「歩きつなぎの旅」の記録

2021/08/26(木)11:09

【 東京歩きめぐり 第205回 】 押上 業平

(完結)東京歩きめぐり(256)

2021年08月25日(水)曇 曇り空。高温多湿のため、歩き終わる頃にはTシャツが汗でぐっしょり。今回歩くのは、墨田区の押上1・3丁目と業平1~5丁目。08:10 押上1丁目交差点 、【 東京歩きめぐり 第205回 】を歩き始める。 押上(おしあげ)1・3丁目。「正観寺(しょうがんじ)」は 1593年(天正20年)創建と伝わる。幕末の切絵図に「正ヅハン寺」「法性寺 妙見」とあるが、法性寺・北十間川との位置関係から、正ヅハン寺が正観寺であろうと思われる。 北十間川に架かる十間橋を渡り、業平(なりひら)1~5丁目をめぐる。業平の地名については、南蔵院(現在の墨田区吾妻橋にあったが、1926年 葛飾区へ移転)にあった業平塚に由来するともいわれる。業平塚の名前は、在原業平がこの地を訪れ歌を詠んだことに因んでいるとも伝わる。 1573年(天正元年)創建といわれる「法性寺」は 「柳島妙見堂」として名高く、江戸時代から人々の信仰を集めていた。当時の妙見堂は、江戸城の鬼門除けとして建てられた。入口に「北辰妙見大菩薩」と刻まれた石標が建ち、宝暦二壬申(1752年)の銘がある。 「榎戸稲荷神社」の創建年代は、慶長年間(1596~1615年)といわれる。かつて榎戸稲荷の別当寺(神仏習合が行われていた江戸時代以前、神社を管理するために置かれていた寺のこと)だった「常照寺」(現在はない)が、幕末の切絵図に記されている。 「春慶寺」を訪れる。「東海道四谷怪談」などの作者として知られる「鶴屋南北の墓」が、正面のガラスケースの中に鎮座。震災と戦災に遭って、墓石はかなり破損している。南北は 1829年(文政12年)に75歳で没した。 「押上天祖神社」の創建は延元年間(1336~1340年)と伝わる。かつては神明社と呼ばれ、幕末の切絵図には「神明社 徳性寺」とある。徳性寺は神明社の別当寺である徳正寺(葛飾区へ移転)のこと。1928年(昭和3年)押上天祖神社は区画整理により現在地(春慶寺の南)へ移転した。 「小梅銭座趾」。解説板には、元文元年(1736年)裏面に「小」の一字を入れた寛永通宝が鋳造されたようです、とある。09:25 業平1丁目交差点 、【 東京歩きめぐり 第205回 】はここで終わり。 押上1丁目交差点 → 業平1丁目交差点 : 5.7 km

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