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2009/12/20(日)13:25

鎌倉ランチの会*覚園寺と鎌倉宮

鎌倉(27)

鎌倉市二階堂にある古刹、覚園寺(かくおんじ)。ガイドブックにはあまり取り上げられていないお寺です。それもそのはず、このお寺、門を入ってすぐまでは自由に拝観できますが、本堂と広大な境内は時間を決めてお寺の方が案内してくれるシステム。 二階堂の山あいの住宅地を登っていくと、山門が見えてきます。そうなんです!このあたりはまさに山。いわゆる谷(やつ)なんですね。細い谷が山の間に入り込む、鎌倉に多い地形。覚園寺は、薬師ヶ谷という谷全体を境内にしているそうです。 あまり知られていないお寺かなあ、と思っていたら、どうしてどうして!午後1時からの拝観スタート時間に集まったのは50人ほど!さすが、ネットで詳しい情報を調べてくる人が多くなったということでしょうか。団体を引き連れてお寺の方が解説しながら境内を回ります。お寺の入り口付近を除いて、写真撮影と自由行動は禁止。ちょっと厳しいルールですが、境内はまさに自然の山。足場が危険な場所もあるし、鎌倉時代のままの自然の森を維持するには、きちんとしたルールが必要なのですね。それだけに、自分の目で、是非確かめてみてください!鎌倉駅からは少々遠いですが、それだけの価値はあります。 1218年、鎌倉幕府執権・北条義時公が建てた薬師堂がはじまり。実は鎌倉、古い仏像はあまり多くありません。当時の仏教の中心といえば、京都・奈良で、やはり、そちらに立派な仏像は集まっています。鎌倉時代を代表する仏師運慶も、奈良で大きな仕事をしていますしね。 そんな鎌倉で、こちらの薬師如来様は国宝。中世からの建物の名残が残る木造の薬師堂の中に、薬師如来、日光・月光両菩薩が十二神将を従えていらっしゃいます。蛍光灯のあかりがひとつだけのお堂内は薄暗く、まさに中世鎌倉の祈りの空間のまま。普段信仰心のかけらもない人間(ワタクシメのこと)でも、謙虚に仏様に頭を垂れてしまう、そんな厳粛な空気が漂います。こうして、長い時間、歴史の激動を超えて、人々は世の平和と幸福を祈り続けてきたのでしょう。この薬師堂は室町幕府初代将軍・足利尊氏が再建したもの。現在のものは江戸時代に改修されているようですが、見事な天井絵の描かれた天井板に、「○年足利尊氏がこの建物を建てた」という内容の文字が書き付けられています。案内の方が懐中電灯で示してくれるのですが、足利尊氏、という文字が浮かび上がった瞬間、およそ650年ほどの時空を超えて、尊氏公がすぐそばに来たような感覚が!(歴女の方ならわかりますよね!) おそらく700年来変わっていない、自然を生かした境内はまさに紅葉のさかり。両脇に迫る山を背景にした赤と黄色。あいにくの雨で残念と思っていたら、その雨にはらはらと、紅葉が吹雪のごとく舞い散るさまは素晴らしいのひとこと。写真でご紹介できないので、是非是非、行かれることをお勧めします。 さて、覚園寺から鎌倉宮まで戻り、お参りしていきましょう。この神社の奥には、大塔宮護良親王が幽閉されていた、と伝わる土牢が再現されています。(この地で殺された、とされていますが、ま、この土牢はそのハナシを盛り上げるために作られたものでしょうね。) 鎌倉時代から室町時代への歴史の転換期。多くの人が、様々な立場で歴史の激動に向かい合いました。それぞれ己の信念に基づいて行動したわけですが、その結果がどう転ぶかは、まったく予測のつかない時代でもありました。後醍醐天皇の皇子、という立場に生まれ、一時は鎌倉幕府打倒の英雄とまでになった護良親王も、悲劇的な最期を迎えることになります。ただ、こうしてさまざまな立場で戦い、死んでいった多くの人たちの上に、現在の日本があるのだ、ということを知っておきたいですね。いまの鎌倉宮の平和な賑わいを見て、護良親王の霊も安心されているでしょう。  護良親王が兜の中に忍ばせお守りにしたという獅子頭。とてもチャーミングなお守りとなりました。災難よけに大変ご利益があるとか。このお守りを車においていた人が、大事故を免れた、という話もあるそうです。同行メンバー全員が購入するほどの魅力的なお守り。かわいい獅子頭くん、我がマイカー101号のダッシュボードの上で、にらみを利かせてくれています。 今回のツアーはこれで終了。バス停大塔宮から鎌倉駅行きのバスで鎌倉駅前に戻ります。古都散策の最後は甘味で締め。小町通から脇に入った「納言志るこ」でおしるこを。漉し餡のお汁粉(御膳しるこ)もありますが、ここは全員が粒餡のおぜんざい(田舎しるこ)を注文。小豆そのものの美味しさを引き出した大変美味しいおぜんざいでした。鎌倉では老舗の甘味処。小さなお店で、きゅうきゅうになって座るのも、また一興。

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