親・日本の心
致知2000年、五月号に掲載されたあるお話を、『幸せになるためのちょっといい話し・・・』というサイトで拝見し、涙しました。話しは変わりますが、本日は私の父の誕生日、何時も電話をかける時間に寝ていました(私が)ので、今電話のタイミングを待っているところです。丁度、この掲載されたお話で、親の子供に対する信頼を考えさせれ、有り難く・・・感謝するばかりですね。それではそのお話を・・・『蟹工船』という小説を書いた小林多喜二という作家がいます。この人は戦前、思想・社会運動を取り締まる特高警察に検挙されました。取り調べといっても実際には、竹刀やムチで打たれたり、投げられたりする毎日で、目は腫れ、口は裂け、髪の毛もずぼっと抜けるなどのひどい拷問でした。多喜二はやがて東京・多摩の刑務所に入れられますが、北海道の小樽にいる多喜二のお母さんに、5分間だけ面会が許されることになりました。字の読めないお母さんは、刑務所からの手紙を読んでくれた人に、「5分もいらない。1秒でも2秒でもいい。生きているうちに多喜二に会いたい」と訴えました。貧乏のどん底だったので、近所の人になんとか往復の汽車賃だけを借りて雪が舞う小樽を発ち、汽車を乗り継いで指定時間の30分前に刑務所に着きました。看守がその姿を見て、あまりにも寒そうなので火鉢を持ってきました。するとお母さんは、「多喜二も火にあたっていないんだから、私もいいです」と、火鉢をよたよたと抱えて面会室の端に置きました。今度は別の看守が朝に食い残したうどんを温め直して差し出しました。お母さんは車中、ほとんど食べていません。それでも、「多喜二だって食べてないからいいです」と、これも火鉢のそばに置きました。時間ぴったりに看守に連れられて面会室に現れた多喜二は、お母さんを一目見るなりコンクリートの床に頭をつけ、「お母さん、ごめんなさい!」と言ったきり、顔が上げられません。両目から滝のような涙を流してひれ伏してしまいました。わずか5分の面会時間です。言葉に詰まったお母さんを見かねた看守が、「お母さん、しっかりしてください。 あと2分ですよ、何か言ってやってください」と言いました。ハッと我に返ったお母さんは、多喜二に向かって、この言葉だけを残り2分間繰り返したそうです。「多喜二よ、おまえの書いたものは一つも間違っておらんぞ。 お母ちゃんはね、おまえを信じとるぞよ」その言葉だけを残し、お母さんは再び小樽に帰りました。やがて出獄した多喜二は、今度は築地警察署の特高に逮捕され、拷問によりその日のうちに絶命しました。太いステッキで全身を殴打され、体に何か所も釘か何かを打ち込まれ、亡くなったのです。もはや最期の時、特高がまだステッキを振り上げようとすると、多喜二が右手を挙げて、しきりと何かを言っているようです。「言いたいことがあるなら言え」と特高が水をコップ一杯与えました。すると、多喜二は肺腑から絞り出すような声で言いました。「あなた方は寄ってたかって私を地獄へ落とそうとしますが、 私は地獄には落ちません。 なぜなら、どんな大罪を犯しても、 母親に信じてもらった人間は必ず天国に行く という昔からの言い伝えがあるからです。 母は私の小説は間違っていないと信じてくれました。 母は私の太陽です。 母が私を信じてくれたから、必ず私は天国に行きます」 そう言って、彼はにっこり笑ってこの世を去ったのでした。お母さんは、字はひらがなぐらいしか読めません。したがって、多喜二の小説は一行も読んではいないのです。しかし、自分の産んだ子は間違ったことはしていない。かあさんはおまえを信じている、と言ってくれました。そういうお母さんに対し、多喜二は「母はオレの太陽だ」と言ったのです。ここにおられる女生徒の皆さん、あなた方はあと十年もすれば愛する人を見つけて結婚なさると思います。どうかそのとき、その愛した男性に対して「お父さま」とおっしゃってください。どうか「尊い人」と言ってあげてください。男性も女性から尊い人と言われれば、本当に命をかけて、あなた方の命の安全と幸福のために汗を流して頑張ります。人間のこの父母である夫婦が尊敬しあい、いたわりあわなければ、子供が健全に育つはずがありません。だから、皆さんの世代になったら、ぜひ日本人の母になってください。カミ様になってください。男の生徒さんは、たくましく、優しい日本人の男になってください。そして、だれも真似できない太陽を胸に輝かせた自分というものをしっかり確立してください。それが、皆さんの永遠の心棒です。 『クリックで救える命があります。』