|
カテゴリ:心身統一
五輪書 地の巻にある「目に見えぬをさとって知る事」・・目に見える事、目に見えたことは全て結果であり、過去になる事象である・・今突然現れて見えたように見えるものも、現れる前の見えない原因があるということです・・ 武術は、見える現象だけを見て判断して動いても、もう既に遅いという事です・・武術でいう「先」は、厳密に言うと相手の初動を動体視力で捉える・・というようなものではありません・・相手の意識の起こり、また相手の無意識の起こりを捉えて動くのです。 外部の動きを必死で捉えようとしても、捉えて見えた時は既に結果になって入る訳です・・結果が出てから動いても、もうこれは後手の動きに他なりません・・これには特殊な修業を要します・・「内観」という修業です。 「内観」とは、外部で起こる事象を全て捨てて、自分の内部にだけ心を置く修業です・・「そんなことをしたら斬られてしまうじゃないか!」と思いますよね・・我々凡人は・・ しかしその外部への恐怖や不安がある内は、まだ内観が出来ていないという事です・・外部の事象を感じなくなるまで修業をするのです・・何も、山に篭ったり、滝に打たれたりすることが修業ではなくて、こういった目に見えない、内なる扉を開けるまでの試行錯誤を「修業」と呼ぶのです。 「来る者は拒まず・・去る者は追わず」も、この道を信じて思慮深く探求し続ける者を道は嫌わず・・疑いながら、見える物事に囚われ、信を持たない者には道は自ずと行く手を閉ざす・・と解釈もできます・・単に人に付いて来るか否か・・を言っているのではないという事です。 自然の法則は、人智を超えたものであって、我々人間が関知できるレベルにはありません・・しかし、その道を信じ切って探求するならば必ず扉は開くという事です・・逆に万事に疑心を持ち信を貫けない人は、人智を超えた自然の原理が永久に道を閉ざすという事です・・目先しか見えない人は、対人間、対外部にばかり目をやりますが、そこから脱しない限り人智を超えたものは味方をしてくれないという事でもあります。 もう一つに「礼を知らぬ者に天地は道を譲らず」も、同じことですね・・自然に対し、また全てに対し敬意を示せない者・・礼は心を示す事ですから、心の通じない者、心が解らない者にも、自然の原理は道を開きません。 =達人養成塾= ☆体幹操作法の習得は諸芸全般一流の登竜門! ☆「極意」とは意識を極め自在にすること! ☆一瞬にして相手の力を無力化する技法とは・・? 新春1月度「体幹操法」セミナーへどうぞ! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012/01/17 11:10:45 AM
コメント(0) | コメントを書く
[心身統一] カテゴリの最新記事
|
|