3487712 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

遊心六中記

遊心六中記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Category

Comments

Jobim@ Re:観照 京都市伏見区  桜狩:乃木神社、伏見桃山陵、山科川(04/13) 満開の桜、良い時期に桜狩りをされました…
茲愉有人@ Re[1]:観照 京都・岡崎 琵琶湖疏水沿いの桜満開(04/07) Jobimさんへ 千里万博公園に行かれました…
Jobim@ Re:観照 京都・岡崎 琵琶湖疏水沿いの桜満開(04/07) 京都の満開の桜、きれいですね なかでも白…
茲愉有人@ Re[1]:スポット探訪 京都・嵯峨  車折神社 -1 まずは神社の社殿へ(04/04) Jobimさんへ 神社に掲示の「由緒」の記載…

Archives

Favorite Blog

まだ登録されていません
2019.09.02
XML
カテゴリ:探訪
​​​​​​​  本堂(真如堂)の正面から南側に向かいます。まず目に止まったのが、この等身大の石造地蔵菩薩立像です。

その南に「三千佛堂」と記された扁額が掲げられたお堂が西面して建っています。

正面の格子戸の一部が参拝用にガラス格子にしてあります。そこから拝見した堂内右半分の景色です。
小さな如来像が奉納されています。
 
三千佛堂の南隣りに、大日堂の小祠があり、斜め前に「大日如来」と刻された石標が立っています。

 
三千仏堂から西方向に振り返ると木立の先に鐘楼が見えます。
帰宅後、手許の本に掲載の真如堂境内図をみると、この鐘楼の西方向、三重塔からみれば南方向に「懸井観音堂」が描かれています。今回は未訪となりました。

 
         
三千仏堂前の通路の先は、墓地の入口になっていて境界塀で仕切られています。通路西側の塀際に基壇に「身代観音」と刻した石像が建立されています。
墓地の入口に、大日如来と観音菩薩が祀られていることになります。

墓地に入りますと、比較的近い距離に覆屋が見えます。この覆屋の所まで行ってみました。
 
      
     そこには石造観音菩薩坐像が祀られていました。

三千仏堂の北側から本堂の南側境内に進みます。
墓地との境界塀沿いに、様々な諸仏が祀られています。
 まず目にとまるのがこの拝所です。
       
      拝所の先には、石造蓮華座上に銅製阿弥陀如来坐像が鎮座します。
      真如堂のホームページでは、「阿弥陀如来露仏」と称されています。

「市の聖」として生きた木食正禅養阿上人が1719(享保4)年に建立されたと言います。
そして、この正禅上人が「洛陽六阿弥陀めぐり」を発願したと伝えられているそうです。功徳日参りを3年3ヶ月間続けると、無病息災、家運隆盛、祈願成就のご利益があると。(資料1)
 
序でに、「洛陽六阿弥陀巡り」とは次の6阿弥陀になります。(資料2)
 ①真如堂:うなずきの阿弥陀 ②永観堂:見返り阿弥陀 ③清水寺阿弥陀堂:惠心僧都作
 ④安祥院(木食寺):木食養阿作 ⑤安養寺:逆蓮華の阿弥陀 ⑥誓願寺:阿弥陀如来坐像

尚、補遺に掲げた「木食正禅上人と阿弥陀如来露仏 - 境内霊譚奇談集Ⅸ」のご一読をお薦めします。木食正禅上人のことをネット検索していてこの記事に出会いました。正禅上人略伝を学べます。

 
阿弥陀如来露仏の西側にこの石塔があります。浮彫の蓮華座上に六字名号を刻したものが二段の蓮華座基礎上に立っています。蓮華座に挟まれた塔身には、「奉納大乗妙典六十六部」と刻されています。浄元と称する僧が建立したようです。奉納記念碑の類いになるのでしょうか。
 
  
阿弥陀如来露仏の東側には、「南無阿弥陀仏 戒名墓」と刻された円柱で塔婆形の石碑が立っていて、その南には石仏が集められています。大半が頭部を見ますと如来形の石仏です。

 
少し東に歩むと、基壇上の石仏群があります。
      
雛段状に石仏が整然と並べられています。中央最上段に「三界萬霊塔」と刻された石碑が建てられています。「三界(さんがい)」とは、「生死流転する迷いの世界を3段階に分けたもので、欲界・色界・無色界の3」(『新・仏教辞典 増補』中村元編・誠信書房)を言います。
  
お地蔵さまの石像を三界萬霊塔の左側に見つけました。ここも殆どが如来形の石仏です。
 
 こちらの石仏群の前方にある「たてかわ桜」 
 
案内板が設置されています。徳川家光の乳母である春日局(1579-1643)が、父斎藤内蔵介利三(1534-1582)の菩提を弔うために植えたものだそうです。
染井吉野の樹皮が横向けに走るのに対し、樹皮が縦に走るという特徴から、たてかわという名があるとか。江戸彼岸系の品種と記されています。(案内板より)

斎藤利三は明智光秀の重臣。本能寺の変後、六条河原で斬首され、首が晒されます。その首を交友のあった東陽坊長盛(当寺塔頭東陽院の開祖)と海北友松が奪って持ち帰り真如堂に葬ったという経緯があるのです。「春日局が当時主流だった山桜や他の品種ではなく、江戸彼岸系という桜を選ばれたのは、この種が長寿だったからかも知れません」と記されています。
お手植えから300年余経て大木となったたてかわ桜は、伊勢湾台風(1959)で折れてしまったそうですが、折れた幹から育つ芽があり、現在に至るそうです。水上勉が小説『桜守』の中で、この桜のことに触れていることも記されています。
たてかわ桜は、染井吉野より3日ほど早く咲くと言います。(案内板より)

基壇上石仏群の少し東に、墓地への通路があります。この通路の先に、
 
簡素な表示があります。
     
           斎藤利三の墓             海北友松の墓
海北友松は好きな絵師の一人でもあり、盂蘭盆の時期に参拝できたのは幸いでした。

余談です。惜しくも逝去しましたが作家葉室麟が『黒龍賦』という海北友松を主軸にした伝記風歴史小説を書いています。その中に斎藤利三との出会い、交友も描き込まれています。真如堂を訪れてみて、斎藤利三と海北友松の墓が隣り合っていることを初めて知りました。葉室麟も『黒龍賦』を著すにあたり、多分この墓地を訪れていたことでしょう。
蛇足ですが、この小説を読んだ感想を、もう一つの拙ブログでまとめています。
こちらからご覧いただけるとうれしいです。
戻ります。

  
墓地から戻り、さらに東に歩を進めると、萬霊堂(左)と経蔵(右)が見えます。その傍を通ると、道標がありました。北に回り込む通路は白川道に抜けるという表示です。つまり、裏(東)参道です。
 
境内地を出て、参道石段を降り振り返った景色です。
 
      
東山の山並みを遠望すると、如意が嶽の「大」の字が斜めから目の前に見えます。
 
坂道を下ると、この道標が立っています。
白川道に出ると、市バスの最寄りのバス停は「真如堂前」です。

これでご紹介を終わります。
今回の探訪でも課題が残りました。いずれ再訪してみたいと思っています。

ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1) ​真如堂​ ホームページ
2) ​洛陽六阿弥陀めぐり​ :「京都通百科事典」

補遺
木食正禅上人と阿弥陀如来露仏 - 境内霊譚奇談集Ⅸ​ :「苦沙彌のインターネット僧坊」
安祥院​  :「京都観光Navi」
春日局​  :「コトバンク」
春日局について調べてみた「逆賊の娘から権力の頂点へ!」​ :「草の実堂」
大奥をつくった春日局。男色好みの家光を女性に目覚めさせた功績はあっぱれ​:「Japaaan」
斎藤利三​ :「コトバンク」
斎藤利三がキーマン?~本能寺の変について考えてみた​ :「WEB歴史街道」
東陽坊長盛​  :「コトバンク」
薄茶の先達東陽坊長盛の墓・真如堂​  :「京都観光旅行のあれこれ」
東陽坊釜​  :「茶道入門」
京都・建仁寺 東陽坊の月釜​  :「古都」
三界萬霊​  :「Flying Deity Tobifudo」
三界萬霊塔とは​ :「お墓のおかだ」

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

スポット探訪 京都・洛東 真如堂(真正極楽寺) -1 三重塔・鎌倉地蔵尊・千躰地蔵尊堂・新長谷寺ほか へ
スポット探訪 京都・洛東 真如堂(真正極楽寺) -2 本堂(真如堂)・赤崎辨天・京都映画誕生の碑・伝教大師巡錫之像ほか へ



​​​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2019.09.02 20:49:35
コメント(2) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


Re:スポット探訪 京都・洛東 真如堂(真正極楽寺) -3 三千仏堂・阿弥陀如来露仏・たてかわ桜・海北友松と斎藤利三の墓ほか(09/02)   Jobim さん
落陽阿弥陀巡りというのがあるんですか、知りませんでした
僕の檀那寺のバスツアーの候補に提案してみようかな・・・
ハイキング気分で阿弥陀さまを巡るのも楽しいかも知れませんね

小さな石仏がたくさん並んでいるところがありますが、この如来形の石仏は阿弥陀さんなのでしょうか、それとも如来形のお地蔵さんなんでしょうか
基壇がしっかりと整えられている所を見ると、無造作に集められたのでは無くて、大事に祀られている感じがします

最後の石段と坂道、僕が初めて真如堂に行ったのはこの道からでした
すごくさびれたところにある寺だな~と思ったら、大きな伽藍でビックリしました (2019.09.12 08:47:58)

Re: 洛陽六阿弥陀巡り&石仏   茲愉有人 さん
Jobim さん:

洛陽六阿弥陀巡りというのは、私も探訪後に整理していて知った事柄です。いずれ未訪のお寺を巡ってみたいなと思っています。

如来形の石仏はどのように受け止められているのか私もわかりません。
如来形の石仏が作られた当初は、阿弥陀如来信仰から作られたものなのでしょう。その石仏が、そのまま阿弥陀如来信仰として継続されている場合があるだろうと思います。

一方、如来形の石仏をそのまま地蔵菩薩信仰に転用している場合があるということを史跡探訪の講座で聞いたことがあります。
如来形の石仏に前掛け(よだれかけ)を付けてあって祀られている場合は、多分お地蔵さまという認識で祀られているのでしょう。

さて、ここの場合は、いかがでしょうか・・・・・。
(お寺の方に質問・確認することはしていませんので不詳です)

石仏を一見して、お地蔵さまとみてしまう人が多いように思います。石仏の頭部の状態まで細かく意識することは少ないのでは・・・・。そんな気がします。 (2019.09.12 17:21:06)


© Rakuten Group, Inc.