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2005年05月30日
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カテゴリ:劇団ヒトリゴト。
相手と話すときに、そのことを知らないと思って話していたのに、後から、あの時実はそのことを知っていたということを、他人ごしに聞いたりすると、なかなかにして恥ずかしかったり、居た堪れない気持ちになたったりするもので。

思い返せば、話していたときにどこかそんな節があったような気もしたりすわけだが、その時には既にどうすることもできないわけで。

直接相手から、あの時実はそのことを知っていたと告げられる時が、もしかしたら一番嫌な時かもと思ってもいたのだけれど、ずっと、相手に自分が知っているということを知らないとを思われ続けるということの方が、互いの間に一定の距離感が生まれるわけで、そっちの方が嫌かなと思ったりもする。

その距離感が一方的なものならば、なんとなくしょうがないような気もするが、他人から聞き及ぶなどして、その距離を互いが実感してしまった時には、既にその距離感はただ無意味な産物であるわけで。だから、早くその距離感を消滅させたいとも思うのだけれども、互いがその距離感を認識しているということを知っているのは、自分しかいないわけで。

しかしながら、相手が自分のことを気遣い、距離感の消滅を図れないのも凄くよくわかるのだが、当然ながら自分がそのことを告げるのにも、同じく相当な勇気が要るわけで、その一歩がなかなか踏み出せないことがよくあるもので。

大して相手が自分に関わりの少ない人ならば、その距離感の消滅は自分の勇気を振るうに値しないと判断し、実際に距離が離れていく、ということは誰にでもある経験であると思うけれど、相手が自分に凄い近い人物であったりすると、その距離感は耐え難いものであったりする。

でもその耐え難い感を実感する度に、その相手が自分にとってどのような人物かというのを実感するわけで、そういう捉え方をすると、嬉しくもあったりする。

相手が、同じ気持ちを抱いているのならば、大抵の場合その距離感の消滅は良い方向に進んだりする。

そして互いの距離が、縮まったりする。

距離感が逆に距離を縮めたりするとは、とても不思議なものだと思うのだけれども、それでもできればやはり、相手と話すときに、そのことを知らないと思って話していたのに、後から、あの時実はそのことを知っていたということを、他人ごしに聞いたりするようなことは、やっぱり避けたいもので。





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最終更新日  2005年05月30日 11時19分10秒
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