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またまた幼い命が犠牲になった事件が世間を騒がせています。
疎外感。 言葉のつたない外国人でなくとも、私なんて常に疎外感がまとわりついています。どこにいても自分の心落ち着く居場所がないんです。しいて言えば心から安心できるのは自分の家の中だけです。一歩外に出れば、エイリアンとしての自分の中にある疎外感・孤独感との戦いです。 すぐに誰とでも言葉を交わしうちとけていく人を見ていると、とてもうらやましく思います。特に、子供ができてから、「自分と相手」の世界ではなく、子供という存在を絡めた人間関係を展開していくにあたって、かなり苦痛を感じるものがあります。なんででしょうねぇ・・・・。そう。少ないながらも友達には恵まれていると思うので、いいのですけど、それは私がまだ私だけの存在であった頃に得られた友達なのです。 いわゆるママ友というのは、個対個の付き合いの前に子供たちという存在があって、その壁を突き破ってまでの付き合いをする人にまだめぐり合えていないからなのでしょうか。それとも私の努力が足りないから?ただ、いつどういうきっかけで、もしくはどういうときにどうやって、その壁を乗り越えた付き合いに発展できるのか、私にはわからない。その辺が苦しいんですねきっと。ママ友の中から自分の友人といえる存在を見つけられなきゃなくてもいいと思いつつも、輪に入れない自分がむなしいと思う自分もいたりして、その辺で葛藤がね。 まぁ、きっと、これも子供が本当に幼いうちだけなのだろうと、腹をくくって耐えていますが、その辺の苦しさに、耐えられなかったのかなぁ・・・。 やったことはとてもとても許されることでもないし、とても理解に苦しむけれど、幼稚園ママのつきあい、その中での疎外感が動機だとしたら・・・・。 とりとめなくなってきました。 なんだか心がざわざわしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月20日 22時51分59秒
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