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散歩道

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2018年08月19日
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カテゴリ:心の中
歳と時のことを頻繁に気にかけている。

時間のなかで何かが変わっていくのを常として、私の中の変わらない部分を探りながら見つめている。

なぜこんなにも弱く、細くなっていってしまうのだろう。

何が正解かわからない世界で、誤りのない私を探し続ける。


テレビをつけたら、たまたま『君のすい臓をたべたい』をやっている。

言い方を選ばず言えば、私は脱ぐまでに200ページかかるような本や、空想の設定のなかで男女が浮き立つだけの本を好まない。

だからきっと、この映画の原作も私はつまらなく読むと思う。

本どころか、映画も見ながらになんて脆い話なのだろうと感じる。

けれども、時たま目の裏で涙が回ったり、胸の辺りが重くなったりする。

絶対になかったと考えることに、また何かが壊れた寂寥感が運ばれてくる。


同調性が高いらしい。

人の感情は聖人だって囚人だって等しく何かを理解する。

なのに、たった自分のことさえ、二十五年見てきた自分でさえ、こんな些細なことへの心情変化も掴めない。

私が世界とうまくいかない理由は、きっとここにある。


こわれた部分が埋まることも再構築されることも、わからない。

いつかたまりにたまって崩壊が訪れるのかもしれない。

こわれるという感覚自体、いつか遠のいていくのかもしれない。

メロドラマを眺めながらこんなことを考える私を、私は遠く、深淵に、闇の向こうまで、押しのけたく思う。






最終更新日  2018年08月19日 22時27分06秒
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2018年06月07日
カテゴリ:日頃
私の人生は今、何巻くらいなんだろう。

時たまそんなことを考える。

最近本を読むようになったけど、やっぱりずっと友達なのは漫画だ。

漫画で言うと、私の人生は全何巻で、今何巻くらいなんだろう。

年齢イコールってほど単純じゃないと思う。

ずいぶんダイナミズムのある人生かなって感じることがあるから、もうそれなりの巻数なのかもしれない。

そう考えるとなお漫画みたいだ。

鏡に映る等身は扉絵。

たまにポーズを決めて、私一人の頭に保存していく。

正義のヒーローも魔王のような悪も、登場人物として待ち構えているのかもしれない。



職場で倒れてしまった。

理論武装できない程度に疲れていた体に、パワハラがトドメを刺しにきたらしい。

親にも上司にも病院にも何も言わなかったら、親と会社にはひ弱なせいに、病院には精神病にされていた。

何かスイッチが入っちゃうと、決して真相を話してやるものかと思ってしまうことがあるから、何を言われても文句も反論もしない。

でもさすがに精神病は参った。

本人が横になってるそばで病気扱いは無遠慮さに隙を突かれた。

救急車に乗せてくれた人と、お医者様。

できたら私以外には簡単に言わないで欲しいな。

でも、色んな人の気が私に向いていくのはもっと効いた。

兄が病院に来ると思わなかったし、電話に出たあの父の声色が違って、こっちが驚いた。


栞。

あんまり好きな表現じゃないなあって思う。

でも、なんかちょっと挟んでみろってどこかで聞こえた気がした。

けど、これで離職したら単純すぎない?

でも、やめろやめろって声も強いしなぁ・・・


ずうっと文字を眺めるような生活をしていたかった。

なんで18までゲームしかしてない人生だったのかな。

18から始まったとしたら、まだ巻数は割りと少ない?

一晩の麻雀を20年以上打ち続けている漫画もあるけれども・・・






最終更新日  2018年06月07日 23時52分39秒
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2018年05月16日
カテゴリ:カテゴリ未分類
新潟の女児殺害事件。

犯人がやっと捕まったわけだが、報道の仕方が文字通り身の毛もよだつほど気味悪い。

なぜ「たまたま自動車事故で女子を死なせてしまい、動揺して線路に置く処理を選んでしまった。」という経緯が浮かばないのだろう。

どこをどう聞いても「狙って殺した」筋書きしか想像できない喧伝のされようだ。

相変わらず出てくる昔の同級生の発言は害でしかない。

邪推が好きな社会に、本当に辟易して憤りを感じる。



とてつもなく私的で感情的な殴り書きだと思う。

それでも、私の根源的な社会への思いを、たまらず抑えられなくなった。

一人になりたいとか、組織に合わないとか思うのは、全部ここに収束してくる。

なぜずっと背を向けているくせに、振り向きざまに石を投げるような人が当たり前な世界なのだろうか。

二束三文に優しさや平和という言葉を遣って、本質は高貴なそれらを埋もれさせるのか。


私は一生こういうことを考えているだろうけれど、誰にも言いたくない。

そう思いながら、ここに書いている。






最終更新日  2018年05月16日 00時05分46秒
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2018年05月04日
カテゴリ:カテゴリ未分類
7歳とか8歳とか、小学校低学年の頃。

「学校まで1キロくらいだよ」

と教えられて、

「ああ、1キロって遠くって大変なんだな。」

と思った。


10歳頃に初めて自転車に乗れて、風を切るってことを知った。

学校近くの友達の家まで、行く回数が一気に増えた。

だいたいどこにでも、一人で出かけられる気がした。


19歳で免許を取って、移動に楽を覚えた。

楽を覚えたら、苦痛を感じるほどの距離を移動しなくなった。


歩幅は広がる。



母を地域の牡丹祭りに連れて行った。

20年も昔に、私が行っていた保育園の裏に広がる、墓地と庭園。


保育園のグラウンドは、端から端まで今の感覚で50mくらいある記憶だった。

あれは果たして、20mもあるだろうか。

今では狭い、やっと設けた庭のように感じる。

こんな場所で、運動会なんてよくやった。


墓地に赴く機会はそうなかった。

だから却って、こちらの広さに驚いた。

園の倍、3倍くらいはあるだろうか。

整備され、こじゃれた和風のカフェも開かれている。

肝心の牡丹は暑さのせいで心もとなかったけれども、侘びさびを求める人の集いがあった。


歩くのは年寄りばかりである。

その歩幅に、この狭さはちょうど良いのだろうか。

零落と田舎の象徴のようなこの町を、私は見降ろすたびに寂寥を思う。

寂しさだけでなく、この緑と風には心地よさも覚えるけれども。


私の足はどこを向くだろう。

私の歩幅は、何を基準にあるだろう。






最終更新日  2018年05月04日 10時52分42秒
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2018年04月18日
カテゴリ:カテゴリ未分類
新潟知事の女性問題のニュースをみた。

感情の波を感じない。

自我を保とうと必死に、選べる言葉を流していた。

スキャンダラスな様とは乖離する、人間性を感じた。

真摯に非を認めて、早急に必要な対応を、ある一線を保って行っている。

ここまで来ると、浮気を悪であれど罪だと考えない私には、なぜ世は辞任を求めるのだろうかとも思えてきてしまった。


広島で受刑者が脱走したニュースをみた。

ああ、食料を「購入」なんだ、と感じてしまったのは偏見だと思った。

窃盗犯らしいけれども、今度は盗まなかったんだな。

アシが付くかもとか、色々考えたのかもしれないけれども。

地域住民が外出を控えたり、子どもを送迎するのはどうかなと、偏見で思う。

別に殺人犯じゃないのだし、人を傷つけることと犯罪には大きな溝があるのだから。

「オレ、子どもや年寄りには手出さないんだけどな。」

案外犯人はそんなことで世間に怒りを覚えているのではないかと、考えたりする。



どんなに正当な理由があっても、人を攻撃する時には自分も攻撃される覚悟をしないといけない。

謝る人をみるたびに、そんなことを思う。

自分が100%正しいなんて思って、絶対に発言をしてはいけないんだよ。

はるか昔のそんな言葉が、ずっと私に残ってる。






最終更新日  2018年04月18日 00時01分09秒
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2018年04月15日
カテゴリ:カテゴリ未分類
若い人が難度の高い試験に合格すると、過剰に賞賛される風潮にあると感じる。

書いて思った、なんてとがった一文だろう。

でも、私が社会に感じる違和感はそれくらいの規模に違いないのかもしれない。


最初に戻る。

私がなぜこんな疑問を感じるかというと、年齢にあった頭のレベルなんてないと思うからだ。

若くったって、できる人はできる。

もちろん、ある程度の最低値はあると思う。

でも、中学生くらいになれば大人と何の差があるのか、私にはわからない。

この文意から伝わるかわからないけれども、私に強くあるのは、大人には考えていたよりも馬鹿で何もない人たちが多すぎるってことだ。


若いからわからないという不思議な前提。

経験がすべてという誤った常識。

こんなのがあるから、たまに見る傑出した者の威光には弱い。

簡単に天才って言葉を使って、別世界に特別でない者を置く。

そして、自分の周りにはリスクのない普通だと思う人しか残さない。


まとまりのない酷い文だなと、ここまで書いて思う。

でも珍しく(と、私は思っているけれども)愚痴を言いたくなってしまった。

いい会社だとは思うから、かえってどこに行ってもこうなのだろうという失望がある。

時間が経てば解決することだろう。

私に「いい歳」になるまで待てということなのだろう。

これって、おかしい構造だと思わないのだろうか。






最終更新日  2018年04月15日 23時56分18秒
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2018年03月12日
カテゴリ:カテゴリ未分類
私が組織を抜け出したいと思ってしまうのは、組織が変わり者を遠ざけようとするからだと思う。

そちらがそう言うので、それでは。

これくらいの気持ちで足が外を向く。

建前抜きにしていい。

人はまとまると安定を求めるから、必ず異質に頭を抱える。

予期しないことが嫌いだから、可能性を削除したくなる。

みんな仲良く、みたいな発想が私は好きだけれど、やっぱり無理なんだろうなとはいつも思う。


平和とは世界と対話することだと思う。

正解なぞないという前提で、世界に対して開かれていないといけないのだと思う。

少なくとも多くの偉人と建前を学んだ私は、そう行き着いた。

でも、他人に自分の答えを押し付けない人がどれほどいるだろう。

私も間違っているかも、という前提で生きる人がどれほどいるだろう。

ろくに見つかりそうもないと感じたところから、私は自分が変わり者だと認めた。

対話はできないとわかっても、対話を試み続ける私は、正しいようで絶対に主流から外れるから、そう認めた。


新人の仕事で合同説明会に同行する。

何百、下手をしたら千人単位の人の群れ。

その人数分の外見と振る舞い、その一部との交流、会話。

こいつは変人じゃないな、って思うやつなんてほとんどいない。

世の中は変なやつばかりだと言っても間違いないはずなのだと、痛いほど思う。

なのに、少数の変なやつを探す変なやつの集まりの組織や集団ってなんなんだろう。


かすかな記憶。

兼好法師か誰かのふるい文章で、愚かに見える行為をしている者を指差して笑うやつらを、お前らこそその行為を理解できない愚か者なのだぞと嗜める諧謔があった。

あるいはアリとキリギリス。

なぜ世界は教訓を飲み込み続けるのだろう。

血肉にならずに枯れる言葉。


楽園にいきたいじゃん?って言って、おう、ってなる人の集まり。

想像すると、そんなの気持ち悪くて何か可笑しいと思ってしまう。

平和が好きなはずなのに、不思議だなあと、こんな日に考える。






最終更新日  2018年03月12日 00時00分05秒
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2018年02月06日
カテゴリ:カテゴリ未分類
もう半月以上も前になるが、高校演劇の北関東大会を見に行った。

地元桐生が会場だったということもあるが、今年の群馬県大会が消化不良な出来だったから、それを塗り替えたかったのだと思う。

一校目の長野の丸子修学館高校がすごかった。

山月記の李徴を主人公に、その虎になるまでの前後を創作した作品。

古い話をダンスをはじめとする現代の見せ方で、とにかくセンスに溢れた作品だった。

強豪校らしい。

何十人もの知恵と感性の詰まった作品で、まさに超高校級だった。

これが初手から来るとは・・・と思ったが、順番が悪かっただけらしい。

二校目からはベースのレベルこそそこそこなものの、退屈な作品が続いた。


あの一校目を見られただけでも十分か。

そう感じ始めた五校目に、飛ぶ鳥も落とす、寝不足の不真面目観劇者も飛び上がるような作品が来る。

同じく長野の松本美須々ヶ丘高校だった。

初めはたかをくくった。

なんせ、出演者は一人きりで、パンフレットには部員が三人とお手伝いだという。

長野じゃ丸子修学館が一強で、あとはドングリだったのか。

会場の多くが、少なくとも私の友人はみなそう感じていた。

その予測は開演10秒で打ち破られるのだが。


今でも忘れない。

ゆっくりと階段を登る彼女。

衝撃波でも走るかのような発生。

音の鳴るような切れる動き。

堂々と正面から迫る恐怖。

シェイクスピアの『マクベス』を夫人の視点から描いた一人劇だった。

ユーモアたっぷりの彼女がマクベスと出会うまでの前半。

野望が呪いを帯び始める後半。

それをたった一人で60分表現し続ける一年生。

メディア系の学校なのかと思わせる舞台装置とプロジェクションマッピングによる演出。

超の文字通りだった。

プロにも劣らない、料金をせがまれても仕方のないと思う出来だった。

幕が下りた後の会場の熱気は筆舌に尽くしがたい。

誰もが「あれがトップ」だと認めていた。

スタンディングオベーションする者もいた。

年端も行かぬ子どもが感想を話していた。

私は、自分があの後に舞台に立たず済む立場にあることを安堵した。


全行程を終わった後の結果発表。

やはりという言葉はこんな時にこそ使うべきなのだろう。

激演を果たした松本美須々ヶ丘高校が最優秀賞を受賞した。

しかし、審査員の言葉がまた一つ私を驚かせた。

「演劇を始めてまだ半年ほどということですが・・・」

まさに閉口した。

鬼才だった。



「演劇は総合芸術である」とは、パンフレットの審査員の釣り文にあった言葉だ。

確かになと思わせるのが、私のこれまでの経験だったのだと思う。

それを地で行くのが一校目だったと感じた。

だから本当に素晴らしい作品だと思った。

私が見てきたすべての劇のなかでも十指に入るような出来だった。

しかし、少年漫画のようなデウスエクスマキナが現実にあることを私は知ってしまった。

彼女が、彼女の周りがいかに固められていようと、舞台が圧倒的な存在感を放ち、すべてを黙らせた。


私は一生、あの劇を思い出す瞬間を迎えることがあるだろう。

それはこの脳が呪いを刻まれたということなのかもしれない。

多くの観者の中に、あの舞台は巣食っているはずだ。






最終更新日  2018年02月06日 00時21分29秒
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2018年01月03日
カテゴリ:独り言
年末はやたらとついていなかった。

まずは一万円紛失。

ただの一万円ならまだしも、忘年会で部長から「がんばったで賞」として、部から一人に渡されたものだった。

酒を飲むと、しばしば何かを落としてしまう。

酔いが覚めた次の朝、前日の喜びの涙が、一瞬で後悔の涙へと変わった。


二つ目は歯の損失。(あえて損をつけてみる)

先日ここにも書いたが、良くない未来を、事件から一ヶ月ほど経った今も私の頭に残している。

そして、どうにか取り付けた今月二十日の予約も、急用から流れてしまいそうである。

果たして次はいつの予約がとれるのか・・・

私の歯は・・・未来は・・・


三つ目が最大に私を打ちのめした。

クリスマス明けの26日、仕事帰りに事故を起こしてしまった。

車同士の衝突で、私の車は全損によって買い替え。

中古だからと車両保険に入らなかったが、まさか10ヶ月で廃車となってはさすがに笑えない。

過失割合がどうかは年をまたいでからの話となったが、何しろ散々な日々に、もう勘弁して欲しいと思う年末となった。


ここ数年、毎年忘年会を行う友人と、去年の末にも会った。

ピンクの車(台車なのだが)に乗っていることから「どうして?」と始まり、この顛末を話す。

そこでようやく判明したのだが、なんと私は厄年であったらしい。

「もうすぐ後厄になるからよかったな。」

軽く言うな、と呆れてしまったが、微かな期待を翌年に添えてみることにした。


しかし、不幸は誰にも平等に訪れるのだろうかと考えることがある。

私は運がない人間だ。

不幸が取り纏われるのとは違う。

幸運や好機といったものに恵まれていないのだ。

だが、慣れきった人間だからなのか、ふいに訪れた不幸からの脱却は人よりも早いと思う。

自浄作用なのだろうか。

程度の差になく、何かと好都合な言い訳をつけて、私はいつの間にか立ち直っている。

そして、些細な幸運にすべてが浄化されきってしまう。

趣味でやっている懸賞でアイマスクが当たり、車の初売りに行ったらビンゴで発泡酒の6缶パックが当たった。

なんて安い。

なんて安い、けれども。


不幸を癒す薬。

この体に備わるとしたら、それはクスリと言うより免疫だろうか。

そしてそれは、不幸に効くクスリは、果たして幸運なのだろうか。

不老不死の話に近いのかもしれない。

そして私は時折考えてしまう。

私はクスリの代わりに、多くの不幸を抱えるのでは、と。

これはまた鶏と卵の関係のようだ。

そして最後に私は思う。

私という人間はこんなつまらないことを考えて老いる人間なのか、それとも答えのないことを考え続けるから私なのか。

ここまで来ると、もう不幸の来訪は忘れている。



つまらないことをたくさん考えた2017年だった。

今年も脳が腐るほどに考えるだろう。

1月1日の満月を、白い光を浴びながら、自嘲気味に考えた。






最終更新日  2018年01月03日 22時57分35秒
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2017年12月21日
カテゴリ:独り言
「ポキッ」

擬音の文字の見えるような音だった。

悪夢を見るのは習慣になりつつある。

今回もきっと・・・

目を覚ますと、歯がこれまた音の文字が浮かぶように、ぽっきりと折れていた。


初めての有給休暇を使って、午後に歯医者へ行った。

働けないこともあったが、気がかりな上に、何より見た目が絶望的だった。

「こんな状態でもし身の危機があったら、死んでも死に切れない。」

何よりの急務に感じた。


楽観をしていたわけではないが、歯科医の顔はくらく険しい。

声にも重さがあって、すぐに状態を察知した。

「率直に言えば、24歳でこの状態はとても良くない。」

医師の言葉に、ああ、また運がないかと胸の内でひとりごちた。


帰り道で下校途中の小学生をみた。

こんな時間に外をほっつき歩く自分にもだが、半そで姿の子どもにおどろいた。

私なんて5枚・・・いや、日によっては6枚も着込んでいるというのに。

しかし、そこで歯科医の言葉が不思議と脳裏に浮かんできた。

「24歳で・・・」

そうか、私はまだたったの24歳だったのか・・・と。

目の前の少年も、ほんの15年ほど前の自分なのだ。

私もまた、友達と競るように薄着で登校をしていた。


年末になると、ぼうっと過去を振り返る日が続く。

この1年もまた、色々なことがあった。

1年ごとに、私を方向付ける何かしらの出来事は起こっている。

これがまだ、50年程度は残っている可能性が高いのか。

月日の重みが、歯の問題を遠ざけてくれる気がした。

もっとも、その重みが増したときには・・・






最終更新日  2017年12月21日 00時52分23秒
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