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ぶんたろ0118

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9月5日(日)
生後3ヶ月16日

今日の日記は夏海ちゃんに私の家のことを伝え残すために書いています。
一般の読者の方には全く面白くない内容であることを事前に断らせてください。

今日は父方の祖父の13回忌だった。
うちは何故か(何故だかは分かっているけどね、)おばあちゃんと母や父までが疎遠で、東京にいる私が浅草に住んでいるおばあちゃんと連絡をとることが多い。
今回の13回忌は、最初から、いつやるだぁ、誰が出席するだぁ、とややこしいことになっていた。
結局うちからは代表で父と私が行くことになり、私としては仕方がないので行くお仕事のようなもの、かつ夏海がいるのに家を留守にしなくてはならず、やや面倒くさい用事だと思っていた。
元々、私の父方のこの大原の家というのは、継ぐべきものは何もないのに妙にプライドだけ高くて鼻持ちならないイメージを持っていたのだけど、本当のところ、どんな家なのかなんて良く知らなかったし、菩提寺がどこだとか何とかそんなことも全く知らなかった。
まぁ、そんな状態で、今日も朝から段取りし、旦那に夏海をお願いして家を出た。
家を出る前に、夏海に何故今日留守にするか、などなど説明しておいたからか、私が出発するときには手を振って笑顔で送り出してくれる。

先に結論から言うと、今日いって本当に良かった。
何故かというと、自分の家がどういう家なのか少し垣間見ることが出来たし、それをこうして夏海に伝えるべく、日記に残すことも出来るからだ。
私の父は一人っ子で我々は2人姉妹なので、大原の本家もこれでお終いとなる。私が夏海に伝えなければ今のところはもう誰にも語り継がれることもない。
そして、もう一つ良かったのは、祖母に対して長年「血はつながってるし、何とか接点を持ってあげたいけど、いかんせんどうしようもなく可愛げがなくて、、、」と思ってきたのだけど、ずっと私より疎遠にしていた父が祖母をうまくコントロールしてとても好ましい関係を作っているらしいことが分かったことだ。

うちの菩提寺は日暮里にある天台宗の天王寺というところ。
その昔、祖母と一緒にお墓参りにいったことが数回あるらしいが全く覚えていないので初めて行った様なものだ。
お寺の門をくぐると同時に、とても静寂としていて、しかし暗い感じはしなくて、見るからに歴史の重みを感じさせるような雰囲気に、最初から好感を持ってしまった。
失礼ながら、大原(先ほど書いたように陰険なイメージ)の菩提寺だから、もっと暗くて陰険な感じかと勝手に思っていたのだ。
お経を上げてもらうお部屋も、外とたがわぬ重々しい歴史を感じさせる雰囲気で、聞きながら大原の家の歴史の重さのようなものを感じた。
確かに今や没落(?)して、何も継ぐものはないのだけれど家の歴史そのものが、祖母や祖父などにはそれだけで一つの執着を感じさせるのも何となく分かる気がした。
しかし、そのせいで、女の子2人しか産まなかった母は「女バラ」だのなんだのとうるさく言われたのだから、それを肯定するつもりは全くないけれど。

ちなみに、大原家の創始者(?)は、大原信久という人で、元々は信州のご家老(ご天医)の家系でタカノという家の次男だったらしい。
信久さんは、あとでネットで調べたら「収支簿記」なるものを創った人で簿記の世界ではまぁ有名な人のようだ。
そして、大原簿記学校の創始者でもある。
大原簿記学校は祖父の代まで続いたが、戦後、元々は大原簿記の副校長だった村田さんという方が村田簿記を起こし、後に「大原簿記」に変えたようだ(大原の名は既に簿記の世界で有名だったため。)。
昔は区をまたげば同じ名前でも登録できたようだ。
祖父はというと、元々本家の大原簿記を戦後再興することが出来ず、そのままサラリーマンになってしまった。(失礼ながら私にいわせると駄目な人だ)
もしそのまま再興して頑張ってくれていれば、今私は大金持ちの令嬢のはずだったわけ。

大原の家は、代々家を継ぐ男の子の名前まで既に決まっていた。
信久(曾曾おじいちゃん)
信徳(曾おじいちゃん)
信行(おじいちゃん)
信平(父)
信和
信也
信をどけると「久しく徳を行えば平和也」となる。(はずだった)
しかしながら、我々が姉妹であるため、この大層な文句も「久しく徳を行えば平、、、」で尻切れトンボとなり、えらい間抜けである。。。。

さて、お経が終わってお焼香を終えて今度は皆でお寺に併設されているお墓にお参りに行く。
その途中、お坊さんが「ここの柱についている刀あとは、彰義隊が立てこもったときについたものです」と説明される。
皆(どうでもいいけど皆老人。)一斉に「ほぉ、、、」と感心している。
その横で、私は父にこそこそと「ねぇ、ねぇ、しょーぎたいって何?」と聞いてみたものの、「お前、彰義隊知らんのか??」と大声で説明され、皆に「そりゃー、お若いものね、知らないわよねー」と慰められる。
雨の中お墓の中を歩くが、何故か暗い感じは全くせず、ただただ歴史と静寂さを感じさせられた。
その何ともいえない重厚な雰囲気の中を歩き進むと、大原の墓は奥の方に立派にひっそりとあった。
皆がお参りし、13回忌の卒塔婆を立てている間、本当に静粛な気持ちで大原の墓を見つめていた。

お次は、出席者。
驚くことに、祖母と父以外、だーーれも知らない。全員で12人もいるのに。
とにかく、私にしてみれば、「おばあさんその1、おばあさんその2、おばあさんその3」という感じで見分けもつかない。
そして、何度説明されても「××おじちゃんの、娘さんの旦那さんの、、、、」と、ちっとも良く分からない。
だから何か良く分からない人たちと会食するわけ。
父はおそるべしな人で、私がお寺につくと既にいろんな人と気さくに話しているので、誰が誰か教えてもらおうとコソコソ声で聞いてみたら「実は俺も誰もしらんねん。。。」ときた。
それなのに、関東弁でも関西弁でもない、父独特の「ですわ、でんねん調」(私命名、そんな感じ)で、気さくにいつも誰とでも仲良くなれてしまう。
祖父も祖母もあまり社交的とまでは言えない性格だったのに、父のこの性質は「三つ子の魂、三つ子まで。のちの魂自分で開拓しました。」だ。そういうところ、父は偉いなぁ、と思った。

会食の場につくまで、夏海のことも気にかかるしもう失礼してしまおうかどうか迷っていた。
旦那にメールしたら、「めっちゃおりこうさんなので、全然大丈夫」と返信をもらったので、とりあえず会食にも出ることに。
そしたら、「陰険な会食になるに違いない」と思っていたその会食、めちゃくちゃ楽しかったのである。
何が楽しかったって、祖母と父のかけあい、それはもう「親子漫才(コント?)でデビューできるで。」
祖母はただの天然だが、いい具合にボケているのだ。
しかも、父はその祖母にいい具合につっこみをいれ、(皆から敬遠されている)祖母の毒々しさをうまーく笑いに変えている。
いい具合に笑いに持っていかれて祖母も仕方なく矛をおさめる感じ。
私はいつも祖母の毒々しい発言一つ一つに真面目に反応して切れてしまい、最後はぷんぷんになって「もう二度と会わない!!!」と過剰反応してきたが、これからは父のやり方を見習わねばと思った。

(話題その1)
祖母;「うちの辺りも最近変わっちゃってねぇ。うちの前が貸家だったらしくて新しく入った人は、韓国人なのよ。。。」(その後も差別的発言が続きそうな雰囲気で、私の眉間にも皺が、、、)
父;(すかさず)「まったぁ、そういう、、、、お母さん、富山でしょ?あそこも元々韓国系だから、お母さんも韓国系ですよ!」
皆;笑
私;大笑
祖母;(私の腕をバシっとたたいて)「何笑ってるのよ!!おばあちゃんコケにされてるのよ!!」
私;「いや、、、あのね。おばあちゃんの差別的発言にお父さんがユーモアで返した、、、と、そう解釈するところなわけよ。分かる?」
皆;大笑
祖母;「????」(天然ですからね。)

(話題その2)
妹がサルサクイーンだという話題になって、老人の面々は分からないながらも感心。
そこへすかさず
祖母;「でもね。おつむはこっちの長女の方がいいのよー。」
(解説。祖母は92にもなって学歴大好き人間で、とにかく私はいつも格好の自慢のネタにされ、あまりにレベルの低い自慢話に辟易させられる。サルサの話から、無理やり私の学歴に話に転換しようとしてるのバレバレやろ!!と早くも私の眉間に皺が、、、)
そこへすかさず
父;「そうですねー。一体誰に似たんでしょうかねぇー。頭いいんだから、お母さんに似たんちゃいます??」
と突っ込まれ、さすがの祖母もそれ以上話を進めることが出来ず、少々悔しそう。

と、こんな具合。
父は、祖母の自分に対する攻撃もうまーい具合にかわして、かつ誰もが楽しめるような笑いにかえていて、正直ある意味尊敬した。
そして、父のおかげでその会食中、良く知らない親戚の面々とずっと笑い通し。
祖母の嫌な面よりもお茶目な面がクローズアップされてとてもいい会食となった。

話術と心の余裕一つで、祖母のような可愛げのないキャラともこんなに楽しく付き合えるんだ、というのは大発見で、とりあえず祖母を責めて足が遠のいていた自分を少し反省した。
帰りがけに「9月末、命日だからお墓参りに来て頂戴よ」と声をかけられる。
その場は、何とも返事をせずに帰ってきた私だけれど、いってもいいかな、という気分になっているのも事実だ。
夏海ちゃんにも大原のお墓を見せておいてあげてもいいかもしれない。

最後になったけれど、夏海は今日私を送り出してから、
お父さんに本を読んでもらいお風呂に入れてもらい、麦茶を哺乳瓶で飲んでたっぷりお昼寝していたらしい。
そして私が帰る1時間くらい前に目覚めて、少しだけ搾乳したミルクを哺乳瓶で飲んだけれど、あまり沢山は飲めなかったようで、私が帰ったらまっさきにおっぱいにかぶりついていた。
そして、やっぱり寂しかったのか、私が帰ってから私と目を合わせない。
でも、機嫌は非常に良いのでうっかりすると見落としてしまいそうだった。(いつもそう)
抱っこして夏海の視界にわざと入るようにすると、やっぱりとたんに泣き出し、そのまま2時間あまりぐずったり怒ったり。
沢山お話をして、謝って、抱きしめて、、、そのうち寝て、、、などを繰り返し、最後はちゃんと目を見てくれるようになった。
仲直りしてからは、精力的にOPPLAをして、にっこにこ笑い、おしゃべりし、またいつもの夏海ちゃんに戻っていた。

「明日はおじいちゃんに会うんだよ。」と説明すると、ちょっとはにかんだような顔で、にっこりと笑っていた。

彼女は本当にいろんなことが良くわかっているんだなぁ、と毎日実感する。






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Last updated  2004.09.06 02:03:16
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