「歩きつなぎの旅」の記録

2021/12/14(火)10:52

【 東京歩きめぐり 第216回 】 両国

(完結)東京歩きめぐり(256)

2021年12月13日(月)快晴 快晴。時折北寄りの風が強く吹いて、寒い。今回歩くのは、墨田区の両国2~4丁目。09:00 両国1丁目交差点 、【 東京歩きめぐり 第216回 】を歩き始める。 両国2~4丁目。「回向院(えこういん)」を訪れる。1657年(明暦3年)に起きた明暦の大火で亡くなった犠牲者十万八千余人を葬った「万人塚」を起源とする。幕末の切絵図には「國豊山回向院」とある。「明暦大火横死者等供養塔」は 1675年(延宝3年)頃の建立。 境内に「鼠小僧次郎吉の墓」がある。鼠小僧は実在の人物で、1832年(天保3年)に処刑された。義賊だったというのは後世の創作。江戸時代の罪人は墓が建てられないので、この墓は明治時代以降のもの。墓石前の白い石には、こちらの「お前立ち」をお削りください、とある。 「本所松坂町公園」は、吉良上野介義央の上屋敷跡に造られた史跡公園。義央は旗本。朝廷・公家関係の儀式典礼を司る高家を務めた。1703年(元禄15年)の赤穂浪士による討入後、上屋敷跡地は年月を経て町屋になった。幕末の切絵図の赤線で囲ったところが、かつての上屋敷の敷地。 「両国公園」には「勝海舟生誕之地」碑がある。1823年(文政6年)海舟は幕臣 男谷(おだに)精一郎の屋敷で生まれ、7歳までここで育った。男谷家は海舟の父 小吉の実家。小吉は勝元良に養子入りし、男谷邸内に新居を構えた。幕末の切絵図には「男谷精一郎」とある。 「榛(はんのき)稲荷神社」を訪れる。創建年代は不詳。江戸時代この辺りには「榛馬場」と呼ばれた馬場があり、本所に住む武士達が弓馬の稽古をしていた。幕末の切絵図には「馬場」とある。馬場には榛が植えてあり、その榛の傍らに祀られていたことから榛稲荷と呼ばれるようになったという。10:05 都営地下鉄大江戸線 両国駅 、【 東京歩きめぐり 第216回 】はここで終わり。 両国1丁目交差点 → 地下鉄両国駅 : 4.0 km

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