|
テーマ:ニュース(95570)
カテゴリ:旅日記~海外編~
今日の毎日新聞の1面に、奈良の明日香村で、
蘇我氏の住居跡とおぼしき遺跡が発見されたと報じられていた。 甘樫丘東麓遺跡:蘇我氏の本拠、発見期待 武器庫や正殿は 蘇我氏は536年、稲目(いなめ)が大臣に起用されたのを機に歴史の表舞台に登場し、天皇の外戚(がいせき)として勢力基盤を拡大した。次の馬子は甘樫丘から南東に約1.5キロ離れた石舞台古墳の近くに邸宅を構えたとみられ、昨春と今夏の調査で、大型の掘っ立て柱建物跡が見つかった島庄遺跡(奈良県明日香村島庄)が有力になっている。今回の調査地で確認された平たん地は7世紀前半に整地されたとみられ、馬子の次の蝦夷が644年に甘樫丘に邸宅を築いたことと合致する。 「甘樫丘は現代の東京・丸の内や六本木ヒルズ」と言うのは、万葉集を研究する上野誠・奈良大教授。「甘樫丘は万葉集で『明日香川行き廻(み)る岳(おか)』と表現され、飛鳥の要衝だった。その場所にいること自体が一流のステータスの証明だった。当時の勝ち組の象徴でもあった場所」と話す。 日本書紀に、蝦夷が天皇の特権とされた「八つら(やつら)の舞」を奉納したと記されるなど、権力の絶頂にあった蘇我氏の滅亡のドラマは、入鹿が今回の調査地の東約750メートルにあったとみられる飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)で殺され、蝦夷が家宝に火を放ち、自害して幕を下ろす。建物跡付近には焼け跡もあった。 蘇我入鹿と蝦夷、どっちが父親だったかさえ、 記憶が定かでない歴史オンチの私でも、このようなニュースはワクワクする。 当時の「六本木ヒルズ」とか「勝ち組の象徴」という説明もわかりやすいではないか。 私は、遺跡や歴史建造物が好きだ。 今まで行ったなかでは、アンコールのバンテアイ・スレイと、ベンメリア、 ペルーのマチュピチュがかなりお気に入り。 ![]() ![]() 遺跡のなかで時間も忘れ、ぼーっと当時の暮らしに思いを馳せると、自然に頬がゆるむ。 この大好きなマチュピチュを上回ったのが、イエメンのシャハラ。 ![]() ![]() マチュピチュは遺跡だが、シャハラは、 今もここで暮らしている人たちがいる、生きた村。 ![]() たどり着くまでの道のりも、 私よりも年上とおぼしき、トヨタのランクル(当然タイヤもつるつる)で、 ![]() ![]() 舗装されていない道を上っていく、天然のビッグサンダーマウンテン。 ![]() 遺跡好きな方には、超オススメな場所です。 飛行機に乗らなくても、同じ近畿に、明日香のような素敵な遺跡があるのですね。 まだ明日香村には行ったことがありませんが(★)、 今日のニュースを聞き、行ってみたい度がUP↑しました。 * * * 今日は、会社で配られたもみじまんじゅうにも、おみかんにも手を付けず、 リセットダイエット、成功してます^^ ![]() (2005年11月15日 08時42分08秒) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 14, 2005 11:29:59 PM
[旅日記~海外編~] カテゴリの最新記事
|
|