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「歩きつなぎの旅」の記録

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2021.03.03
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2021年03月03日(水)快晴


今日は桃の節句。雲ひとつない青空だが、北寄りの強い風が吹いてとても寒い。今回歩くのは、江東区の門前仲町1~2丁目・牡丹1~3丁目・古石場1~2丁目。08:30 門前仲町1丁目交差点 、【 東京歩きめぐり 第188回 】を歩き始める。

門前仲町1~2丁目。富岡八幡宮の別当寺だった永代寺の門前町として栄えたことに、町名は由来する。葛西橋通りに「伊能忠敬住居跡」石柱がある。1795年(寛政7年)佐原から江戸へ出た忠敬は当地に居を構え、幕府天文方で測量・天文観測などを修めた。



「深川東京モダン館」は、関東大震災からの復興事業の一環として 1932年(昭和7年)竣工の「東京市深川食堂」を改修した建物。震災で住む場所を失った人々に安くて栄養のある食事を提供するため、深川食堂は東京市により公共食堂として建てられた。

牡丹1~3丁目。町名については、付近に牡丹を栽培する農家が多かったことに由来するという説と、現在の錦糸町辺りにあった牡丹園で働く職人がこの地に多く住んでいたことに由来するという説とがある。

「黒船稲荷神社」を訪れる。1087年(応徳3年)浅草黒船町(現在の台東区)に創建、1733年(享保17年)当地へ遷座したと伝わる。「東海道四谷怪談」の作者として知られる歌舞伎作者4代目鶴屋南北の住居は黒船稲荷の地内にあり、1829年(文政12年)当地で没した。



「牡丹町公園」と「古石場親水公園」は、古石場川の川跡に造られたL字型の細長い公園。かつての古石場川は、大横川と平久川をつなぐ掘割だった。公園内を水路が貫き、町名に因んだ「牡丹園」や「石の広場」がある。



「住吉神社」を訪れる。1719年(享保4年)当地が佃島(現在の中央区)漁民の網干場となり、佃島の住吉神社の分祀として創建されたという。大横川に架かる東富橋の南詰に「松平定信海荘(はまやしき)跡」解説板がある。寛政の改革で知られる定信は、造園家としても著名だった。



平久川(へいきゅうがわ)に架かる平久橋の西詰に「波除碑」がある。1791年(寛政3年)暴風雨により高潮が発生し、当地に多数の死者・行方不明者がでた。幕府は同様の惨事を防ぐため付近一帯を買い上げて空地にし、その目印としてこの波除碑をたてた。

古石場(ふるいしば)1~2丁目。かつて幕府の石置場があったことに、町名は由来する。「二社神社」は狭い路地奥に鎮座する。由緒書によると 1697年(元禄10年)創建。白龍大明神と塩竈大神の2柱を祀っている。



「妙栄稲荷大善神」を訪れる。寛永年間(1624~44年)当地に下屋敷を構えていた松平越中守の邸内社を起源としているらしい。09:45 越中島2丁目交差点 、【 東京歩きめぐり 第188回 】はここで終わり。


門前仲町1丁目交差点 → 越中島2丁目交差点 : 5.7 km






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Last updated  2021.03.04 11:40:46
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