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法喜が語る

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2004年12月19日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
日本にいると死とは非日常だ。私が死を視覚的に感じたのはインドが初めてなのかもしれない。ベナレスのほとりには火葬場が何箇所かある。私の泊まったゲストハウスの裏に火葬場はあった。そこは5箇所ぐらいで人間の肉体が次々と燃やされていく。人間を薪で焼くのにはかなりの時間がかかる。火葬場の横には大量の薪が山積みにされている。そしてこの火葬場を見下ろすように死を待つ家がある。多くのインド人が最後はガンガーの町聖なるベナレスで火葬されたいと願う。まだ生きているうちから死を悟ったものは遠くベナレスまでやってきて死をこの家で待つのである。眼下では毎日毎日何体もの動かなくなった肉体が業火に包まれ魂を浄化していく。死までの時間いったい彼らは何を考えているのであろうか。インドでもいや世界で一番有名な火葬場。死との決別という目的ではなく、多くの見物人が集まる火葬場。魂が抜けた後肉体は、浄化された後はガンガーに沈められる。現世との最後の別れをした魂はまたこの欲まみれの世界に輪廻転生しなくてはいけないのである。死だってお金がかかるのである。この火葬場で使われる薪ははるばる遠くの山から運んでいるらしい。そして1体焼くために必要な薪の値段は半年分の給料とか1年分の給料に時には値する。お金の無いものは聖なる業火では燃やされず、電機で機械的に燃え尽きるのである。死後の違いは私にはわからない。やはり聖なる木にで肉体に残った穢れを燃やしたほうが来世では幸せになれるのであろう。





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最終更新日  2004年12月21日 16時17分54秒
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