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朝吹龍一朗の目・眼・芽

ばっちっこ その7から

ばっちっこ  その7

 7月末の日曜日に俺たちは渋谷のプラネタリウムに行った。早朝の小中学生向けの講座なのだが、結構「オトナ」の俺たちにも聴きごたえがある。今回の中身は予想通りアポロの月面軟着陸の話題に終始したが、解説の野尻(抱影)さんが、「こういうのをフィーバーと言います。ま、日本語に訳せば熱病、ですな。そして、この、もう気違いじみた報ぶりを、ルナティック。この教室の皆さんはご存じの通り、『ルナ』は月のことですね、だからルナティックは『月のような』というところでしょうか」と解説にならない解説をした。

 ここで直径20メートルの半球に、手造りらしいスライドが映し出された。左にはおなじみのウサギが餅をつく日本人の見る月。そして右にはなんだかカニが左の鋏を振り上げているように見える月。
「西洋人は月の中に蟹を見たようですね。しかし、このルナティックという言葉のもともとの意味は、月の光を浴びると気が変になるというところからきているそうです。どうですか、みなさん、今度の満月の晩、懐中電灯を月に向って照らすと、アポロが置いてきたレーザー光線反射鏡ではね返された光も一緒に浴びることになりますから、普段よりもっとルナティックになるかもしれませんよ、ただし、2秒半遅れですけどね」

 俺たちはとっくの昔に『忍者部隊月光』の放映を見終っていた。なるほど、月の光には人を狂わせる何かがあるのか。あの暗くてシリアスな映像、途中で何人もが死んでしまうやり切れなさ。すべて月の光のなせる業か。

 なんて信じたわけではない。ただ、やがて典型的なアクセント問題として大学受験で再度お目にかかるまで、顔と名前(字面と意味)が一致していたごく少ない単語の一つとして記憶に刻みつけられただけだ。

 朝8時半に始まったプラネタリウム講座は9時半に終わった。普段はこれから渋谷のセンター街を抜けて丸山の方まで足を伸ばし、ハーフサイズのオリンパスペンを構え、ホテルから出てくる二人連れをパシャパシャと撮るのが毎月のお勤めだった。若い女とじじい、といっても必ずしも老人ばかりではない、時には若い男と中年のばばさんの場合もあったが、ともかくそいつらを二人一緒に、しかも背景にラブホテルがきちんと入るようにアングルを加減して撮りまくる。青い顔のおっさんからそれなりのものをいただいて、証拠としてカメラの裏蓋を開き、フィルムをパトローネから抜き出してやる。二人連れはそれをみて安心して渋谷駅へと向かっていく。

 タネがある。まずは、ヨドバシカメラの店頭で、セミプロが自分でフィルムを巻いて使えるように、現像に出されて用済みになった空のパトローネをサービスとしてかごに山盛りにしているのをたくさんもらってくる。今でいうリサイクル品だ。中身はこれまた新宿の北の方の柏木にあった現像所のゴミ捨て場から、100フィート入りのアルミの缶に入ったままのフィルムを拾ってくる。それを自分たちで巻いて詰めて、新品同様(に見える)フィルムを作る。件(くだん)のカメラに入っていたのはこれだ。したがって、全部引き出すと言っても新しいフィルムが駄目になるわけではない。元手は一切かかっていないのだ。

 しかしこの日は恒久の足が東急文化会館と渋谷駅を結ぶ渡り廊下のような歩道橋の端で停まった。これから代々木へ行くという。なに、「代々木」とはおまえまさか民青、いや、民幼か。

 と、こんなことは聞かなかった。「日新」という進学教室で日曜テストというものを受けるのだそうだ。本格的に中学受験がスタートするわけだ。そこは教科書のようなものを使って何かを教えてくれるのではなく、毎回「テスト」をしてその結果を解説してくれるのだという。俺たちの周りにいる有象無象が通って教科書の補習をしてくれるいわゆる『塾』ではないそうだ。だから普段の勉強が本当は大事なのだと言われたと、恒久は俺の顔を見ずに言った。

「おおがんばれよ、お前なら一番とれるぞ、俺が受けなきゃ」
 背中に向って精一杯のはなむけをしてから、俺はまだ新しいNHK放送センターの脇を抜け、ひとり歩いて自宅に向かった。

 精神的にはいくら背伸びしても子供で、肉体的にもせいぜいが少年、一部分だけは主観的には大人の仲間入りをした気分ではあるものの、やっぱりトータルでは小学生である。恒久がどのくらいの覚悟と意気込みで代々木に出向いたのかはわからないが、俺たちにとってそう簡単には無視したり破壊したりできない社会の壁らしきものが見えてきたのは事実だった。

 俺たち。そう、いずれ、俺にもそういう時が来るかもしれない、いや、来るのはほぼ間違いないことだ。やっと目を覚まし始めた場末(その頃の渋谷は文字通りの場末だった。今はいっぱしに副都心とか称しているらしいが)の街に転がっている空き缶を思い切り蹴飛ばしながらオリンピック村の脇を通り抜け、西参道の入口の馬場が見えたところで足が止まった。そろそろ暑くなってきた日差しを木陰でやり過ごしながら、見るともなくぼんやり馬の周回を見ていると、
「おおい、高松じゃない?」 
 と馬上から声が降ってきた。岡田邦彦だった。於歌多(おかだ)という料亭の一人息子で、しょっちゅうテストの答えを盗み見させてやっているやつだった。
「これで終わりだから、一緒に帰ろうぜ」
 そう言い残して馬は、いや、岡田は厩舎の方へ帰って行った。

 普段なら捨て置くところだが、この日の俺は少しやさしい気持ちになっていた。なんてうそだ。屈託していた。そこへ岡田がパンチを浴びせた。
「なんか高松落ち込んでんじゃん。珍しいからよ、なぐさめてやろうかと。あ、で、どしたん」
「別に。おまえ、馬とディア、な」
「ディアって?」
「鹿」
「ふうん。ま、いいや。」
 気がつかないならそれでいい。俺は曲がった気持を他人を傷つけることで修正する愚に思い当り、ちょっとだけ心の中(だけ)で後悔した。岡田はわからないふりではなく本当にわかっていないからこれで済んだが、ほかの人には以後気をつけようと思った。

 翌月曜日の朝、登校の途中で聞くと、案の定、恒久は20番くらいで、その結果、次回からは国立2組だという。
「1組があるのか。お前よりできるのがそんなにいるか?」
「2組が一番いいクラスらしい。国立2組、1組、その次が慶応2組、1組って続くらしい」
「その校長、ああ、校長って言わないのかな、へそ曲がりだな」
「俺たちみたいだから人のこと言えないよ」
「そっか」
「ノブも受けてみろよ、冗談抜きでお前なら一番とれるかも知んない」
「へ、ものため、か」
「そう、もしかしたら区立じゃなくて行かしてもらえるかも」
「まあ、それは無理だからいいとしても、そうだな」
 兄を予備校に通わせるのにも母親がアルバイトしなければならないのに、俺が私立になんか行けるわけがない。兄だって都立高校だからやってもらえたのだ。区立Y中学校始まって以来の秀才と言われた割には今の成績はぱっとしないが。
「昨日丸山に行かなかったからちょっと小遣い不足だな」
「そのくらい、いや、逆にそれは父上に出してもらった方が親孝行だぞ。勝手に受けたらだめだ」
 そんなもんかな、と思いながら、俺は別の出資者を思い描いていた。成子坂下に住むという『ばっちっこ』の響子だ。
 
                                      ばっちっこ  続く

ばっちっこ  その8
 
 その日のうちに父親を説得して次の週の日曜テストを一回だけ受けさせてもらうことになった。

 代々木駅を出て代ゼミの左側をとおる細い道を、東海大学病院の方角を目指して歩いていくと、「第一経理専門学校」というのがあって、最初の入会者や俺のように「お試し」の生徒はここでまとめて受験するようになっていた。国語と算数が40分ずつ、それに理科と社会が30分ずつで、午後1時に始まったテストは4時には終わり、そのあと解説が20分ずつ、合計1時間半ほど続く。

 その週に限って俺は6時間目が終わると同時に家にかけ戻り、兄が使っていた参考書を読み漁った。どこが「自由自在」なのかわからないちんけなタイトルの参考書兼問題集だった。兄もそれなりに勉強したようだが、どの本も折り目や手垢ががついているのは半分より手前まで、理科などはほんの5分の一も手が付けられていない。さすがに火曜日からの5日間ではそれらすべての問題を解くほどの時間はないので、算数の例題と国語理科社会の暗記すべき項目にひととおり目を通すだけで過ごした。
 それにしても、俺としては生を享けて以来初めての猛勉強だった。

 その甲斐は、あった。6時過ぎには順位が付けられて答案が返されるのだが、教室主任という肩書の高宮先生に呼び止められ、心配顔で待っていた母親ともども、一階の事務室の隅に連れて行かれた。
「よくできましたね、おめでとうございます、高松さん、一番です。ほとんど満点ですね。来週からは国立2組においでください」
「新学期から九州へ転校するので通えません」
 俺が先に言った。母親は黙って下を向いた。
「え、それは。そうですか、残念ですね、では今月いっぱい、あと3回ですが、いかがですか。きっと坊っちゃんのためになると思いますが」
「はあ」
 母親は下から視線をぐるりと回して俺を見た。
「じゃあ、あと3回、受けますけど、奨学金とかないんですか」
 ソファから乗り出して話をしていた高宮さんはすっと背筋を伸ばした。これは言いすぎたかもしれない。
「残念ですが、日本進学教室にはそういう制度はありません」
「わかりました。じゃあ、とりあえず、その3回分は受験することにします」
「よかった、それでは来週からはここではなくて、神宮前の社会事業大学の会場にいらしてください。君のような優秀な生徒が来てくれれば日進も合格率が上がってなによりですよ」

 まじめな顔をして何のてらいもなく、いや、臆面もなくと言ったほうがいいか、こんなことを言ってのける高宮さんの顔をじっと睨みつけながら、俺は掠りを取って生きることを職業にはできないと思った。

 帰りは母親には悪かったが、代々木から山手線沿いに新宿駅南口まで歩き、西に折れて作りかけの京王プラザホテルの工事現場を遠巻きにしながら十二社のアパートへ戻った。途中、周囲を睥睨するように佇む10階建ての太平ビルの電光掲示板を見ると、すでに7時近かった。ここまで、二人して黙って歩いてきた。
「ごめんなさいね。転校だなんて。とっさにしてはうまい嘘が。つけるようになりましたね。お金。どうしよう」
 家まであと10分くらいというところで、とぎれとぎれに、言葉を選ぶように、母親が口を開いた。
「1回千円でしょ、俺、お年玉とかあるから大丈夫だよ、おかあさんは心配しないでいいし、おとうさんには言わなくていいから」
「伸彦さん、そう言うと思ったの。おにいさんが大学でるまで、あと5年、辛抱してね、そしたら伸彦さんにも良くしてあげられるから」
 兄はたぶん5年では手が離れないのではないかとは思ったが、俺も下を向いたまま首を縦に振った。

 翌日の月曜日はクラス登校日だった。平和授業だという。先週は全校登校日だったのだが、それに引き続いてまただ。先生たちが集中して出勤して、あとはお休みを取りたいのだろう、そしてそれは実に妥当なセッティングだと子供心に、じゃない、このときはすでに大人だったから、オトナなりに、か、思った。その日の放課後、一緒に帰る道すがら、俺たちはぼそぼそと日曜テストの結果を話し合った。恒久は12番に上がっていたが、俺が1番であることは知らなかった。
「言った通りになっちゃったね。でも次は俺が一番取るように頑張るよ。だけど、この先、どうするつもりだい」
「問題は、金。あのばっちっこのところへ行ってみようと思ってるんだけど」
「わかった。俺も、一緒に行くか」
 俺は黙っていた。
「そうだな、一人で、行くよな。じゃあ、俺は弓子の方へ行ってみる。でも、小学生だって、ばれちゃうな」
 そう言えばそうだ。あ、そんなことにも気付かなかった。俺は立ち止まった。2階建てのアパートから、端唄をおさらいする声が三味線と一緒に降ってきている。

    秋の七草 虫の音に  
    鳴かぬ蛍が身を焦がす
 
「気が早いな。もう『秋の七草か』」
 父親が酔ったときにぶつぶつと小唄端唄をつぶやくのを小さい時から聞かされてきたので、代表的な曲はそらんじていた。相撲の時期なら、「高く打ち出す回向院 やぐら太鼓がてんてんと」と唄う『勝ち名乗り』など、それが相撲の一場面であることなど全く知らずに父親のまねをして歌っていたものだった。

「学費を、せびる。日進とは、言わない」
「だな。それしかないな」
 歩き始めてすぐ、俺が出した結論に、恒久も賛成してくれたわけで、それならこれから自転車で乗り込むことにした。

 響子と弓子はどうやら同じアパートに隣り合わせで住んでいるらしい。あとで知れたことだが、高校も同級生だったようだ。水着の柄まで色違いで一緒なのだから、いわゆる『トイレフレンド』だったのかもしれない。
 だからかどうか、成子坂下の三平ストア裏にある福富荘には二人揃って御在宅だった。

 5部屋並んだ一番奥が弓子、ひとつ手前が響子の部屋であることがわかった。
「ま、1時間、な」
 恒久が俺の顔を見てにやにやしながら言った。そして、俺と恒久は同時にノックした。
 同時に、同じように間延びした「はあい」という声がして、ほとんど同時に粗末な板一枚のドアが開いた。そしてみたび同時に「あらあ」という、これ以上間の抜けた返事はないと思われる反応が返ってきた。

                               ばっちっこ  続く


ばっちっこ  その9


 響子はそろそろ出勤なのだろう、栃女高剣道部と縫い取りのあるTシャツが脱ぎ棄てられ、上半身はブラジャーだけというあられもないかっこうだった。化粧はまだのようだ。そのままちゃぶ台の向こう側に座ると、幾分眼の覚めたような、やさしい声で言った。
「のぶくん、よくわかったわね、ここが」
ちゃぶ台をはさんで俺も腰をおろした。冷えてしまっていそうなお茶の入った湯のみがあった。口をつけると案の定冷たい。
「すぐ近くに住んでる。だから歌舞伎町は歩いて10分だって言っただろう」
「そうだったっけ。でも訪ねて来てくれるとは思わなかった、ぷろみっしんぐ東大さん」
「それが危なくなった」
「なあんだ、成績が急降下。毎晩あたしのあそこ、思い出して自家発電してたんでしょ、なあんでもお見通しなんだから」
「そんなことは起きない。俺、一度読めば覚えるから」
「あら、じゃあ」
「金が続かない」
 響子の声にかぶせるように言った、恥ずかしさを感じないように。2秒くらい、間が空いた。
「で?」
「抱きにきた」
「なによ、お金、ないんでしょ」
 そう言いながら両手を後ろに回した。顔は笑っている。
「手伝いなさいよ」
 俺は立ち上がってちゃぶ台を半回りした。響子の両手を前に戻した。
「先に俺の方じゃないのか」
「しょうがないわねえ、今日は一人だから、充分、お役に立ってもらうから。でも出勤時間がね、あんまり時間ないのよね」
 響子は俺のバミューダパンツのボタンに手をかけた。初めて会った時と同じ短パンだったのに俺は気がついたが、響子はどうだっただろうか。

 きっかり1時間後、俺は扇風機で汗を乾かしていた。
「ハンろバックにお財布入ってうから。必要なだけ、持っれっれ。あらしもうらめ」
 口がまわっていない響子の指さす先には口金の周りに皮の帯が回されている、少し大きめのしっかりした造りでやや大きめのバッグがあった。今ならすぐわかるが、それはケリーバッグと呼ばれるブランド品だった。当時の俺はもちろんそんなことは知らない。
「じゃ、模擬試験、3回分、3千円。ありがと」
「試験、がんあって、ね、もう、浪人、らめよ。ああ、きょう、お店出られないかもしえない。あんらのせいよ」
「この部屋、電話、ないのかな」
「ない、わよ」
「じゃあ、次、来るとき、どうすればいい」
 響子のとぎれとぎれの話し方が俺にまで伝染してしまう。ちゃぶ台と姫鏡台以外に何もない部屋を見回しながら返事を待つ。
「いつれも、大丈夫。あたし、シングルらから。シングルって、特定の旦那さんを持ってないってこと」
「じゃあきょうから俺が『特定の旦那さん』、な」
「いいわあ、いい。それでいい。あんらみたいな人、そうそういないもん。あたし、当分、それでいい」
「とうぶん、ね。わかった。じゃあ、3千円、ね、もらっとく」
「うん、また、また来てね。今度いつ来るの」
 ようやく口が回り出した。正気が戻って来たのだろう。3千円が惜しくならないうちにどろんしようと思った。大きいほうの聖徳太子も3人くらいいたから、まあ、このくらいは大丈夫か。
「毎日ってわけにはいかないから」
「そりゃそうよ、今日だって二つでしょ、毎日だったらあたし、死んじゃうわ」
「じゃあ、まあ、最低週いち、かな」
「そうして。その間にあたし、回復しとくから」
 右の頬を引き上げてついでにへたくそなウインクをした。俺は再びバミューダパンツのボタンをかけてもらって部屋の外に出た。3度目のお役にたちそうな形態に変身しつつあるのを恨めしそうに響子が見上げたが、俺は左の口角を思いっきり上げて、
「また、今度、な」
 と言った。

 すぐに恒久が出てきた。弓子の部屋で何があったかはあえて聞かないことにした。3千円、差し出された。
「これでプラス3回分、ま、付き合ってくれてもいいし、何かに使っちゃってもいい。気にしないで。出所はわかってるとおりだし。俺たち、『ヒモ』って言うんだろうね」
 無造作に紙幣という紙きれを受け取って、
「いいんじゃんか、ヒモで」
 と言った俺の声には別に引っかかりそうな棘はなかったつもりだったが、恒久は珍しく不機嫌そうに黙ってしまった。
 
 そのまま俺たちは自転車で十二社通りを南に下り、これ以上言葉を交わさずに家へ戻った。響子の左頬にほくろがあったことをすっかり忘れていたことに気付いた。好きになってきた証拠かもしれないと思った途端、ポートボール(注1)の授業でわざとぶつかってきたチャコや、毎朝登校の時に俺のアパートの門の横で待っていて、俺の後ろを一人で歩いてくる晴子の顔が浮かんだ。この子たちを組み敷いている自分を想像してにやついていると、
「伸彦さん、登校日、よっぽどいいこと、あったのね」
 と母親が笑いかけた。

 結局そのあと俺は予定通り夏休み中の3回だけ、日曜テストを受けた。予定通り、3回とも1番だったが、別にそれで自信がついたとか、うぬぼれたとか、別の進学を考えたとか、そういうことはなかった。進学教室で4回連続1位というのは珍しかったらしく、そのあといろいろと俺たちの同年次の奴らから話の種にされた。高校時代、大学時代に何かのきっかけで中学受験の話題になると、決まって進学教室話に進み、挙句、お前があの幻の天才少年か、とどこでも驚嘆された。いいことか悪いことか、俺にはわからない。単に、答えのある問題に短時間で正解を見つけることに長(た)け
ていただけだと今でも思っている。
 先走るが、高校では4つくらい上に、自分の経歴に日進で一番を取ってどうのこうのと書いているやつがいるらしいが、俺からするとあんなもの何回でも取れる。さして誇るべきものではない。単なる学校秀才であることがそんなにうれしいか。俺の感覚では、進学教室の成績なんてせいぜいそんな感じだった。

 夏休みが明け、気がつくと何人かが中学受験をするようだった。担任の女教諭があからさまにひいきをし始めた。
「俊子ちゃん、よくできるわよねえ、陽子ちゃんもすごい、こんなにできるんだから5をあげていいわよね」
 俺は世の中に『内申書』というものがあって、私立中学の場合、合否のボーダーラインになったとき、それに書かれている内容によって合格できたりするのだということを恒久から教えられた。
「あの教員はたくさんもらってんだよ」
「誰から」
「決まってるだろ、あいつらの親からだよ」
「お前のうちもか」
「女子組(注2)と一緒にしないでくれ」
 あきれたような声で俺を見上げる顔は、既に大人の顔だった。そして、恒久の目に映っていた俺自身の顔も、それ以上にオトナの仮面をつけていたに違いない。

 それは、この夏が、俺たちにとって、決定的に、少年時代との訣別の季節だったと、そして同時に、取り返しのつかない喪失を内包していたと、感じさせる出来事だった。


注1:バスケットボールの小学生版みたいなスポーツ。
注2:当時の日本進学教室で、国立2組、1組、慶応2組、1組の次の席順のクラス。


                             ばっちっこ  続く


ばっちっこ その10


 2学期は新谷のり子の『フランシーヌの場合』を学校帰りに大声で『ブランチンコの場合は』とわめきながら歩き、正月は『黒猫のタンゴ』を『ボクの恋人は黒いあれ』と小声で笑い飛ばしながら過ごし、予定通り俺は区立中学校に進学した。恒久は俺が受けなくなってから日進で1回だけ一番を取って、両親の、そして恒久自身の希望通り麻布中学に通うことになった。
 もちろん、昼間は麻布の生徒として遊び呆け、夕方は大人の恒久サマ(弓子にはこう呼ばせていた)として遊び呆けていた。酒もだいぶ強くなっていった。ついでに一人で出すものを出すやり方も覚えてきて、目の前で俺に実演して見せてくれた。これは、チンパンジーが死ぬまでやり続けたというまことしやかな話が満更嘘でもないと思った。ただし、目にも刺激が必要で、かつ、俺の家で兄弟や両親に気付かれずに満喫するのはほとんど不可能な方法だった。今度ばかりは恒久がうらやましくなりかけたが、何も一人でやることはないわけで、その気になったら夜中でも響子の部屋に行けば済むことだと気づいて納得した。

 俺の方は普通の区立中学だから昼間は遊び呆けるというわけにはいかない。恒久は教室の後ろで授業中に雀卓を囲んでじゃらじゃらさせていたというから相当のものだが、さすがに俺はそこまではしなかった。代わりに、響子の部屋で見かけた剣道部という文字に興味を惹かれ、防具一式を響子に譲ってもらって剣道を始めた。面は中学校が部活用に揃えている普通のものと同じような造りだが、響子の汗が染みていてかすかにおしろいの香りがした。胴は中学生用の竹製とは全く違って、いわゆる「赤胴」だった。響子はこれで関東大会3位まで行ったという。
 なんだか下半身を響子が守ってくれているようで、紺色の袴を着(つ)けるたびに緊張感と同時に桃色の空気が目の前を横切るような気がした。乱取り稽古が一巡するまではいつも何となく落ち着かない気分だった。
 竹刀は一年の時はいわゆる『さぶろく』(3尺6寸)の学校備え付けのものを使ったが、2年生になった時から、響子が買ってくれた大人用の『さんぱち』(3尺8寸)を使い出した。同時に、週3回のクラブ活動では物足りなくなって、クラブのない日は同級生を誘ってすぐそばにある新宿警察署の道場に通い始めた。警察剣道、略して「警剣」それを俺たちは「経験」の意味をダブらせて使っていた。その甲斐あって、2年の半ばで初段、3年の11月には弐段をいただくことができた。が、都大会では3位が最高だった。一流になるには真面目さが足りないということは自分でもよくわかっていた。

 そんなこんなで、一年の夏には俺が中学生であることがばれてしまった。そのことに気付いた時、響子のただでさえ大きな目玉が、思わず手のひらを出して落ちてくるのを受け止めてやろうとしたくらいに見開かれ、息を吐くのを忘れたかのようにじっと息を止めたまま1分くらい沈黙が続いた。やがて、
「でも、しょうがない、あたし、あんとき、館山で、サメが来たとき、溺れちゃったのよね、のぶくんに、きっと。だから、いい。まあ、年下である、ことには、変わりないもんね、それに、ぷろみっしんぐ、東大、だし、ね」
 響子は半分泣きながら俺の学生ズボンのベルトに手をかけた。

 道場へ行かない日は図書館にいた。文字が目当てではない。毎回分厚い美術書、画集を何冊も抱えて閲覧テーブルに戻り、飽きもせずに眺めた。区立中学の貧弱な蔵書はすぐに見つくしてしまい、当時できたての新宿中央公園の外れにあった区立図書館に通い、そこも征服すると渋谷区立だが環状6号線(山手通りとは地元では呼ばなかった)のすぐ外側にある本町図書館にまで足を伸ばした。
 やがて絵にも飽きたころ、レコードというものに出会った。真面目ぶってクラシックと呼ばれるジャンルから聞き始めたが、バッハハイドンベートーベンからモーツアルトに進んで、これを何故「クラシック」と呼ぶのか疑問を持った。これはポピュラーソング以外の何物でもないと思った。思ったついでに図書館にいることも思い出し、音楽の本をひとしきり読んだ。吉田秀和の『モーツアルト』が出たころで、2時間で読み上げてばっかじゃなかろうかと思い、それきりクラシックは沙汰やみにして代わりにジャズを聴き出した。続いて、ロックンロールまで。およそジャンルにこだわらず、3時過ぎから7時頃まで、考えてみればよく飽きもせず、こんなに聞き続けたものだ。夏などはヘッドホンが汗まみれになって、耳の後ろに汗疹(あせも)ができたくらいだ。

 夏休みは恒久のいとこで静岡大学に通っている瑶子さんという山女の影響で南アルプスに登るのが恒例になった。恒久と二人で4日から1週間くらい山に入る。その当時南アルプスは山小屋があっても無人だったり、管理人がいても素泊まりだったり、食事の提供がある一部の、例えば北岳周辺などでは今度は宿泊代が高くなりすぎて、などなど、結局いつもシュラフ(注1)にツェルト(注2)、それに食料は自炊で停滞(注3)の分の予備を含めて予定日数の1.5倍くらい持って出かけた。3年の夏は伊那谷側の戸台から延々と河原を歩き、そのまま千丈岳直登。翌日野呂川まで2千メートル以上降って再び北岳に登り返し、更に間ノ岳農鳥岳を縦走して大門沢を降りるコースに挑戦したのだが、このときは新宿駅まで歩く間に汗が吹き出し、早くも二人で「帰ろうよ」コールが始まる始末だった。40キロのキスリングはさすがのやんちゃ坊主たちをも拉(ひし)いだ。もちろん完走したが。
 水道橋にあった『フタバヤ』で登山靴をオーダーしたのもこの頃だ。代金は、もちろん響子が出した。その当時の大卒男子初任給の半分以上した。

 山から戻ると、休養と称して館山の別荘に1週間ほど滞在した。今の表現でいう、『ゆるーい』日々を過ごすわけだ。そのうち1日か2日は響子たちが遊びにくるのも毎年恒例になった。相変わらず冷房のある部屋はひとつしかないから、俺たちはセットで夜を過ごした。恒久と俺はそういう仲だったし、響子と弓子も似たような関係だった。
 3年の夏はこの生活から戻ってすぐに駿台模試を受けて、平気で1番を取った。

 話は戻るが、父親からは入学祝にオリベッティのタイプライターを買ってもらった。活字はパイカではなく、名前に惹かれて一回り小さいエリートにしてもらった。それに、英語専用ではなくドイツ語のウムラウトもβ(エスツェット)も、フランス語のセ・セディーユ(Cの下にひげがあるやつ)までも打てる西ヨーロッパ言語仕様を頼んだ。βはさすがに特注で、一ヶ月待たされて届いたのを見ると、バーに活字が銀蝋付けしてあった。俺はつまらない英語の授業の間、フランス語の独習を始め、3年になる頃にはこのタイプライターでラシーヌの『フェードル』を写し、持ち歩き、イポリートの名セリフををそらんじたりしていた。

Vous voyez devant vous un prince deplorable,
D'un temeraire orgueil exemple memorable.
あなたの前にいるのは、一人の哀れな王子、
後の世まで、傲慢な自負心のいましめとなるべき者なのです。(二宮フサ 訳)

 バカな話だが、結局英語よりフランス語の方が(日本人としては、だが)より自由に使えるようになった。押し付けはだめだと気付いた。

 夜は、このころから父親が家に寄り付かなくなっていたこともあり、粗末な夕食をそそくさと掻きこんですぐに兄や弟が冷たく北側の兄弟3人が寝起きしていた六畳へ引っ込んでしまうのに対して、俺はやさしい母親の悲しそうな顔を見ているつらさよりもそばにいてくだらないテレビを一緒に見てやる方を選んだので、響子との1週間に一度は通うという約束が果たせないこともあった。ひとしきりテレビに母親が飽きてこっくりこっくり始めると、六畳から自分の教科書や兄の参考書などを持ち出して来て12時まで暇つぶしをした。NHKが国旗を映し、君が代を流すのを聞いて、ため息をつく母親が布団を敷くのを手伝ってから、件(くだん)の6畳に引き上げる日々だった。

 そういうわけで、別に意図したわけではないものの、中学校の成績は、お兄さんの再来いやそれ以上、神武以来の秀才だと囃し立てられた。入学して最初の中間テストで488点を取った。5科目だから平均は98点近いわけで、囃されるのも当然かもしれない。数学と英語、それに地理(一年生の社会は地理だった)は満点、国語は答案用紙に名前を書き忘れて10点減点、理科の第2分野(生物と地学をまとめてこの当時はそう呼んでいた。ちなみに次の「第一分野」は物理と化学である)は満点、そして第一分野はあとで「意地でもミスを見つけてやろうと思って必死にアラ探しをした」と教諭が笑って話してくれたのだが、元素の『元』の字が数学の「π」に見えるという言いがかりでマイナス2点になっていた。それで都合488点だ。

 このときばかりは世の中そんなものかと思った。悲しそうな母親の顔を見たくないから隣で暇つぶしに教科書を広げているだけでほとんど満点が取れるほど世の中は難問が枯渇しているのかと思った。それなら俺は世のため人のために一生をささげる必要はない。自分の好きなことをしていればそれで世の中は俺と関係なく回って行くに違いないと悟った。万一、世界が俺を必要とする時が来たなら、その時はすべてを捨てて尽くせばいいと思った。この時は、捨てるに惜しいものなど何ひとつ持っていなかった。

 そのあとも似たり寄ったりの点数で、ついに卒業まで一番で居続けた。別に
「一番を守った」なんて言うつもりはない。単に、結果として、そうだっただけだ。

 一方めちゃめちゃに遊び回っている恒久はさすがに一番は取れず、それでも麻布の中でひとけたにちょっと届かないあたりをうろうろしていたようだ。はっきりとは言わないがまあ、10番から20番くらいのところなのだろう。これは嫌味でも何でもないのだが、俺たちにとって学校の成績は人間の善し悪しを測る尺度ではなくなっていた。そんもの、やればやったで上がるし、やらなくたってできるやつにはできる。でも人間の価値は学校の勉強・成績なんかとは全く別のところで決まるんだということを、学校生活とはかけ離れたところで思い知らされていたからだ。それは、響子や弓子や、彼女たちを取り巻くオトナの男たちを見たり実際に彼らと付き合ったり彼らのシノギの邪魔をしたりしながらわかったことだった。

 でもまだその話に行くのはちょっとだけ早い。


注1 シュラフ:寝袋。それもダウン100%なんてぜいたく品ではなく、重くかさばる
   化繊の安物だった。
注2 ツェルト:非常用の小さなテント。
注3 停滞:山中で雨などのとき、同じ場所で『停滞』し、次の日の行程を先延ばし
   すること。だからその分食料が余分に必要になる。
注4 キスリング:昔の、帆布でできた大型のリュックサック。今はまず見かけない。


                             ばっちっこ  続く


ばっちっこ その11  


 体つきも精神も大人びていた俺は、同級生の男たちの誰よりももてた。3年間で受け取ったラブレターは優に段ボール1杯を越える。毎朝げた箱を開けるとどさどさと手紙が落ちるというのは大げさにしても、ほとんど毎日のように誰かから幼い愛の告白をもらった。いかに幼いと言っても中学生だ、誰かと同じ場所に自分の傑作お手紙を押しこむはずはない。だから必ず一か所から一通が見つかる。俺はそれらすべてにせっせと返事を書いた。否定的な中身を返したことは滅多にない。嘘でも君はきれいだと書いた、君に興味が尽きないと書いた。だから相手が俺に飽きるか俺をあきらめてほかの男にくっつくか、まれに俺が付き合いを断るかしない限り、彼女たちもまた、せっせと俺にラブレターを書き綴ってくれた。その蓄積が、抱えきれないほどの想いだ。

 剣道と響子と、母親に付き合って12時まで起きている間の「学業」と。それに恒久が遊びで絡んできて、加えて山ほどのラブレターだ。俺の中学校生活は充実を通り越して中身が溢れかえる毎日だった。
「先輩あのねあのね」
「なんだよ、早く言えよ」
「ううん、なんでもない」
 こんな子もいた。今から思えばかわいそうなことをした。キスの一つもしてやればよかった。たしか鴨川玲子という名前だったと思う。肩より長い髪の毛を三つ編みにして束ねていた。女子中学生はみな、同級生の男が子供に見えるそうで、飛びぬけて大人びていた俺なぞは例外中の例外、その上勉強も剣道もと来れば。しかし、そういう女の子たちとは、俺は一線を越えることはしないできた。

 やがてそんな期せずして保ってきた節操を破る日が来た。中学2年の秋、上級生とひとりの女を張り合うことになったのだ。宿沢という男だった。のち、新宿のその筋に就職(?)し、有名な新宿抗争の時に受けた傷がもとで死んだと聞いた。
 その宿沢と、俺と同級の光子というちょっと白痴っぽい美人を争った。光子の態度が煮え切らないので、じゃあ、強いほうと付きあうことでいいかと本人に念を押し、屋上を子分たちに封鎖させて決着をつけることにした。『タイマン』などという物騒なボキャブラリーを覚えたころだ。

 相手は170センチの柔道部だが、俺だって170センチにちょっと足りないくらいの剣道部だ。勝負は上級生が柔道の組手に来ようとした時点で決まった。俺が鼻にパンチを打ち込んだからだ。大した怪我でなくても痛みと出血は戦意を喪失させる。鼻血を押さえながら涙を流して逃げようとしても、屋上のドアは内側から施錠してある。俺はこの先どこまでもこの男をいたぶり続けることができる楽しみがわき上がってくるのを、暗い気持ちで感じた。そしてそのどこまでも光の射さない感情に身を任せる愚を悟った。

 取り決めていた合図の柏手を3回打つと、鉄のドアが内側に開き、対戦相手は本当に転がるように逃げ出して行った。入れ替わりに子分たちに背中を押されて光子がぼんやりと体を現わした。
「俺が、お前の恋人だからな」
「うん、わかった」
「7時に三平ストアの前に来い」
 響子のアパートの近くにあるスーパーマーケットである。中学校からも近く、ときどき同級生たちが万引きをして捕まったとかうまく逃げたとか、俺たちの話題に頻繁に顔を出す場所なので、ちょっと頭の中身が覚束ない光子でもわかると思ったからだ。
 
 その晩は警察剣道をさぼって、しかし何事もないように家族4人で夕ごはんを食べたあと、待ち合わせ時刻ぴったりに着くように家を出た。そう、兄は母親の頑張りで得た学資で予備校に通い、この年の春には何とか現役で2期校に合格していたが、ろくにアルバイトもせず、家でゴロゴロしていた。母親は俺の夜間外出には慣れっこになっているので、何も聞かず、ただ鍵を持ったかどうかを細い声で答えを期待する様もなく言っただけだった。

 光子をスーパーの前で拾ってまっすぐ響子の部屋へ向かった。この時間なら店に出ているからだ。呼び鈴なんてシャレた物は始めからない。俺はもらっていた合い鍵を使って無造作に安物のドアを開けた。

 響子がいた。
「あら、のぶくん、ごめんねえ、かぜぎみでさあ。あら、どなた、あら、いもうとさんかしら」
 俺は声が出ない。びっくりしたのと、まずいことになったのと、二つが頭の中をぐるぐる回っている。風邪をひいている響子への心配なんてかけらもない。
 しばらく無音状態だったのだが、思いがけなく光子が沈黙を破った。
「いとこなんです。ちょっと気分が悪くなっちゃって、のぶちゃんが横になれるところ、近くにあるからって、連れてきてくれたんです。すいませんけど、ちょっとだけ、貸してください」
 これほど笑いをかみ殺すのに苦労したことはない。「He go home yesterday」なんて普段英語の試験に書くくせに、こういうときは学校の勉強だけはできる俺なんかよりよっぽど芸が深い。どうして女はとっさにこんな見え透いた嘘がつけるのだろう。
「ああ、そうなの、大丈夫かな、きたない部屋だけど、どうぞ、遠慮しないで寝てていいわよ。何か飲むかしら。のぶくん、ちゃんとお世話しなくちゃね、ちょっと、あたし、氷買ってくるわ、三平ストアに売ってるから、すぐ戻るからね、お嬢さん、スカートゆるめて、横になっててね。のぶくん変なことしちゃダメよ、じゃあ、行ってくるから」
 突っかけをうまくすくい履きそこねてドアに頭をぶつけた響子は、なにやらぶつくさ言いながら出て行った。

 俺は言うべき言葉が見つからなくて黙って光子を見ていた。光子はゆっくりとしゃべり始めた。
「帰ろ。いつでもできるよ。あたし。高松君の恋人になったんでしょ。したければ学校でもよかったのに。場所。あるし。あたしがしたんじゃなくて。変な眼で見たでしょ。あたしじゃなくて。たとえばガーコとか。ああ、荒井和子ね。あの子は江波戸と。デキてるから。うちでもいいわよ。おねえちゃんと二人で。住んでるから。おねえちゃんがいない時なら。大丈夫」
「わかった、おまえとやるのはあとにしよう。おまえ一人で先に帰れ。あしたまた考えよう」
 光子は素直に帰った。
 入れ違いに響子が戻ってきた。買い物かごには氷だけでなく、お菓子とビールも入っていた。
「もっと時間つぶそうと思ったんだけどね、あの子が出て行っちゃったからね、もういいかなと、思って」
 涙がぼろぼろこぼれはじめた。まあるい粒が化粧っけのない頬をほとんど濡らさずに転げ落ちるように流れる。
「早く戻りたかったの。もう」
 俺は精一杯やさしく抱きとめてやった、無言だったが。
「あたしなんかね、誰にも許してないんだから。あんただけなんだから」
 俺はゆっくりと薄い布団の上に寝かせてやった。
「うつると申し訳ないからね、のぶくん、悪いけど、帰って」
 鼻の頭の汗を舌ですくい取ってから、ゆっくりと体を起し、台所でありあわせのコップに水を入れ、響子が買ってきた氷のかけらを二つ落とすと、枕もとに戻って
「あした、来てやるから。治しとけよ」
と言った。
 横向きにこっくりとうなずいたのを見て、俺は帰ることにした。ドアを閉め、鍵をかけようとしているときに、響子が何か言った。再びドアを開けると、
「やさしくしてあげんのよ、痛がるからね」
と聞こえた。俺は苦笑しながら顔を引っ込め、外から鍵を掛けた。響子も俺自身に鍵を掛けたいのだろうと思った。『束縛』という漢語が頭の中を往来した。



 ばっちっこ  続く



ばっちっこ その12  

 このちょっとした騒動の後、生徒会長に立候補した。それまでは各クラスから推薦を受ける形でどちらかというと秀才の義務のような位置づけだったのだが、俺は馬鹿馬鹿しい校則を廃棄するために目的を持って立った。当然のように当選し、1年間やりたいようにやらせてもらった。校則改正の前に、手はじめの戦果は翌年の入学式のスピーチだった。

「中学校は『人間ロボット製造工場』です。先生や、先輩の言うことをそのまま信じていたら、卒業と同時にロボットです。皆さんはまず、『自分で考える』ことを習慣づけてください」
 とやった。
 直後に生徒会担当の顧問と一緒に校長室に呼ばれた。どういうことか、と問い詰めるので、間違っているところを論理的に指摘せよ、とやり返した。校長ははげ頭のてっぺんまで紅潮させ、すべてが誤りだ、謝罪しろと言った。俺は、そんなのはちっとも論理的でない、論点を明確にして反論しろと詰め寄った。お前は退学だ、と校長が叫んだので、きみにその権限はない、論理的に話ができないなら帰る。そう言い残して俺は校長室を出た。

 頭に来たので、生徒会会則にある、『最終決定権は校長にある』という条項をひっくり返すことを画策した。本来は中学校の生徒会活動が教育の一環、ひとつの手段であるために設けられた条文であることは重々承知の上、これを蹴っ飛ばす活動を通じてバカな教員たちが校長も含めてどうあたふたするかを見たかったこともある。だめもとだが、あわよくば本当にこの最終決定権条項を撤廃して後輩たちにより自由をもたらせればいいと思っていた。
 
ひっくり返すためにはそれなりに手続きが必要だ。『中央委員会』という共産党張りの組織を手なづけて決議を出させ、毎学期末にある定時生徒総会にかけることにした。1学期の終わりの日である。

 議題を事前公開するとどんな妨害が入るかわからないので、中央委員会メンバーには緘口令を敷き、議事次第には『その他』としか書かなかったのだが、1年生の一人が担任に責められて最終決定権条項撤廃のことをしゃべってしまった。大泉弘子という頭も良くてかわいい女の子で、隔週水曜日にある中央委員会で書記に指名し、いつも隣に侍らせていたのだが、それだけに自分が秘密を漏らしてしまったことをとうとう俺に告白できないまま、総会当日を迎えてしまった。

 体育館で全校終業式をしたあと、各クラスで通信簿が配られる。ここまでは毎度のことだ、何も変わったことはない。引き続き簡単なホームルームと夏休みの心得みたいな内容を担任がしゃべり終わると、再び体育館に戻っていよいよ生徒総会が始まる。
 クラスの友人たちと一緒に教室を出て階段を降りると2階に職員室がある。1・2年の体育教師が2人して待ち構えていて俺の両腕を押さえると、校長先生がお話があるそうだ、ちょっと来いという。1階にある校長室には禿頭まで青く染まって緊張している久保田校長が待っていた。きょうはここから出さないからな。説教をしてやる。お前みたいなやつには内申書に本当のことを書いてやるからな。だんだん顔全体に赤味が射してきた。まん丸い顔なのであまり酷薄な感じがしないのだが、このときは冷酷一途な気配を感じた。
 俺はもとからこの会則改正がうまくいくとは思っていなかったから、たぶんこの場にいる誰よりも落ち着いていた。
「本当のことって、教員の弾圧にめげずに真実を貫いたってことですね」
 俺はこの久保田という校長を完璧になめきっていた。久保田校長の顔の赤味が赤を通り越して赤黒くなってきた。生徒会は教育活動だから、生徒会での決定事項は校長が最終的に決めるのは当然だろう。そう言いかけて来たのは生徒会顧問の教員だった。俺は社会科担当のその教員を無視して校長に向って言った。
「これで君の出世は終わりだな。俺はこの足で出るところへ出る」
 教育委員会がお前みたいなやくざもんの言うことに耳を貸すとでも思っているのか。校長はそう言い切ると大声で笑った。わっはっは、という感じだ。釣られてなのか追従(ついしょう)なのかは別にして、体力以外に取り柄のない体育教員が二人でコーラスをするように笑った。
 俺も笑いをこらえきれなくなって下を向いて小さく笑った。
「誰が日教組の教育委員会になんて行くもんか」
 笑いが止まり、生徒会顧問が、じゃあどこへ行くつもりか、と聞いてきた。俺は下を向いて今度は笑いをこらえながら、さっきと同じように小さな声で言った。
「黙秘権」

 体育館では、議題が事前にばれてしまっていることを大泉弘子からも聞き、俺の身に起こったらしい異変も悟った副会長以下が淡々と会則改正以外の議事を進め、俺の帰りを待っていたようだが、ついに現れない俺を待てずに、予算を議決したところで閉会にしたそうである。そのしばらく後、解放されてすぐに総会の会場に飛び込んだのだが、もちろん、そこには生徒は誰もおらず、数学担当の海坊主の出来損ないのような教頭と、がりがりにやせてオールドミスの典型のような国語担当の俺のクラスの担任がへらへら笑いながら何か言葉を交わしていた。
 俺の出現に二人とも腰が引けているのがわかる。どうしたのかね、と、教頭が言わずと知れたことを聞く。声が上ずっている。担任のほうは、高松君が職場放棄している間に総会は終わっちゃったのよ、と俺を挑発した。
 拳を固めて一歩踏み出すと、二人とも二歩下がった。


 この日はさすがにクラブ活動はない。しかし体を動かしたかった俺は『警剣』に行くことにした。道場に顔を出す前に、新宿警察署のプレスルームに寄ってみた。特段の刑事事件があったわけではないが、ちょうど夏休み入りということで、金沢警部がなにやら原稿を手にしてプレストークをしている。いつもの剣道着に面と胴と小手という姿からは想像もつかないくらいやさしい面差しだ。

 終わりかけのころ、俺を見つけた金沢警部が、まあ、このひとくらいまじめな子ばかりなら苦労はないんですけどね。と記者に向って笑いかけた。すぐ近くの区立中学校の生徒会長さんです。こう紹介してくれた。
 安物のワイシャツの袖をめくり、半袖にちょうど隠れるあたりを警部と記者たちに見えるようにしながら俺は記者席の真ん中を突っ切って行った。
「ひどい目に逢いました。これ、教員に掴まれた跡です」
 こう口火を切ってさっきまでの生徒総会での出来事を語った。あえて事実だけを述べることで、記者たちに客観性を感じ取ってもらえるように工夫したつもりだ。
「裏を取るならどうぞ。校長以下、わたしが教育委員会に訴えると思っているようですが、わたしにはコネもありませんので、こうして日本の良心に真実だけをお伝えしました」
 
 どうやら警察回りをしている人たちとは職掌が違うようで、5・6人ほどの新聞記者たちは互いに顔を見合わせた後、警部が俺の腕をさすっているのを見ると、ばたばた出て行った。記者会見場のすぐ外にはこれ以上お誂え向きという場面はないと思われるくらいお誂え向きに、公衆電話が4台並んでいる。手短に話す手際はさすがに手慣れたもので、俺がたらたらとしゃべった中身を1分以内に要約して伝えていた。
 ひとしきり電話が終わると、今度は警部に向って質問が始まる。本件は所轄署としてどう取り上げるつもりか。
 既に俺から大要は聞き取り済みなので、金沢さんの答えはしっかりしている。事実関係を調査の上、しかるべき対応をいたします。さし当り、校長以下関係教職員への聞き取りと、生徒さんへの面談を手配いたします。いや、いたしました、もう係りが『げんじょう』へ向かっております。と警部は淡々と答えた。
 じゃあ、立件もあり得ると? いや、それはまた次元の違う話です。よくよく調査が進んでからの話です。が、オフレコですが、高松君が言うことですから、事実関係は正しいでしょう。ただ、立件は難しいでしょうけれど、ね。

 俺はそこまで聞いてから、剣道場へ行った。


                              ばっちっこ  続く


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