万両役者の扇
江戸森田座の当代随一の人気役者と噂される今村扇五郎。扇五郎の女房お栄、饅頭売り、衣装仕立て師、木戸芸者、鬘師ら、彼の舞台に魅せられた者たちは運命を狂わせてゆく。若手役者門田市之助の水死体が上がり、下手人として扇五郎に疑惑の目が向けられた矢先、扇五郎自身が殺害される事件が起きた。その遺体の首は犬に食いちぎられ、何処にも見当たらなかった。お栄はひとり、扇五郎の死の真相に迫ろうとするが......誰よりも芝居の魔に魅せられ、芸に憑りつかれていたのは扇五郎自身だったのではないか。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー江戸の芝居小屋風俗を背景に、芸と狂気、天才と凡人の通底するテーマを活写した本編の出だしから胸躍る心地で読み始めた。けれど次第に調子をつけ過ぎた文体に付き合うのに胃もたれを覚える。江戸前の語り口を気取ってのいるのかは知らないが、喋り過ぎは粋じゃない。時代小説としてなら物語の着想と展開は興趣に富み、人物の書き分けも巧みな筆使いで面白いのだが、ミステリとしては事件と謎の描き方が筆足らずと感じた。事件と謎を精緻に描けば、登場人物たちの人間性の謎も更に深く抉れたのではないか。ちなみに、扇五郎殺しの真相もあらかた想定の範囲内に収まるオチでこれも物足りない。役者に一世一代の芝居をさせて幕を閉じたなら、もっとアイディアを捻って驚かせてほしかった。惜しい。