 第134回 】はここで終わり。 田端区民センター前 → 駒込稲荷坂下交差点 : 5.0 km お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.23 10:55:47
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