2018/04/24(火)20:41
観照 京都国立博物館 特別展 池大雅 -1 案内板・PRチラシ・図録とともに
これは七条通に面して、受付所の横にある特別展「池大雅」の案内板です。
この掲示に、いくつかの情報が盛り込まれています。
池大雅が文人画家と称され、書と南画に才能を発揮した人ということは知っていました。平成10年(1998)秋に、京都文化博物館開館十周年記念特別展「京(みやこ)の絵師は百花繚乱」が開催されました。「『平安人物志』にみる江戸時代の京都画壇」という副題が付いていました。鑑賞した後で購入した図録があります。
この時の企画は京の絵師の作品をオンパレードで展示するというまさに百花繚乱の作品展示でした。
改めて手許の図録を開いてみますと、この時に展示されていた池大雅の作品は3点、池大雅と池玉瀾の共作が1点、池玉瀾の作品が1点でした。
この時の展示作品と今回の展示期間中との関連を調べてみました。次の通りです。
薫石図 掛幅・一幅 紙本墨画 No.77 後期
高士訪隠図 屏風・六曲一双 No.67 前期 重要文化財
この作品、1998年時点では重文の表記なし
柳下童子図 屏風・八曲一双 重要文化財 N0.150 通期
山水図 掛幅・二幅 紙本墨画淡彩 大雅と玉瀾が各一幅描く 展示なし
山水図 扇・一柄 紙本墨画 池玉瀾筆 展示なし
今回は、前期・後期の展示替え予定を前提で、会場で入手した一覧表には総数162点が列挙されています。それでも、他にまだまだ池大雅の作品があるということでしょう。
しかし、この案内板に「85年ぶりの大回顧展」と明記しています。普段はそれほど池大雅の作品に数多く接する機会はないということです。私自身も上掲の記念特別展の時を除くと、京博の通常展示でいくつか見た位です。かつては「池大雅美術館」という私設美術館がありましたが、2014年に閉館となり、京都府に作品が寄贈されたそうです。今回の出展一覧や図録には、所蔵者が「京都府(池大雅美術館コレクション)」と表記されています。
そういう意味では、今回の特別展は得がたい機会になるかもしれません。
もう一点、今回の特別展では、池玉瀾という画家名称の表記ではなく、旧姓により「徳山玉瀾」と表記されていることに気づきました。なぜなのでしょうか。
さらに、今回知って驚いたのは池大雅が日本各地を訪れている「旅の画家」でもあったことです。「天衣無縫の旅の画家」というキャッチフレーズが使われています。
これは今なら観光案内所や駅、デパートなどで入手できるPRチラシです。
このチラシにその一例の絵が載っています。切り出して引用します。
「浅間山真景図」と題する紙本墨画淡彩の一幅です。実際に浅間山に登ってスケッチした経験を基に制作したと考えられているそうです。右前景に浅間山を大きく描き、雲海の間から見える麓を描くとともに、浅間山から望む富士山や筑波を雲海の先に描いています。
これは会場では第5章「旅する画家-日本の風景を描く」というセクションに展示されています。
「山岳紀行図屏風」が通期で出展されています。これは宝暦10年(1760)38歳の大雅が、友人の高芙容・韓天寿とともに白山・立山・富士山を踏破したときの記録を屏風に貼付したものです。登山し実見した山の姿を墨画で記録し、読めませんが細かなメモ書きをしているのです。文人画家という勝手な思い込みから、大雅がそんな行動力を持つ画家だったことにおどろかされました。この山岳紀行の中に、浅間山に登った際のスケッチも含まれているそうです。立山連峰や妙高山のスケッチははっきりと確認できました。
上掲案内板に開催期間を記載した円の中にちょっとマンガチックな人物図が載っています。わざわざ案内板の中にこのための絵を描くことはないだろう。どんな絵から抽出したのだろうか、と思っていました。この人物は、三熊思孝が描いた池大雅像なのです。顔の周囲に紐が見えるのは、萎烏帽子らしきものを被って顎のところで結んでいるようです。この顔をみていると、大雅はどこかとぼけたような剽軽なところがあった人物のような印象を受けます。これは、大雅・涌蓮・売茶翁の3人をそれぞれ描いた三幅対の中にあります。この3人は寛政2年(1790)に出版された伴藁蹊著『近世畸人伝』に登場しています。(資料1)
そして、この七条通に面して掲げられた案内板に使われている絵は、通期で展示されている重要文化財の「洞庭赤壁図巻」に描かれた絵の左半分くらいになります。中国の名勝地である洞庭湖と赤壁を一望のもとに俯瞰的に描いたもので、明和8年(1771)、大雅49歳のときの作品(絹本着色)だとか。
脇道に逸れます。手許にある少し詳しい日本史の学習参考書を参照してみました。江戸時代の「化政文化」の説明の中に、「化政美術」の見出しがあります。喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川(安藤)広重などの浮世絵師の名前を列挙し、少し説明した後に、次のような文章で説明があります。
「従来からの絵画では、狩野派・土佐派が行き詰まりをみせたが、18世紀半ば以降に明・清の南画の影響を受けた文人画(南画)と呼ばれる画風がおこり、池大雅(1723~76)と与謝蕪村の合作『十便十宜図』が代表作である。この画風は化政期以降、江戸の谷文晁(1763~1840)、その門人で豊後の田能村竹田(1777~1835)、渡辺崋山が出て全盛期を迎えた」と説明しています。(資料2)
高校用日本史学習参考書の比較的詳しいものでも、通史レベルで池大雅の事を学ぶのは、文人画(南画)の代表画家という知識だけです。その画風を如何に学んだのかなど皆目分かりません。そこまでは知る必要がないのかも・・・・・。
今回、その部分がこの大回顧展で理解できました。
第2章「中国絵画、画譜に学ぶ」というセクションがあり、その種あかしがされていたのです。
才能豊かな池大雅は、若き日に中国から伝来した『芥子園画伝』、『八種画譜』などの中国の画譜類から画法を学んだそうです。これらの書物が展示されています。いわば絵手本としての基本絵の事例掲載ばかりでなく絵画技法や画論にも触れているこれら画学書から新風の画法を見て学んだのです。勿論、同時に当時の中国の画家が描いた掛幅なども数多く輸入されてきていて、それらを見て学ぶということだったのでしょう。
中国・清時代(17~18世紀)の李珩(りこう)筆「腕底煙霞帖」(1帖)が展示されています。山岳や崖、樹木の表現などの描法を学び取り、かつ中国の風景というもののイメージを形成していったのでしょう。さらに様々な中国の詩や書物が伝える風景・風土の記述が、中国の風景を描く上でイメージの肉づけとして活用されて行ったのだろうと想像します。
この「洞庭赤壁図巻」もそんな経緯を経た作品なのでしょう。
図録を読むと、大雅はこの作品を制作するにあたり、揚爾曾編『新鐫海内奇観』(万暦37年・1609刊)を参照していたことや、湖面の水紋を描くために大雅が琵琶湖へ何度もでかけたゆたう水の様子を観察しその成果を取り入れていたというようなことが解説されています。(資料1)
案内板から部分図を切り出してみました。
この部分図からでも、俯瞰的にとらえた山水景であることがわかります。大雅は「金碧青緑山水の画法によって描いている」そうです。明和8年(1771)、大雅49歳の頃の作品で、晩年の代表作の一つになるとか。(資料1)
入場券の半券
当日購入した図録の表紙と裏表紙です。
これらは同じ屏風絵の部分図が使われています。
上掲のチラシから全体図を引用すると、六曲一隻の屏風絵だということがわかるでしょう。これも重要文化財に指定されています。『瀟湘勝概図屏風』です。中国湖南省にある洞庭湖周辺の有名な「瀟湘八景」を主題とした作品です。
浮世絵に描かれて有名な「近江八景」も、そのもとはこの「瀟湘八景」にあり、それになぞらえて琵琶湖周辺の名勝地をあてはめたものです。
瀟湘八景とは、遠浦帰帆・瀟湘夜雨・漁村夕照・洞庭秋月・平沙落雁・山市晴嵐・煙雨晩鐘・江天暮雪の八景です。どの箇所にどの景色を組み込んでいるか、実物を前に考えてみるのもよいかもしれません。
19日は、まだ始まったばかりで、平日の午後でもあったので静かにゆっくりと展示会場を見て回ることができました。
大雅は淡彩による点描表現を巧みに駆使して明るい雰囲気に溢れた瀟湘八景を描き込んでいます。
この作品は、第7章「天才、本領発揮-大雅芸術の完成」という最後のセクションで通期展示されます。
上記の引用文にある『十便十宜図』は国宝です。最後のセクションに通期で展示されるのですが、場面替えが行われるそうです。現在この作品は川端康成記念會が所蔵されているものだとか。
十便図を大雅、十宜図を蕪村が担当して、各一帖の画帖にした作品です。
明末清初の時期を生きた李漁という劇作家として知られた人が詠んだ「伊園十便十二宜詩」(実際は十宜詩)を題材にしたものといいます。李漁は別荘伊園での生活の便利さを詩に詠んだのです。(資料1)
私が鑑賞した折は、記憶が正しければ、大雅筆「課農便」、蕪村筆「宜夏」だったと思います。
つづく
参照資料
1) 図録『特別展 池大雅 天衣無縫の旅の作家』
2) 『詳説 日本史研究』 五味文彦・高埜利彦・鳥海靖 編 山川出版社 p302
補遺
池大雅 :「京都大学電子図書館 貴重資料画像」
池大雅 :ウィキペディア
池大雅 :「コトバンク」
芥子園画伝 :「コトバンク」
瀟湘八景 :ウィキペディア
瀟湘八景 :「e國寶」
瀟湘八景図を楽しむ :「京都国立博物館」
瀟湘八景 :「Bai du 百科」
瀟湘八景図 雪舟画 :「古典籍総合データベース」
琵琶湖八景・近江八景 :「滋賀県」
近江八景 :ウィキペディア
李漁 :ウィキペディア
李漁 :「コトバンク」
李漁『十便十宜』詩・注解 :「漢文の小窓」
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