038799 ランダム
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 その日の夜、沙紀の携帯に沖田先輩からメールが着た。
 『徳山出版から内定もらいました。』
 シャワーからあがってきてすぐにそのメールに気がついた沙紀は、速く返信したいという気持ちを抑えて、髪を乾かしながら返事を考えた。
 沖田先輩は沙紀の二つ上の先輩で、高校で同じ部活だった。文化系の部活で男子部員が少なかったため、沙紀にとって数少ない男の先輩であり、その中で沙紀が今でも連絡を取り合っている唯一の先輩だった。同じ大学に入ったという縁もあり、時々連絡を取り合うようになったのだ。2人で食事に行ったり遊んだりしたこともあり、悩みがあるときに相談にのったりしてもらえる、頼りになる先輩だった。
 『おめでとうございます☆じゃあ、内定祝いに、今度食事でも奢りますよ~!』
 沙紀は、高校の時からずっと先輩にあこがれていた。今でもメールがきたり会ったりする度に嬉しくなる。
 けれど先輩とは、長い時では半年程も連絡を取らない時もあるくらいで、今までは久しぶりに連絡を取って会うことになっても常にどちらかに恋人が居たということもあり、そういう、男女の関係に発展しそうな気配はなかった。沙紀は、今の先輩との関係を心地よく思っていたし、これからもそんな関係が続いていくのだろうと考えていた。
 先輩と会うときはいつでも楽しくて、今回もただ、先輩と会うことを楽しみにしていた。



 友達や恋人と待ち合わせをしている人たちが、皆幸せそうに見えて、沙紀もなんだか幸せな気持ちになっていた。いや、沙紀が幸せな気分でいるから、回りの人も幸せそうに見えるのだろう。これから沖田先輩と会うことが楽しみで、沙紀のテンションは上がりっぱなしだった。
 沙紀は、約束した時間の15分も前に、待ち合わせの場所にきていた。そして沙紀が10分ほど待っていると、先輩がやってきた。
 「ごめん、待った?」
 「いえ、私もさっき来たとこです。まだ待ち合わせ時間前ですし。」
 沙紀は腕時計に目をやって答えた。
 久しぶりに会う先輩は、いつもの笑顔で、いつものように清潔感のあるシンプルな服装をしていて、いつものようにかっこよかった。
 「何食べに行こうか。」
 先輩が聞いた。
 沙紀は、先輩と一緒ならどこに行っても楽しいだろうなあなんておもっていたので、今日の予定はまったく決めていなかった。
 「先輩は何か食べたいものありますか?」
 「んー、沙紀ちゃんが決めていいよ。」
 「先輩が決めてください。今日は先輩の内定祝いなんですからね。」
 
 2人は少し考え、じゃあ先輩の知ってる店に行こうということになった。
 「雰囲気も良くて料理も美味しいお店なんだ。僕のお気に入りのお店。」
 「いいですけど、あんまり値段の高いお店だと・・。」
 「大丈夫、そんなに高くないよ。それに、おごりじゃなくてもいいからさ。」
 「いや、私がおごりますよ。」
 沙紀は、今日は先輩のお祝いなんだからと、自分がおごることを強調した。
 「えー、でも悪いよ。僕のほうが先輩なのに。」
 「大丈夫です。就職したら何倍にもして返してもらいますから。」
 そう言って沙紀は、先輩の顔をのぞくように見て満面の笑みを作った。
 「ああ、なるほど。そういうことか・・。」
 沙紀ちゃんにはかなわないなあって感じで、先輩も笑った。
 「わかった。じゃあ今回はおごらせてあげよう。」
 「はい、任せてください。」
 先輩の案内にしたがって、目的のお店へと向かった。

 先輩のおすすめのお店は、たしかに雰囲気が良かった。イタリアの家庭料理を意識しているようなお店で、値段も手ごろだった。料理もワインもとても美味しく、沙紀は慣れないコース料理にドキドキしながら、おなかがいっぱいになるまで食べた。
 「沙紀ちゃん、良く食べるねえ」
 「だって美味しいんだもん。あ、あんまりたくさん食べてると見苦しいですか?」
 「いやいや、沙紀ちゃんが幸せそうに食べてるの見たら、こっちも幸せな気分になってくるよ。」
 沙紀は、自分が少し酔っ払ってきているのを感じていたが、まあ、今日くらいは良いだろうと思った。だって、こんなに美味しいんだから、遠慮したりしたら損しちゃう。

 料理を食べながら、いろいろな話をした。学校の話や恋の話。その時、先輩も最近彼女と別れたばかりだということを知った。
 それから、先輩の仕事の話をした。
 「先輩、前から出版社に入りたいって言ってましたもんね。夢かなえちゃうなんて凄いなあ。」
 「まあ、親からは反対されたけどね。何のために理系の大学に行ったんだって。でも、前から本に関わる仕事をしたいと思ってたからね・・・特に、小説に関わる仕事。本当は自分で書くのが夢だったんだけど、自分の力じゃ今すぐに出版できるほどの小説は書けないから、とにかく小説に関係している仕事をしたかったんだ。」
 「先輩、小説家になるのが夢なんですか。」
 沙紀は少し驚いた。沖田先輩は、理系の学部に通っていて、どちらかというと物理や数学が得意なイメージがあった。
 「まあ、本当に小説家になれるなんて思ってないんだけどね。でも、働きながらでも小説書いて、いつかデビューできたらなあなんて思ってるんだけどさ。」
 「へえ、すご-い。そんな夢があるって素敵です。あ、でもだったらどうして文系の大学に行かなかったんですか?」
 「ああー、何でって言われると・・・」
 先輩は少し恥ずかしそうにしながら答えた。
 「英語が苦手だから・・・。」
 そう言って先輩は笑った。

 その後も大学入試のシステムについて話したり、先輩が書こうと思っている小説の話を熱く語ってくれたりした。
 先輩と話をしていると楽しくて、沙紀はたくさん笑わせてもらった。

 なんとなく、沖田先輩の言葉や仕草が心地よかった。先輩と居ると不思議と安心できて、何ヶ月ぶりかに会うのに全然久しぶりに会ったという感じがしない。先輩と会った瞬間にその間の時間が無くなってしまって、いつも一緒に居たような気になってしまう。そんな感じだった。
 先輩と一緒に居るとなんだか落ち着く。沙紀は、自分は先輩のことが好きなんだなぁ。と思った。これを恋と言えるのかわからないけれど、なんとなく、好きなんだと。


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