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遊心六中記

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Jobim3のブログ Jobim3さん
2020.03.10
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カテゴリ:探訪
​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​  
酬恩庵(一休寺)の総門前から始めます。酬恩庵は薪と称する地域にあります。所在地で言えば、薪里ノ内102で、酬恩庵は西が高くなる傾斜地にあります。左の景色は総門に向かい右側(西側)の石垣です。北面の石垣から西方向への上りをイメージしていただけるでしょう。

酬恩庵の前、北側は住宅地になっています。北東方向のエリアから薪遺跡」が発掘されています。
この辺りは古くから人々が定住し、開発されてきたようです。
縄文時代:中期の竪穴式住居や土坑を検出し、近畿地方最大規模の石棒が出土した。
古墳時代:古墳や竪穴式住居跡を検出。古墳の周濠から円筒埴輪や盾形・家形・甲冑形埴輪が出土した。古墳は奈良時代に削平され埋め立てられている。つまり、古墳は消滅。
奈良時代:掘立柱建物や土坑を検出し、銅製帯金具や円面硯が出土した。
13世紀 :大量のカワラケ皿や外来青磁・白磁、瀬戸内海や鎌倉で使用された石鍋などが出土している。薪荘を管理する石清水八幡の神人の館があった可能性がある。
と言います。(資料1)

石垣の前に立つ右の​石標​が目にとまりました。「能楽発祥の碑 → 西100米」と刻され、右肩に「薪神社」とあります。

後で調べていて知ったのですが、酬恩庵総門前の道路の北側に「薪能金春芝旧跡」の碑が建立されています。金春禅竹(1405~1470)がこの付近で、一休禅師に猿楽の能を演じ観覧に供したと伝えられていることによるそうです。また、応仁の乱で難を逃れて一休禅師が酬恩庵に居たとき、禅竹もまた薪の多福庵に移り二人の間に交流があったとされるとか。(資料2)

 
酬恩庵前の西方向への道が、薪神社への参道でもあるようです。
         


 
緩やかな坂道を上りきると、薪神社の境内地です。この境内地は通過点となり、神社の本殿までは行きませんでした。
 
 
                         この駒札が設置されています。
明治40年(1907)に、この地にあった天神社と酬恩庵(一休寺)の地主神だった八幡宮が合併されて、「薪神社」となったそうです。(資料1,駒札)
そのため、祭神は天津彦根命(天照大神の子)と応神天皇が祀られているとか。
天神社の時代には、神宮寺として光通寺があったそうですが、明治初めの神仏分離令で廃寺となり、この寺の仏像等は「西光寺」に移されたそうです。(駒札より)
 
境内地に「能楽発祥の碑」が建立されています。
台座の岩(右横)に碑文が刻されています。
「能楽は薪能即ち金春能に初まり 次に宝生能 観世能は大住に 金剛能は大和に発祥した 
                     昭和六十一年十一月文化日 文学博士 志賀 剛」

古くは神事芸能として出発した猿楽・田楽から、平安時代以降に演劇・歌舞を中心に猿楽能・田楽能が発展します。各地で競い合うように演じられたようです。​15世紀以降は、大和猿楽四座が急速に他のすべてを圧し去ることに​なります。室町時代に結城座(後の観世座)から出た観阿弥・世阿弥親子が将軍足利義満に見出され、将軍家の保護をうける過程で芸術性の高い能(能楽)の確立へと発展していくことになります。その結果、能は北山文化を代表する芸能になります。(資料3)

薪能は元は神事能の一つです。「毎年、陰暦二月、奈良興福寺の修二会で演じられ、室町時代には大和四座が勤めた。明治維新で廃絶したが、第二次大戦後復活。近年は、夏の夜、篝火をたいて行う各地の野外能もこうよばれる」(『日本語大辞典』講談社)
大和四座とは、興福寺を本所とした観世座(結城座)、宝生座(外山座)、金春座(円満井座)、金剛座(坂戸座)を言います。結城座の興隆とともに他の三座も栄えていきます。江戸時代にはこの四座が公認された流派となり、後に喜多流が加えられ5つの流派となります。現在もこの5流派が能を演じています。(資料3,4)

脇道に逸れます。
以前に、京田辺市の大住を探訪しました。​月読神社の境内に「宝生座発祥の地」の碑が建立されています。こちらからご覧ください。

また、ネット検索で調べてみて知ったことをご紹介します。(資料5)
 薪能金春発祥地碑 奈良県奈良市登大路町  興福寺境内
 宝生流発祥之地碑 奈良県桜井市大字外山  宗像神社手前の小公園内
 観世座発祥の碑  京田辺市大住虚空藏谷
 観世発祥之地碑  奈良県磯城郡川西町結崎 面塚公園内
 金剛流発祥之地碑 奈良県生駒郡斑鳩町龍田1丁目 龍田神社境内

元に戻ります。
 
薪神社の北方向に位置する西光寺に向かいます。
 
西光寺は山号を霊松山と称し、浄土宗のお寺です。1575年(天正3)に西光比丘(さいこうびく)により中興開山されたと伝わるそうです。(資料1,6)
 本堂は1933年に再建。(資料6)
上記の光通寺が廃寺になるのに伴い、木造十一面観音立像・不動明王像・毘沙門天立像他が当寺に遷されたそうです。今回堂内は拝見していません。(資料1)
          
      直接の探訪目的は、境内墓地の一隅に置かれたこの石造層塔を拝見することでした。
  
​初層の塔身には金剛界四仏の種子が彫り込まれています。​
金剛界四仏とは、阿弥陀如来(西)、阿閦(あしゅく)如来(東)、不空成就如来(北)、宝生如来(南)です。(資料7)
 
13世紀に建立された層塔と推定されています。(資料1)

 
墓地には無縁墓が集められてピラミッド状に置かれた中央の高みに石造地蔵菩薩立像が安置されているのが目に止まりました。

 
この探訪最後の目的地に向かう時に目に止まった「甘南備山案内板」です。
この案内板の掲示地点から甘南備山(南西方向)-この図では右斜め上-の山頂まで2kmと表記されています。
マゼンタ色の丸を追記した辺りに西光寺が位置します。
最後の目的地は、この案内板からほど近いところでした。
 
薪小学校の校門傍がその最終探訪地点です
 
校門のコンクリート壁のすぐ内側にその目印となる石標が立っています。
 
この小学校が建つ小高い場所が「堀切古墳群跡」でした。薪神社の南側に位置します。
 
石標の背後にこの駒札が立っています。
古墳時代後期から終末期(6世紀後半~7世紀前半)の円墳10基、横穴墓10基からなる古墳群跡だそうです。
1号墳は直径22mの円墳で主体部は横穴式石室。床面に排水溝があり、礫床から家形石棺破片が出土したそうです。7号墳からは顔に直弧文の入れ墨がある人物埴輪が出土。11号墳は直径11m以上の円墳で、こちらも横穴式石室。土師質亀甲形陶棺の破片がみつかっていると言います。(資料1)
駒札には、横穴墓から出土した凝灰岩製の組合式家形石棺は、現在市立中央公民館裏庭に展示されている旨記されています。

薪小学校と東に位置する酬恩庵(一休寺)との間から南にかけての丘陵地は今では住宅地域が広がり、一休ケ丘と称されています。

この住宅地域のメインロードを南に下り、左折して道沿いに東に進みます。府道22号との交差点、尼ヶ池の側を通り、甘南備寺に向かう時に天井川の手前で見たお地蔵さまの小祠のところに戻ってきました。
 
田辺西垣内の一隅です。ここからJR京田辺駅まではあと少しの距離です。

この探訪の田辺・薪エリアの​地図(Mapion)はこちらからご覧ください。

これでご紹介を終わります。
ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1) 龍谷大学REC「京都の歴史散策38 ~田辺を歩く~」 講座レジュメ
  (元龍谷大学非常勤講師 松波宏隆氏作成  2020.2.27)
2) ​薪能金春芝旧跡​ :「京田辺道中記」
3) 『詳説日本史研究』 五味・高埜・鳥飼編  山川出版社 p197
4) 『謡曲集 上』日本古典文学大系 岩波書店 p5
5) ​発祥の地コレクション​ ホームページ
6) ​西光寺(京都府京田辺市)​  :「京都風光」
7) 『図説歴史散歩事典』 井上光貞監修 山川出版社 p339

補遺
京田辺市​ ホームページ
  ​観光パンフレット​  
京田辺市内の指定文化財
薪遺跡​ 遺跡ギャラリー :「京都府埋蔵文化財調査研究センター」
薪遺跡発掘調査概報​   :「全国遺跡報告総覧」
堀切遺跡発掘調査報告書​ :「全国遺跡報告総覧」
薪神社​  :「京田辺道中記」
薪神社(京田辺)​ :「戸原のトップページ」
金春禅竹​ :ウィキペディア
金春禅竹​ :「コトバンク」
円満井座(えんまんいざ)​ :「コトバンク」
外山座(とびざ)​     :「コトバンク」
結崎座(ゆうざきざ)​   :「コトバンク」
坂戸座(さかどざ)​    :「コトバンク」
喜多流​  :ウィキペディア
金春円満井会​ ホームページ
宝生会​ ホームページ
観世流 KANZE.net​   ホームページ
金剛能楽堂​ ホームページ
喜多能楽堂​ ホームページ

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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  4回のシリーズでご紹介。その第3回に上記の月読神社を掲載しています。


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Last updated  2020.03.10 11:10:30
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