「毎日更新」読レポ第2107 カール・ロジャーズ 衛生関係―パートナーの異性との交流を共に喜びとして分かち合う(1/4)
「毎日更新」読レポ第2107カール・ロジャーズ~カウセリングの原点~著:諸富祥彦発行:㈱KADOKWA第8章 ロジャーズの結婚・恋愛論 衛生関係―パートナーの異性との交流を共に喜びとして分かち合う(1/4) 「嫉妬」を乗り越える男女の関係は可能か―この問いに対するロジャーズの答えはイエスである。その条件は、パートナーの、他の異性との親密な交流とそれに伴う喜びに耳を傾けて、分かち合うことである。「相手の過ちを赦す」などということではない。「私に魅力がないから、他の人を好きになるんだ」などと卑屈になって、自分を責めるのとも違う。「そうか、君は、そんな素晴らしい体験ができたのか。それはよかった。喜ばしいことだ」と、パートナーの、他の異性との○○○〇親密な交流の喜びを我が事のように共に喜び、分かち合うことである。パートナーが他の異性と素晴らしい体験をできたことを共に喜ぶ姿勢である。 このあたりは、性道徳の常識や嫉妬心にとらわれている方には、なかなか理解しがたいかもしれない。しかし、いかがだろう。私たちは、パートナーの人生の喜びを、自分自身の喜びとして共に分かち合うことを大切に思ってこなかっただろうか。ロジャーズはこの姿勢をパートナーの他の異性との親密な交流がもたらす喜びでも保ちうると考えるのである。「そうか、○○さんと、そんなふうに関係を持って、そんな素晴らし歓びを感じることができたのか、それはよかった」―そんなふに、パートナーのよろこびを共にこころから喜ぶ関係を持つことができるなら、そして二人の関係がしっかりしたものならば、必ずパートナーは戻ってくる。そして、より充実した歓びを伴う関係に深めていくことができる。ロジャーズはそういうのである。 パートナーが他の異性を好きになる。場合によっては親密な関係を持つ。それはかなりの苦痛と試練を伴う。しかし、その感情をお互いに率直に分かち合い、自分に誠実に生きていくならば、その結果、パートナー同士の関係はさらに強固になり、より「永続的なもの」になっていく。ロジャーズはそう言うである。と著者は述べています。 ロジャーズは、「嫉妬」を乗り越えるには、パートナーが他の異性と親密な関係にあることに対して、共に歓びを分かち合うことである。パートナーが他の異性と親密な関係に対して、親密な交流とそれに伴う喜びに耳を傾けることで、「相手の過ちを赦す」などということではない。「私に魅力がないから、他の人を好きになるんだ」などと卑屈になって、自分を責めるのとも違い、共に歓びを分かち合うことであり、それによって、パートナー同士の関係はさらに強固になるとロジャーズは言っているよだ。 そのパートナーが他の異性と親密な関係にあることに対して、共に歓びを分かち合うには、かなりの苦痛と試練を伴う。しかし、その感情をお互いに率直に分かち合い、自分に誠実に生きていくならば、パートナーとの関係はさらに強固な関係になるとロジャーズは言っている。 私もこの項をよんで、確かにパートナーなったのは、相手の幸せを歓びを共に分かち合うことである。だが、私は若い時は、交際相手に対して「嫉妬」していたことがあった。今ふり返ると、パートナーを独占欲や自分の所有物のようにして縛り付けたい、無意識なモノがあったのだろうな。 ただし、今の社会ではパートナー以外の愛する異性との○○○〇の親密な関係に対しては、許されることではない社会規範が現実です。ロジャーズが言っていることをすれば、「嫉妬」など無くなるかもしれないが。そう単純ではない。長年にわたり、パートナー以外を愛する事は、許されないと教え込まれ、世代間連鎖でつづいている。また、様々な問題も生じてしまう。 私の中にも、それがある。異性との交流は別に問題ないし、受け止められる。パートナーの交流は私も歓びあえるが、ロジャーズが言っているような異性との○○○〇の親密な関係は、私は受け止められそうもない。かなりの苦痛と試練には、耐えられない。 私は、多少の「嫉妬」も必要であっても良いと思う。パートナーを尊重しないで独占欲や自分の所有物のようにして縛り付ける「嫉妬」は、手放すことであると思う。耐えられないなら、別れる事をおすすめしたい。お互いにパートナーを尊重できる一人一人の人間として尊重し合える関係性をつくりたい。