2004/07/21(水)18:53
ありえたかもしれない未来を…(輸入盤CD規制)
今日の東京新聞・夕刊に、作家の倉阪鬼一郎氏が輸入盤CD規制問題について、
「ありえたかもしれない未来を…」というタイトルでコラムを書かれています。
(ホラー小説の大家だそうです。)
「著作権法の一部を改正する法律」は原案通り可決してしまいましたが、
「リスナーを無視した権利行使に走らせぬよう、今後もネットの言論は
重要な監視の役割を果たしていくに違いない」と、倉阪氏は観測しています。
確かにこの法案をめぐっては「2ちゃん」やブログに代表されるネット言論が、
大きな力を持ちうることが証明されたことは私も実感しました。
倉坂氏は続けて「こういうパラレルワールドを考えてみよう」と前置きして、
一つは従来どおり種々雑多な輸入盤が廉価で容易に入手できる世界、
もう一つは改正著作権法施行後の世界(つまり来年1月1日以降の状況です)を、
考えてみてほしいと問題を提起しています。
で、後者がどのような姿になるか。
一音楽ファンとしては、輸入盤の継続的な供給方針を表明している
大手小売店や通販業者・輸入業者などの努力に期待するしかないが、
価格面を含めて選択肢がかなり狭めれれてしまうだろうと、倉阪氏は懸念を表明しています。
選択肢が減れば、「ありえたかもしれない(音楽との)出会い」も減少する。
貧乏な修行時代に安い洋楽CDを浴びるほど聴いて、成功を手にしていった
ミュージシャンが日本にはどれだけいるだろうか、と。
こうしてみると、今回の法改正は「長いスパンで見れば、音楽産業が
自分で自分の首を絞めているように思われる」と倉阪氏は主張しています。
私はこの作家について詳しく存じ上げていませんが、
年齢が近いせいか、その主張にとても共感しました。
感受性の豊かな時代には、それこそコピーでもダビングでもなんでもいいから、
いろいろな音楽を聴いて感性を磨くことが大事だと思います。
青春時代に聴いた一枚のレコード(謎)によって、
良くも悪しくも人生を変えられた経験を持つ者として、
著作権者の権利保護という名目で利権を追求した人々は、
音楽文化の未来に禍根を残してしまったということを強調しておきたいです。
ちょっと今日はシリアスでした…(笑)。