1451926 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

「歩きつなぎの旅」の記録

「歩きつなぎの旅」の記録

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Category

Keyword Search

▼キーワード検索

Recent Posts

Comments

タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36@ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

Calendar

2020.09.22
XML
2020年09月22日(火)晴


秋分の日。明日からしばらく雨の日が続くようなので、予定を早めて歩きめぐりに出動する。今回歩くのは、中央区の日本橋富沢町・日本橋堀留町1~2丁目・日本橋大伝馬町。07:50 久松警察署前交差点 、【 東京歩きめぐり 第173回 】を歩き始める。

日本橋富沢町。この地は慶長年間(1596~1615年)幕府から古着商の鳶沢甚内に与えられた地区で、当時の古着には盗品も多かったため、鳶沢は江戸の盗賊の取締りを命じられた。当初は鳶沢町と呼ばれたが、のちに富沢町に改められたという。「富沢稲荷神社」を訪れる。創建年代は不詳。



戦前まで富沢町と久松町の間には浜町堀(浜町川)があったが、戦災により生じた瓦礫で埋められてしまった。戦後、ここには狭小なバラック店舗の建ち並ぶ「問屋橋商店街」ができた。現在フェンスで囲われているところを見ると、そう遠くない将来 取り壊されるのだろう。「旧川崎貯蓄銀行富沢町支店」は 1932年(昭和7年)の建築。現在はハリオグラス本社ビルとして使われている。



日本橋堀留町1~2丁目。川を上流から埋め進め河口部を埋め残して水路にしたものを堀留といい、石神井川支流(東堀留川)の堀留がこの地の南端で止まっていたことが、町名の由来とされる。1951年(昭和26年)東堀留川は戦災の瓦礫処理で埋め立てられ、姿を消した。



ビルの谷間にある「池洲神社」は創建年代不詳。池洲(生簀)屋敷にあった池から出現した稲荷を祀ったのが起源と伝わる。「三光稲荷神社」は江戸時代初期の創建とされる。迷い猫探しに御利益があるといい、その祈祷をしてくれる。境内には奉納された招き猫が並んでいる。



「出世稲荷神社」はマンション駐輪場の奥に鎮座している。元吉原を造った庄司甚右衛門が、1617年(元和3年)に創建したという。初代市川團十郎が日参し名声を博したことが、社名の由来と伝わる。「椙森(すぎのもり)神社」を訪れる。平安時代の創建といい、江戸時代には富くじ興行が許されていた。境内に富塚碑がある。日本橋七福神の恵比寿神を祀る。



日本橋大伝馬町。江戸時代 馬込勘解由(まごめかげゆ)が道中伝馬役を請け負い、当地に屋敷を構えたことに、町名は由来する。道中伝馬役とは、公用旅行者のための人馬の継立てを取り仕切る役職。町内に「旧日光街道本通り」石標と「馬込勘解由屋敷跡」解説板がある。



「蔦屋重三郎 耕書堂 跡」解説板。この地には江戸時代中期の出版業者 蔦屋重三郎の耕書堂があった。1774年(安永3年)吉原の案内書「吉原細見」の版元になり、さらに黄表紙(成人向けの絵物語)などを刊行した。08:45 鞍掛橋交差点 、【 東京歩きめぐり 第173回 】はここで終わり。


久松警察署前交差点 → 鞍掛橋交差点 : 3.3 km






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.09.23 14:14:05
コメント(0) | コメントを書く
[(完結)東京歩きめぐり] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.