2017/04/16(日)21:20
探訪 [再録] 滋賀・大津 ふたたび坂本の町を歩く -5 公人屋敷でみた雛人形展
[探訪時期:2014年2月]
この画像は「公人屋敷」の入館券です。平成15年(2003)秋~16年(2004)秋に保存改修工事が行われてた結果の景観です。
主屋は桁行8間、梁間5.5間の切妻造・桟瓦葺、平入で、大小9つの部屋があります。(資料1)
拝見した時は、この部屋に雛人形が各種飾られて展示されていました。かなり以前に、京都国立博物館で雛人形展を見たことがありますが、久しぶりに様々な雛人形をこの公人屋敷で拝見できました。
季節外れになってしまいましたが、探訪の一環として記録するとともに、ご紹介したい次第です。また季節が巡ってくると、同種の展示企画があるかもしれません。
まずは床の間に飾られた数種の雛人形。全景はこんな感じに。
立ち雛の雛人形は比較的初期の形態のようです。
以前に雛人形展を鑑賞した記憶を再確認するために、少し調べてみました。
日本では「遠い昔から、春先に清流で身を清めて不祥を祓い、無病息災を祈ることが素朴な習俗として行われていた」ようです。折口信夫は3月初めの大潮の日は、昔は禊ぎの日だったと論じています。「穢れたものを川へ流すと、それが海へ流れ出て、恰度大潮である海の水が、その穢れを遠いところへ持て行ってくれるという考へから」だと言います。雛は雛形つまり模型であり、人間の形をしたもの(人間のひながた)をまつり、それに人の汚れを吸い取ってもらう。自分の穢れた魂を移す道具だったのです。その雛を川に流してお祓いして清める。そんな習慣があったのです。中国の「上巳(じょうし)」の節句の習慣-3月3日に水辺にて身を清め穢れを祓うーが日本に伝わってきました。「巳の日祓い」の習慣として、取り入れられることになったのだと言います。折口は千葉の木更津あたりでは「またござれ」と言って雛を川に流しに行くという事例を紹介しています。
現在の和歌山県の淡島神社の雛流しはその一例です。また、『源氏物語』の須磨の巻には、「弥生の朔日に出で来たる巳の日、『今日なむ、かく思すことある人は、禊したまふべき』と、なまさかしき人の聞こゆれば、・・・・この国に通ひける陰陽師召して、祓せさせたまふ。舟にことごとしき人形のせて流すを見たまふ・・・・」という場面も描きこまれています。
雛に魂があるように考えはじめ、雛が立派な人形になっていくと捨てなくなります。子供の相手をするものになり、飾るものに変化していきます。平安時代の貴族社会に「雛遊び」があったことを『源氏物語』が数カ所で描写しています。たとえば、紅葉賀の巻には、「いつしか雛をしすゑてそそきゐたまへる、三尺の御厨子一具に品々しつらひすゑて、また、小さき屋ども作り集めて奉りたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり」。
この貴族の家の雛を真似て、「宮廷の風俗や儀式に因んだ人形を飾るようになった」ということなのでしょう。雛人形のルーツはこんなところにありそうです。(資料2,3,4)
余談ですが、「永和9年(西暦353)3月3日に王羲之が修禊の儀式をして主催した曲水の宴で、人々が詠じた漢詩に寄せた序文」が『蘭亭序』であり、書の手本になっているそうです。上巳の節句において、漢詩を詠じるという部分が、「曲水の宴」という形で歌を詠じる行事に進展してきたようです。
(資料4)
羽子板の上に置かれた「百歳雛」
この種の雛人形は初めて見ました。羽子板の端に載せているのがなんとも粋な感じ。
その隣りに飾られた雛人形及び輿と牛車。牛車は唐車です。屋根が唐破風だと判断しました。唐車なら、上皇・皇后・東宮・親王、または摂関などが用いる大型の牛車です。(資料5)
輿も牛車も蒔絵が施されていて豪華です。
一部屋の壁に、掛軸が掛けられていました。これは雛人形というわけではないでしょうが、雛人形の原型になる図柄という感じです。
一部屋には雛飾りのセットが2つ並べて展示されています。
ひな壇の飾り付けの構成は同じ形式になっていますが、人形の形態や調度品や輿・牛車にかなり違いがあって対比的に見ると面白いです。牛車は半蔀車(はじとみぐるま)のようです。屋形の横にある物見窓が、上に押し上げる半蔀戸の形のように見えます。そうだとすれば、上皇・親王・摂関、大臣のほか、高僧や女房が用いることもあった牛車です。
ひな壇形式のものが、別の部屋にも。
対比的に眺めていくと様々な発見があって、おもしろい!
この雛人形には説明が付されていました。
「源氏棚」つまり、「源氏棚と呼ばれている御殿雛で、源氏物語の絵図を見る様に、御簾(みす)越しに人形が飾られています」。
これと同種の雛人形を調べていてブログ記事で見つけました。序でに、ご紹介しておきましょう。「近江商人屋敷」の「外村家(外村繁邸)にて展示された雛飾りの記事です。
「源氏枠飾り」として紹介されています。こちらをご覧ください。(「京 歩き」古都人さん)
少しシンプルな雛人形としては、こんなセットも。
こういう一式もミニチュア版で展示されていました。
このように部分撮りしたのを見ると、一瞬その大きさを錯覚しませんか?
ミニチュアの調度類
御所人形の雛飾りセットも展示されています。
この御殿雛のセットもいいですね。
脇道にそれますが、「御殿飾り雛」について、参考になる紹介記事を見つけました。
日本玩具博物館・春の当別展(2008年)の解説記事です。こちらからご覧ください。説明が大変参考になります。
この博物館には500組を超える雛人形コレクションがあるそうです。
さて、最後まで雛飾りをご覧いただいて、お気づきですか?
男雛が向かって右に配置されていることです。この配置が「古式」の原則なのだそうです。現代式は向かって左に男雛を配置するやり方です。
”社団法人日本人形協会では昭和天皇の即位以来、男雛を向かって左に置くのを「現代式」、右に置くのを「古式」としており”という風に変遷してきたのです。(資料3)
このことは、別の探訪の機会にあるお寺のご住職からも聴きました。昭和天皇の即位にあたり、西欧流に男が向かって左に並ぶスタイルを採用されたことから、雛飾りもそれに合わすように変わってきたということでした。
一例ですが、「貞徳院矩姫(尾張14代慶勝夫人)所用」の「雛飾り」をこちらでご覧ください。(「文化遺産オンライン」より)
一方、「全日本人形専門店チェーン」のウェブサイトの「雛人形」のページをこちらからご覧ください。
その対比が一目瞭然です。
もう一つ、違った視点で鑑賞出来るのが襖絵です。
各部屋の襖に描かれた水墨画の襖絵が屋敷の歴史とその姿を感じさせます。
江戸後期に活躍し、晩年を坂本で過ごした横井金谷(きんこく:1761~1832)が描いた作品とのこと。近江・栗太郡下笠村(草津市)の生まれで、絵は独習し与謝蕪村に傾倒した人のようです(一方、張月樵に絵を学んだという説もあります)。「近江蕪村」とも称されたとか。一方で、「無極の道心者」とも言われたらしく、かなりユニークな人生を歩んだ人物。1781年には、京北野の金谷山極楽寺の住職になり、その山号を雅号としたとか。(資料1,6)
この後、坂本市民センターで昼食休憩の後、文化財保護課の専門職員仲川氏から「元亀争乱を歩く」というテーマでの講義を聴いてから、争乱と関係した坂本・穴太の関係地を探訪します。午後の探訪は仲川講師のガイド・解説へとバトンタッチされました。
講義は、『信長公記』『言継卿記』『兼見卿記』という史料文献にみられる「志賀の陣」関連の具体的記載を抽出して、総合的に眺めた解説でした。史料からみた「志賀の陣」の経緯分析と理解の促進というアプローチで、午後後半の現地探訪への導入でもありました。講義資料内容は必要に応じて探訪結果に組み入れることでのご紹介にとどめたいと思います。
つづく
参照資料
1) 「公人屋敷(旧岡本邸)ご案内」 大津市観光振興課
2) 雛人形(ひな人形・おひなさま)、ひな祭り(雛祭り)の歴史と由来:「小木人形」
「雛祭りのおこり」「雛祭りとお彼岸」 『折口信夫全集第17巻芸能史篇』
p476-479、p495-497
淡島神社の雛流し :「和歌山県ふるさとアーカイブ」
『源氏物語 2』 須磨 日本古典文学全集 小学館 p217
『源氏物語 1』 紅葉賀 日本古典文学全集 小学館 p320-321
3) 雛祭り :ウィキペディア
4) 曲水の宴 :「樹南宮」
5) 『源氏物語と京都 六條院へ出かけよう』 監修・五島邦治 編集・風俗博物館
6) 横井金谷 :「大津市歴史博物館」
横井金谷 :ウィキペディア
横井金谷 :「コトバンク」
【 付記 】
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。
補遺
公人屋敷の雛人形 :「びわ湖花街道 公式Blog」
日本人形協会 ホームページ
節句人形とは
御所人形について :「伊東健一御所人形の世界」(有職御人形司十二世伊東久重家)
日本玩具博物館 公式サイト
雛人形の歴史 :「雛人形の歴史とイベント情報」
和歌山・淡嶋神社の「ひな流し」 :Youtube
2013年 春 淡島神社 雛流し :Youtube
淡島信仰と流し雛 ~流し雛は雛人形の源流か~ 石沢誠司氏
上 ・ 下
横井金谷筆 山居図 新撰淡海木間攫 :「サンライズ出版」
赤壁秋夜景図 伝横井金谷筆 その2 :「夜噺骨董談義」
金谷上人御一代記 7巻 写 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
『金谷上人行状記 ある奇僧の半生』(横井金谷著、藤森成吉訳):「週刊東洋文庫1000」
極楽寺 :「京都 PHOTO CLIP」
言継卿記 :ウィキペディア
吉田兼見 :ウィキペディア
志賀の陣 :ウィキペディア
志賀の陣 :「年表でみる戦国時代」
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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