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2018.01.06
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カテゴリ:探訪 [再録]
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この図は手許の本から引用しました。竹村俊則筆「恋塚浄禅寺」図です。
この絵をまず見ていれば前回記した失敗談はなかったことでしょう。袈裟御前の墓とされる五輪塔がどこにあるか、一目瞭然なのです。参考にまずご紹介します。

「恋塚」については、絵を描いた著者の書に、「しかし、一説にむかしこの付近の池に棲んでいた大鯉を埋めた『鯉塚』が、あやまって『恋塚』となったともいわれている」という異説も併記(出典無記)されています。ネット検索していて、この説にあたるものが近世の地誌『雍州府志』(巻5)に記されているという説明を見つけました。でもやはり「鯉塚」より「恋塚」の方がロマンがありますね。(資料1,2)
事実は如何? というところです。

浄禅寺から少し北に上がったところで鳥羽作道に面して西側にある「行住院」の門です。このとき門の周辺を工事されていました。
鳥羽作道は現在「千本通」と地図に表記されています。かつ旧千本通となり、かつては鳥羽街道と呼ばれていました。
ここは今回通過するだけになりましたが、天正年間(1573-92)に行蓮社存誉信西が開創したと伝わり、城向山と号する浄土宗のお寺です。もと宗安寺の遺仏と伝える大日如来坐像(平安末期)、菩薩形座像(一木造・平安前期)が安置されているようです。本堂の脇壇には、足先を少し上げて歩み出そうとされる前屈みの阿弥陀如来立像古仏が安置されているそうです。(資料1,3)

今回ご紹介する場所はこちらの地図(Mapion)をご覧ください。


この行住院の北辺に東西の細い道路があります。
鳥羽街道の東側の道路を撮ったのが画像ですが、行住院に対するこの東側は「上鳥羽岩ノ本町」。この道路の南側の家並みあたりから南の地域に、中世には平地城の「上鳥羽岩ノ本城」があったといいます。中世土豪の居館跡です。今はもう資料をもとに説明を受けなければ、想像すらできません。その居館の北辺の濠跡がこの道路なのだとか。
行住院の山号が「城向山」であることとうまく照応してくるように思います(資料3)

行住寺より少し北のところで、鳥羽街道から少し西に入ります。

「實相寺」です。​ホームページはこちらをご覧ください。
   
日像上人の弟子妙実(大覚大僧正)の開基とされる日蓮宗のお寺。山号は正覚山
山門左側に名号碑が建てられています。境内にも同じく大きな名号碑があります。
寛永年間(1624-44)に俳人松永貞徳の兄が住持となり、貞徳の帰依を受けたことから寺運が隆盛したといいます。
拝見するゆとりがありませんでしたが、墓地には「逍遊軒貞徳居士」(松永貞徳)や弟などのお墓があります。



本堂は嘉永4年(1851)再建
本尊は釈迦多宝仏。そして、「日蓮うなずきの像」を安置すると言います。今回拝見はしていません。境内拝見にとどまりました。
  五輪塔形卒塔婆(石造) 本堂の左前
慶長2年(1597)の銘があり、大覚僧正が雨乞い祈願成就のために建立したという伝えがあるそうです。

 

本堂の左側に左の説明板が掲示されていて、近くにかつて鳥羽街道に敷設されていた「車石」の状態が再現されています。

 

境内にある鐘楼の鐘を拝見しました。元禄年間に鋳造された鐘のようです。
 

境内にはこんな石碑が建てられていますが、私には読解する力がありません。
この石碑をご覧いただき、お解りでしたらご教示ください。

「室町前期の記録に寺名が散見し、東寺や街道交通との関わりが考えられる。江戸時代には朝鮮通信使の休息所」とのことです。(資料3)

實相寺から鳥羽街道(千本通)越えた東側に上鳥羽小学校があります。

そちらに移る途中で見たのがこの「役場」という文字を刻んだ屋根瓦です。
銘板にこう記載されています。
「歴史があるから今がある」
「この塀に使用した瓦は、明治初期、この地に上鳥羽村、塔ノ森村聯合役場が設けられ、以来役場の機能に引き続き農業協同組合の機能を平成8年6月まで守った建物の屋根の上にあったものです。
 この時代があって、今日が有る事に感謝する意味をもって作成致しました。
      平成8年11月吉日 京都市農業協同組合      」


鳥羽街道からは少し東に入りますが、このあたりは「上鳥羽城ケ前町」です
上鳥羽小学校の門から構内には入りませんでしたが、この校舎の背後、つまりさらに東側が、かつての「上鳥羽城址」だそうです。平地城で、室町期の土豪田中氏の居館と考えられているのです。北辺と東辺の堀が水路として現存しているようです。(資料3)
北辺の水路の端あたりを何とか遠目に確認できる程度でしたが。


上鳥羽小学校の少し南に、「妙蓮寺」という小さな寺があります。
表門から境内を拝見しただけですが、正面に「開山日像菩薩」と刻した碑が見えます

日蓮宗のお寺。享保11年(1726)の記録があり、鎌倉末期に日像上人が日蓮宗弘通のために西国へ向かう際に建立されたことが記されており、永禄の兵火で全焼し、江戸前期に復興されたそうです。「田中氏の菩提寺であったようである」とか。(資料3)

再び鳥羽街道に戻り、さらに北上。

久世橋通を横断し北に向かうとき、北西角に立てられているのが石灯籠とこの道標
これは、この地点から北西方向にある「吉祥院天満宮」への道標です。
   
               さらに北に上った地点からの鳥羽街道・南方向の眺め
久世橋通との交差角に道標と石灯籠が見えます。

そのまましばらく鳥羽街道沿いに北上。すると北には正面に建物が見え、行き止まりの感じです。
その前の大きな道路が九条通・国道171号線です。
豊臣秀吉が京の都市改造として造った「御土居」の南端部は堀川から唐橋(羅生門跡)まで、九条通沿いに設けられていたのです。

この九条通に「御土居」という地名標識(2013年5月撮影)はありますが、御土居そのものは残っていません。土塁が明治時代まで残存し、茶畑となっていたそうです。
この辺りの地図(Mapion)はこちらからご覧ください。

同様に、唐橋、四ツ塚という地名は今も残っていますが、塚や橋の実態は確認できません。


南面する地蔵堂堂。東寺の西方約300mに位置します。
今回はこのお堂で写真を撮っているゆとりがありませんでしたが、2013年5月に個人的に羅生門跡を見にきています。その時の写真を補足します。
 

この地蔵堂には、「矢取地蔵尊」の扁額がかけられています。ガラス戸越しに撮らせていただいた地蔵尊像です。次ぎの縁起説明とは別に、この地蔵尊は像高1.5m、右手に錫杖、左手に宝珠を持たれていて、江戸時代の作と思われる石造坐像だそうです。もとの像は木像で、矢の傷あとがあったとつたえられているとか。(資料3)

地蔵堂の前面に、「矢取地蔵寺縁起」(矢負地蔵由来記より)という説明板があります。文字が薄くなり写真ではわかりづらいので、転記してご紹介します。
「淳和天皇の御代・天長元年(824)に国土早操して農耕の用水もなくなったので朝廷は、守敏と空海(弘法大師)の二人に雨乞いの勅命があった。御所の神泉苑の庭で、雨乞いの祈祷を行った。空海の術が守敏に勝ったので、三日三夜雨が降り国土を潤したので、守敏は空海を怨み、矢をもって空海を射たときに地蔵その間に出現して空海に代わり、その矢を受けた。地蔵の石像の背に傷あり、その後人々はその身代わり地蔵を、矢負の地蔵と呼び長く敬ってきた。その後人々は、何時の時代からか、矢取の地蔵と呼ぶようになったのである。
 今のお堂は明治18年(1983)3月に唐橋村(八条村)の人々の寄進により建立されたものである。  平成5年11月  矢取地蔵保存会 」

お堂の右手前には、大小含め何躰かの地蔵尊が安置されています。

この地蔵堂の右手奥が、今は小さな児童公園になっていて、羅城門跡の碑が建てられているのです。
つまり、この辺りが南へ真っ直ぐに開かれた「鳥羽作道」の起点なのです
鳥羽作道が鳥羽街道と呼ばれ、それがかつてはずっと南下すると大坂街道と呼ばれるようにもなります。現在の千本通です。その後、現在は「新千本通」ができていますので、「旧千本通」とも呼ばれます。

 
                                 羅城門遺址碑

その傍に、源氏物語ゆかりの地として「羅城門跡」説明板が建てられています。
 

羅城門復元イラストを拡大してみました。この地図で位置関係をご想像ください。
ここが平安京の正門だったところです。正式名称は「羅城門」でああり、「羅生門」というのは後世の異表記なのです。芥川龍之助は、『今昔物語集』を素材にして名作『羅生門』を後世に残しました。

もともとは、平安京造営の発想が中国から来ています。羅城門というのは羅城に設けられた門という意味です。羅城というのは大きな城の城壁という意味だと言います。中国では正門にはそれぞれ国有の名前が存在します。洛陽の正門は宣陽門(北魏)、定鼎門(随・唐)、長安の場合は明徳門でした。日本では形式を踏襲し門を設けただけなので、固有名詞がないのはそれほど重要視していなかったということでしょう。(資料4)

なぜなら、正面七間(九間説もあります)、奥行二間の重層門を造り、その両側に筑地塀が作られています。しかし、これはある程度の長さまでで、羅城門を引き立たせる役割の長さまでであり、平安京を囲う築地塀を作ったわけではなかったそうです。形式だけ整えたということのようです。そんな位置づけだったのです。
「『寛平御遺誡』に桓武天皇が建設を見回り高さを五寸低くするように命じたが、大工が実行しなかったとする。弘仁7年(816)に暴風雨で倒壊し、再建後、天元3年(980)にも倒壊し、再建されなかった。礎石は藤原道長建立の法成寺に転用された。」という結果になります。(資料3)1019年の藤原道長の発願による法成寺の建設が着手されたときの出来事として、『小右記』に「或いは宮中諸司の石、神泉苑門ならびに乾臨閣の石を取り、或いは坊門・羅城門・左右京職・寺々の石を取る」という記載があるそうです。(資料4)

「本来はこの門は、外国からの使臣のためのものだった。むろん日本から外国に出ていく場合もこの門をくぐったが、海外からの訪問者に平安京の威容を弥山がために建設されたといっても過言ではない」(資料4)というものだったのです。洛陽や長安のように都市が完全に高い城壁で囲われて門以外には侵入できない構造ならば、正門の意義も大きいです。しかし、平安京の場合、どこからでも都に入れました。そういう状態だったから、逆に豊臣秀吉が「御土居」を築くという都市改造計画の発想と実行になったのでしょう。

遣唐使が廃止され、渤海や新羅などからの公式の外国使臣の来日がなくなれば、羅城門は無用の長物です。羅城門の消滅は、律令体制の崩壊・変質の象徴でもあります。

この羅城門は考古学的な観点からは、遺構が未発見なのだそうです。(資料5)

鳥羽作道という観点では、この羅城門跡到着で一応区切りがつきます
今回の歴史散策では、この後「西寺跡」まで足を延ばしました。
次回、この「西寺跡」をご紹介してこの探訪記を終えたいと思います。

つづく

参照資料
1) 『昭和京都名所圖會 洛南』 竹村俊則著 駸々堂 p45-49
2) ​ふたつの恋塚寺​ :「平安京探偵団」
3) 「京都の歴史散策26~鳥羽作道を歩く~」(龍谷大学の公開講座)
    (龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成の講座レジュメ))
4) 『古代の三都を歩く 平安京の風景』上田正昭監修 井上満郎著 文英堂 p120-123
5) ​羅城門 都市史05​ :「フィールド・ミュージアム・京都」
     このページは「羅城門」解説として大変参考になります。

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
松永貞徳​ :ウィキペディア 
松永貞德​ :「weblio 辞書」 
松永貞德の句​ :「俳句案内」 
吉祥院天満宮(吉祥院の天神さん)​ :「京都観光Navi」 
矢取地蔵(京都市南区)​ ふるさと昔語り :「京都新聞」 
守敏​ :ウィキペディア
空海の目利き人​ 菊池 寛  :「エンサイクロメディア空海」 
兜跋毘沙門天立像 → ​東寺宝物館​ ホームページ
 トップページの一番下に、羅城門の楼上で、都を監視していたというこの仏像の写真が載っています。
 
  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2018.01.08 23:08:09
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