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明日夢みて

明日夢みて

アンのプロフィール/明日がくるかぎり



モリーとアンは、2005年3月(アン)と8月(モリー)に

それぞれ虹の橋に旅立ちました。

沢山の皆さまの温かいお言葉と応援を、

どうもありがとうございました。








"明日がくるかぎり"


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アンのプロフィール


がんと共に生きている猫、アメリカン・ショートヘアーのアンが、残された日々を、精一杯楽しんで過ごせるように願って書いている、明るい介護日記です。(出来るだけ明るく前向きでありたい。)余命宣告はされましたが、それでも最善を尽くして、アンが幸せのうちに生涯を終えることが出来るように、サポートして行こうと思っています。

アンに明日がくるかぎり。

・・・・・・・・・2005.2.17.記





アンのプロフィール

生年月日:1989年7月20日生
年齢:2005年2月現在で15歳と7ヶ月
性別:女の子
経緯:皮膚がんの再々発および肺転移のため、2004年7月13日に、余命2~3ヶ月との宣告。それでも何とかがんの進行を遅らせることができたのか、それほど急激に容態が悪化することなく現在に至っています。

・・・・・・・・・2005.2.17.記




★ごあいさつ★

2005年3月17日午前8時55分、アンは、永眠致しました。

15歳と7ヶ月と27日。皆さまの温かい励ましのお言葉、本当にありがとうございました。


 「 掌(て)に包む  猫の骨壷  春の雨 」  

 「 春寒や  猫の最期の  深き息 」     母 作



・・・・・・・・・2005.3.20.記










2003年まで
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ペットショップのケージで、相部屋の猫を一所懸命舐めてあげているのを見たのが出会いでした。穏やかで面倒見が良さそうだと思い、連れ帰って半年前から居たモリーの同居猫となりました。

ケージにいた期間が長かったせいか、人間と視線を合わさず人間不信の塊。また、食事も制限されていたのか、餌に対しての執着心が強く、それは今でも変わりせん。

その後、アメショ本来の人懐こさと大らかさ、野性味も出てきて、視線が合うと人間のひざに飛び乗って甘えてくるようになりました。滅多に声は出ないけれど、一応鳴き声も聞けるようになりました。

そんなアンに約3年前、大試練が訪れました。


2002.1.27.記






ある日突然、後足がぐらつき大好きな食事もしなくなりました。病院に連れていったところ、「糖尿病」と診断され即入院、ほどなく危篤状態に陥り、獣医さんからも「あとは生命力次第。」との最後通告。

治ったとしてもインスリン注射が必要で、衰えた筋肉も再生できずに寝たきりになるかもしれないと言われ、治療そのものの継続について選択を迫られました。

「多飲・多食・やせ・頻尿」など思いあたる節があったにも係わらず、猫が糖尿病になるなんて考えもしなかった責任も感じ、10日間と限定して治療を続行することにしました。


2002.1.27.記


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病状は一進一退を繰り返していましたが、治療を始めて8日目に漸く食事を口にし始め、後は寝たきりにならないよう筋肉の回復を祈るのみとなりました。

家に戻ってからは、モリーの「フーッ!!」攻撃にも屈せず、逞しい快復ぶりを発揮し、何故かインスリンも出始めたようで、糖尿病も治まり、以前の2倍以上も体重が増えてしまいました。

ただ、腎臓の機能は8~9割方落ち、再生もしないので、慢性腎不全の薬を飲んで悪化を遅らせています。もちろん、相変わらずの大食漢で、現在このようなおデブに。けんかをしても、体重差でモリーに勝つようになりました。


2002.1.27.記










2003年~2005年まで
20031230a14.jpg 2003年の夏ごろからできた背中の潰瘍が秋になって大きくなってきたので、10月に検査、11月に切除しました。

一番大きな背中の部分と、首筋、肩の部分にあった2箇所の小さなものも、ついでに切除することにしました。所要時間は30分~40分くらいで、麻酔の醒めもよく、経過良好で翌日退院しました。

12日後の抜糸を前にしたある日、急性腎不全で緊急入院し、先生の懸命の治療と、生来の生命力の強さためか、何とか一命をとりとめ、無事に家に戻ることができました。

糖尿病や急性腎不全からの生還は、そうあることではないそうで、先生もアンの生命力の強さには驚いていらっしゃるようでした。

左の写真は、手術後2ヶ月ほど経った2003年12月30日に撮ったもの。背中がまだ白い毛だけで、もちろんアメショ特有の模様も生え揃っていません。

半年ほど後には、既にアメショー特有の柄に自然に戻りましたが、手術によって、中心線がずれたため、左右対称ではなくなりました。切ないような、面白いような。


2005.3.7.記



翌年の2004年3月、手術後の4ヶ月あたりから、お腹に小さな潰瘍らしきものが再発し、腎臓の数値を考慮しながら経過を診ていましたが、ほぼ正常値に戻っていましたので、5月に入ってから、思いきって再手術に踏み切ることにしました。

小さければ小さいほど、麻酔の量も手術の所要時間も短く、軽い手術で済むとのこと。もう1箇所あった極小の気になる部分も切除をお願いしました。

どちらも小さかったので、術後の抜糸も早く、毛を刈った部分も早く元に戻りました。腎臓に負担をかけないように、術前術後の点滴も多めに慎重に行い、今回は大きな問題もなく全快しました。

写真は2004年7月中旬、アンが大好きな猫じゃらしの傍で動くのを待っているときに、モリーがちょっかいを出しに来たところです。と言っても、モリーはふんふんと匂いをかいで、通り過ぎて行ってしまうだけなのですが。アンは、辛抱強く誰かが動かしてくれるのを待っています。


2005.3.7.記


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20040716a07.jpg 術後の経過も順調で、ほっと安心していたところ、2004年の7月に右脇の下あたりに再々発、今度は皮膚ではなく筋肉に食い込んでいる少々深い場所でした。リンパにも近かったので、身体中へ転移している可能性も大でした。

手術をする場合は、筋肉ごと取ることになり、今までより大きく、生命を賭けた手術になるとのこと。2ヶ月前に手術をしたばかりでしたので、今回はさすがに躊躇しました。

とりあえず、一応再々手術も視野に入れ、レントゲンや血液検査などを行い、数日後に結果を聞くことにしました。

左の写真は、2004年の7月中旬。余命宣告された2日後に撮ったもの。アンは病院から帰ってから、何事もなかったかのように、またたびの木で遊んでいました。


2005.3.7.記



レントゲン検査の結果、数日後に両肺への転移も見つかりましたので、いずれにせよ手術は不可能。大きさは、1.5×1cmが1箇所、直径5mmくらいのものが8箇所。手の施しようもなく、残念ながら、余命2~3ヶ月との宣告を受けました。

抗がん剤や放射線治療なども検討しましたが、副作用などアンのQOLのことも考えて、医療的な措置は何もせず、家で食餌療法をしながら、様子をみることにしました。

AHCCやサメの軟骨、アガリクスは、実験で効果が出ているそうですので、強くお勧めするとのことでした。アガリクスとAHCCはほぼ効能が同じだとのことでしたので、AHCCを選びました。

右の写真は、2004年の7月中旬。宣告された2日後に撮ったものですが、アンもいつもと変わらず元気ですし、こちらもアンの命があと2~3ヶ月だという実感はまったく湧きません。

本当にいつもと同じ平和な光景です。


2005.3.7.記


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20040917ma05.jpg アンのサプリ&機能性食品
(主に、#0のカプセル詰め 1日の量)

1.抗酸化:
EMX 30ml (無味無臭なので食餌に混ぜる)、
ソリッド・ゴールド/
エクストラC(ビタミンC) 1/2錠を砕いてカプセル詰め

2.免疫力の活性化:
AHCC 0.8~1.0g(2カプセル)

3.新生血管の生成を阻害:
サメの軟骨 0.8~1.2g(2~3カプセル)

4.マルチ・ビタミン&ミネラル:
ソリッド・ゴールド/
シーミール(海草類&亜麻の種入り)、
ポーリンパワー(花粉&プロポリス入り)

ドクター・グッドペット/ゴールデン・エイジ

5.天然ステロイド&消炎剤:
ソリッド・ゴールド/
サン・ゴールド(ユッカ&アニス入り)

1.の「エクストラC」+4.+5.を混ぜて、
ギュウギュウに詰めたものを2カプセル。

基本的に、先生から勧められた機能性食品の他に、抗酸化のためのものとマルチ・ビタミン&ミネラルを組み合わせることにしました。

写真は2004年9月頃、特に容態にも変化はなく、平和な毎日を送っています。


2005.3.7.記





QOLの高い余命を少しでも長く延ばそうと、様々なサプリメントや機能性食品を試したのが功を奏したのかは分かりませんが、特にQOLが落ちることなく現在に至っています。

飲ませているものが、本当に効いているのか?何が効いているのか?それは分かりませんが、先生は「何かが効いているのでしょう。」と仰って下さっています。

2004年10月には腫瘍が破裂してしまい、包帯巻きになりましたが、出血はありません。食欲もあり、たまの追いかけっこや取っ組み合いなども問題なくこなしていました。

12月になって、少しずつ体重減少や咳などが見られるようになってきました。

2005年に入り、年齢のせいか、飲み込む力が衰えて来たので、#1か#2の大きさのカプセルに変更しました。サプリメントの量なども、アンの状態によって、多少幅を持たせています。

右の写真は2005年の2月中旬。さすがに走り回ったりすることは出来ないようですが、日々の生活に支障はありません。薬を飲んだ後と食べた後など息を止めた後に、少々息が荒くなります。それでも、ゴロゴロも言いますし、自分でグルーミングもしています。写真のように、モリーにグルーミングもさせます。


2005.3.7.記


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現在、咳は毎日出るようになり、少し動いても、息が荒くなるようになってきましたが、食欲はありますし、熟睡すると丸くなります(本当に苦しい時は、丸くなることも寝ることも出来ないそうです)。

先生も「アメショの平均年齢に近づいている。」と仰って下さり、
今までと同じような穏やかな生活を、モリーと送っています。この状態を出来るだけ長く保つことが、今私たちにがアンのために出来る最善の看護であり、精一杯のサポートだと思っています。

右の写真は2005年の2月中旬。夕方になるとどちらともなく、ファンヒーターの前に集まってきます。

2005年3月現在で、15歳と7ヶ月になりました。


2005.3.7.記



3月上旬辺りから、更に息が苦しそうになり、身体全体を使っての呼吸に変わってきました。呼吸困難を引き起こす原因にさせないために、抗生物質の薬やサプリも中止。そのせいかどうかは分かりませんが、お腹の腫瘍が徐々に大きくなってきたようだとのこと。

水や食餌なども、食べたい気持ちに変わりはないようですが、一度に沢山食べられません。息を整えながら休み休み時間をかけて食べます。それでも充分な量は食べられないので、体重は減少していきました。トイレも、入り口で用を足してしまい、間に合わないことがありました。

写真は旅立ちの前夜のお夜食を食べているアン。一口二口と食べては、息を整えるために横になって身体を休め、充分に休まったら、また身体を起こして食べ始めます。

この時は、ポタージュ状に伸ばしたヒルズ・シニアの缶餌を、割と沢山食べました(10g弱くらい)。


2005.7.19.記


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このような状態でも、短時間ながら熟睡は出来るようです。旅立ちの前日まで時々ぐっすり寝ていました。手のグルーミングも前日まで行っていました。呼吸以外は特に問題なかったのですが。旅立ちの前日の診察(包帯交換)では、「いつ逝ってもおかしくない状態です。」と。

夕方に様子を聞いたところ、「ふらついている」と。何か予感がして夜遅い列車で会いに行きました。

その晩一晩、数回の呼吸困難の発作の合間に、アンとの心の交流をゆっくりと図ることができました。翌朝のミルクを美味しそうに飲んだ後、永遠の旅へと出掛けていってしまいました。

2005年3月17日、15歳と7ヶ月と27日でした。

写真は旅立ちの前夜。夜だったので自動的にフラッシュが焚かれてしまい、眩しい思いをさせてしまいました。ごめんね、アン。

アン、ありがとう。
あなたと一緒に暮らせて、私たちは本当に幸せでした。
安らかにね。


2005.7.19.記









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